神戸大学

兵庫県南部地震犠牲者追悼の催しで献花 ~天に届け献歌「しあわせ運べるように」~

2013年01月17日

献花する福田秀樹学長

兵庫県南部地震から18年。1月17日午後0時半から六甲台本館前の兵庫県南部地震神戸大学犠牲者慰霊碑と海事科学部構内の神戸商船大学犠牲者慰霊碑で追悼の催しが開かれました。

六甲台本館前では遺族、福田秀樹学長ら大学執行部、教職員、学生ら約200人が参列しました。1分間の黙祷の後、福田秀樹学長らが慰霊碑に次々と花束や白菊を献花しました。

神戸大学は初めての試みとして震災で神戸大学法学部4年生だった弟渉 (わたる) さんを亡くした福音歌手、森祐理さんに慰霊碑前での献歌とメッセージを依頼しました。

献歌する森祐理さん

森さんが選んだのは「しあわせ運べるように」と「ふるさと」の2曲。「地震にも負けない強い心をもって 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう」。森さんの透き通った歌声が天国に届けとばかり響き渡ったとたん、粉雪が舞い始めました。歌い終わった後、森さんは参列者に静かに語りかけました。

「震災で弟を失い、18年経っても胸が痛みます。弟の遺体を見たときには心に穴が開いた思いでした。そして神戸の被災地に出かけて歌いました。東日本大震災の被災地も行きました。『地震でも津波でも泣かんかったけれど、あんたの歌を聞いて初めて泣いた。あんたも私らの仲間だ』とお話しいただいて、弟の命が神戸から東日本大震災の被災地までつながっている気がしました」。

遺族からすすり泣きの声が漏れました。

森さんはこの日、父茂隆さん (80)、母尚江さん (75) と参列しました。催しの後で森さんは「弟は神戸大学新聞の編集長をしていて、卒業後は新聞社への就職が決まっていました。ゼミ、軽音楽部と弟が120パーセント青春を謳歌したこの場所で歌わせていただけたことにとても感謝しています。今日は歌手としてではなく、一人の遺族として、天国にいる弟たち亡くなった方々と合唱する思いで歌わさせていただきました」と話していました。

写真右から: 藤原宏美さん、美佐子さん

平成7年3月の慰霊祭から毎年欠かさず追悼の催しに参加している遺族もいました。経営学部4回生だった藤原信宏さんの父宏美さん (72)、母美佐子さん (68) =三重県津市=です。信宏さんは前年秋に公認会計士試験に現役合格。大阪市内の監査法人に勤めるとともに卒論の仕上げに追われる毎日でした。震災直後、宏美さんは神戸市東灘区御影石町にあった信宏さんのアパートに電話をかけ続けましたがつながりませんでした。連絡がないため家族全員で翌朝、津市を出て、アパートに着いたのは昼過ぎ。アパートの1階はつぶれて、2階がつぶれずその上に乗っていました。信宏さんの部屋は1階。自衛隊の手を借りて、信宏さんの遺体が掘り出されたのは暗くなる頃でした。

宏美さんは話します。「やさしい息子でした。公認会計士試験は難しいし、合格はまず無理とあきらめていたら、10月に『お父さん、通っちゃったよ。就職も決まったよ』と電話してきました。そのときの弾んだ声を今でも思い出します」

海事科学部 (旧神戸商船大学) での献花

一方、海事科学部でも理事、教職員、学生ら50人が参列して追悼の催しが開かれました。練習船深江丸の汽笛が長々と吹鳴する中、1分間の黙祷。この後慰霊碑に次々と献花しました。

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(広報室)