『雇用はなぜ壊れたのか-会社の論理vs.労働者の論理』

『雇用はなぜ壊れたのか-会社の論理vs.労働者の論理』

今日、雇用問題が深刻化している。会社も労働者も、政府に甘えて、 何とか対策を講じるよう求めている (これを「甘え」と呼ぶのは適切でないという意見もありそうだが、「甘え」と見ている人も少なくなかろう)。 ただ、ここには、パターナリズムの匂いが感じられない。なぜかというと、今の政府には権威がないからである。 権威のない国家が国民を甘やかすというのは、ポピュリズムである。

私は、国家が権威を使って国民の利益のためにパターナリスティックな介入をすることは、望ましくないと考えている。 国民の利益のためといいながら、結局は、国民の自由や自己決定を制限することになるからである。

しかし、権威を失い、パターナリズムもない国家が、国民に迎合する「甘い」政策を行うことは、 国民の自由や自己決定を侵害しないとしても、それよりも大きな危険があるように思われる。それは国家の論理の崩壊である。

国家の政策は筋を通さなければならない。それは、ときには「甘え」を許さない峻厳さも必要であり、 それを実現するための権威も必要である。ポピュリスティックな政策に目を奪われない姿勢も、 国民の側に求められる (ただし、権威を強く求めすぎると、ファシズムが登場する危険もあるので要注意である)。

拙著『雇用はなぜ壊れたのか?-会社の論理vs.労働者の論理』は、実は、雇用が壊れた原因を明らかにしようとした本ではない。 むしろ、本書で描きかったのは、雇用が壊れる過程における、会社の論理と労働者の論理の関わり合いについてである。 これらの論理の関わり合いを明らかにすることを通して、筋の通った正しい政策はどのようなものかを模索していきたかったのである。 それは、必ずしも会社にも労働者にも「甘い」ものばかりではない。

正義の女神は、剣をもっている。母のように「甘える」ことは危険なのである。

ちくま458号 (筑摩書房) の一部を転載

(大学院法学研究科教授・大内伸哉)