学修支援と高等教育の質保証(II)

本書は山内が研究代表者を務める科学研究費補助金基盤研究 (C)(2013年度~2015年度)「学生の学力と学修支援に関する比較研究-日英瑞3カ国を中心に-」(課題番号25381129) に基づく第二弾の研究成果である。(I) は単編著だったが、(II) は武寛子氏との共編著である。

また山内乾史編(2008)『教育から職業へのトランジション』(東信堂)、山内乾史・原清治編(2010)『学歴と就労の比較教育社会学―教育から職業へのトランジションII―』(学文社)、山内乾史編(2012)『学生の学力と高等教育の質保証 (I)』(学文社)、山内乾史・原清治編(2013)『同 (II)』(学文社) という一連の「大学における学力と教育の質保証」をめぐる研究シリーズの最終巻である。

上述の書籍はいずれも、山内を研究代表者として日本学術振興会より取得してきた科学研究費補助金による研究成果である。『教育から職業へのトランジション (I・II) 』は2007年度~2008年度に交付された基盤研究(C)「『使い捨てられる若者たち』に関する比較社会学」(課題番号19537052) によるものであり、『学生の学力と高等教育の質保証 (I・II) 』は2010年度~2012年度に交付された基盤研究(C)「学力と就労の関係性に関する実証的研究-『相対的な学力』の概念を鍵にして-」(課題番号22530917) によるものであり、『学修支援と高等教育の質保証 (I・II)』は2013年度~2015年度に交付された基盤研究(C)「学生の学力と学修支援に関する比較研究-日英瑞3カ国を中心に-」(課題番号25381129) によるものである。2009年度を除いて7年度にわたり科学研究費補助金を受けられたことは研究者として幸せなことであったし、また研究成果を世に公開する責務も大きいといえよう。

先述の通り、本書はその最終巻である。本シリーズ以外にもいろいろと企画を立て単編著、共編著を刊行してきたが、今後は思うところあって、学会等の企画本で責任を負っているもの (日本比較教育学会の研究委員長としてのもの)、既刊本の改訂版を除いて、単編著、共編著を編む作業からは手を引き、単著 (あるいはごく少数の仲間との共著) の執筆に専念するつもりである。これまで長年の盟友、原清治教授を中心とする研究仲間、あるいは教え子たちと研究を進めてきたが、年々重くなる学内の管理運営上の責任、ゼミ生への研究指導上の責任、私に残された時間を考えると、勝手ながらこれまで大学院入学以来30年間かけて取り組んできた高等教育研究の集成にかからねばならない。したがって、筆者個人にとって、本書は、筆者が関わる企画編集本の実質的な最終巻でもある。

冒頭で掲げた一連の書籍では (I) では私の単編著、(II) では原教授との共編著としてきたが、今回は筆者の教え子である武寛子氏との共編著とした。彼女は上記一連の書籍すべてに論稿を寄せており、プロジェクトへの貢献度はきわめて大きいからである。彼女の現在の本務校での仕事との近接性もあり、今後は彼女にこの仕事を継続してもらいたく考えている。

さて、本題に入る。高等教育の質保証の一つの重要なキーワードが学力であるとの認識から『学生の学力と高等教育の質保証(I・II)』を刊行してきたわけであるが、学生の学力を保証するための教育活動として学修支援の重要性がとみに増している。これまで高等教育研究の領域で学修支援と銘打って正面から刊行された書物は不在のようであるが、『学修支援と高等教育の質保証(I・II)』では学修支援そのもの、ないし学修支援に重点をおいた高等教育の質保証論について研究を進めてきた。

本書の概要に触れておく。

第1章は私の筆になるものだが、これからは教授個々の教育力の向上以上に、チームの教育力の向上が重要になること、教育の手法としてティーチングとコーチングが異なること、そして学修支援についてはコーチングの技術こそが特に重要であることを強調した。

第2章近田政博論文は、私の本務校でもある神戸大学の不本意就学・違和感の実態と要因、そしてそれへの対応を論じたものである。不本意就学・違和感の問題は臨床心理学の領域を中心に長年研究され続けてきたが、当該の少数の学生にいかに対処するかということが課題であった。現在では、不本意就学の中には「進学したことそれ自体」への不本意さを抱えるものまでおり、不本意就学者の存在はいわゆる「ボーダーフリー校」だけではなく、難関校でも例外ではない。その不本意さをいかにして癒し、前向きに学業に取り組ませるか、多くの大学が苦慮している。20年ほど前ある国立地方大学を訪問したときに、「我々にとって大きな問題は、ほとんどの学生が第一志望校に行けなかったという劣等感を持っていることであり、いかにしてその劣等感を払拭できるかが成長の鍵だ」と伺ったが、この言葉はますます多くの大学に、ますます多くの学生に当てはまるようになっているのではないか。

別の論稿に書いたが、私もかつては理科系を志願しており、文科系に移った時の違和感はとてつもなく大きく、特に「文科系=理数系が苦手」という偏見には怒りを覚えた。文科系の学部に入学後も周囲の学生の嗜好等の違いに戸惑った。しかし、私が学生のころは、いきなり一通りの型にはまったオリエンテーションが終わったら、すぐに「○○学概論」が始まるという、なんとも不親切なシステムだった。今や、大方の大学では、それではすまなくなっているのだ。

第3章米谷淳論文は自身の40年にわたる大学生活の中で様々な国内外の大学に出張し、その学修支援を見つめてきた経験に基づき、日本の今後の望ましい学修支援に関する考え方を提起している。それらの訪問先のうち多くは、私も米谷教授と行動を共にし、そもそも施設が作られているそのコンセプトの差異に驚いた。アメリカ合衆国、オーストラリアでは研究大学でさえも、すべてにおいて教育、学習という機能を軽視することなく施設を作りあげている。例えば、15年前にアメリカ合衆国の図書館を訪問したとき、図書館員は事務職員ではなく、専門のオフィスを持ち、論文を書き、学会発表を重ねてテニュアの取得を目指している。ルーティン・ワークは院生がアルバイトでしているのである。そもそも図書館自体が研究施設である前に学習施設であることが当時は驚きだった。今や日本でもこの認識は驚かれない者になってはいるが、現実の設備はあまりにも研究志向のままだ。

第4章加藤善子論文は、学修支援先進国ともいうべきアメリカ合衆国の学修支援の歴史と現状をわかりやすくまとめたものである。アメリカ合衆国では中等教育のレベルが日本よりもやや低く、かつばらつきが大きいから学修支援に熱し員に取り組んできたかのように理解されている。しかしそれは一面的であり、かねてから中等教育と高等教育の接続が不全だったのである。そのため、入り口である程度諸能力を整えねばならないが、これはいわゆる狭義の学力だけでなく、言語等も含む。したがって、アメリカ合衆国ではエリート段階から学修支援を必要としてきたのである。

第5章杉野竜美・正楽藍・武寛子論文では現在政策的に重要さを増している大学生の海外留学支援を述べている。私が学生だった30年前は留学するものは少数で、経済的支援もフルブライトやロータリー等の少数の奨学金を除いて、充実したものは少なく、かつ通年制を取っていた大学では一年の留学に二年をかけねばならなかった。留学経験が必ずしも評価されるとは限らず、就職活動にも支障をきたした。大学側の支援も実に手薄であった。今後より大きな支援の拡大が望まれる分野ではあるが、30年前とは隔世の感がある。

第6章長谷川誠論文は、全国的な学生支援、学修支援の状況を概観したうえで、本務校である神戸松蔭女子学院大学で大学教職員に何が期待されているかを検討している。特にこの論文では教員よりも職員の学修支援に力を入れて論じており、貴重な示唆をもたらしている。かつての職員といえば、ルーティン・ワークをひたすらこなすだけの事務職員としてのイメージが強かったが、現在は企画力、創意工夫を相当なレベルで求められる、教員とは別の意味での専門職的な色彩を強めている。教員とは異なる専門性を帯びた専門職員の必要性が高まっているということである。長谷川氏は教員と職員の双方を経験した人物であるだけに、職員に期待される学修支援役割の変化について貴重な提言をしている。

第7章高橋一夫論文と第8章浅田瞳論文は本務校 (短期大学) におけるミクロな学修支援の実践例についての貴重な実践的研究である。現在、四年制大学に勤務する教員の多くには知られていないであろうが、短期大学での学修支援というものの大変さは筆舌に尽くしがたいものがある。生活支援、モチベーション・アップがあって初めてスキルの習得に入れる。それを二年間でやり遂げねばならない。高橋論文、浅田論文ともその苦労を表には出さないが行間ににじみ出ている。

第9章乾論文と第10章武論文は、それぞれラオスとスウェーデンの高等教育の質保証の問題について学修支援を中心に論じたものである。ラオスのケースはこれから高等教育の質を高めていくことを求められており、特にASEAN大学ネットワークとの取り組みにおいて質的な向上と頭脳流出の防止等の大きな課題がある。他方スウェーデンは成熟した教育国家であるが、国際枠組みと国内枠組みとの整合性が問題になっている。このことは地位将来の日本にとっての問題でもある。

学修支援とは終わりのない営みであるが、何を目的とするのであろうか?この目的として「自律的な学習者の育成」という表現がよく用いられる。しかし、その「自律的な学習者」とは結局のところ、人が組織で、集団で、社会で活動するようになった時に、その組織の、集団の、社会のリソースを消費して成長するだけの存在になるのではなく、自らリソースを作り出し、組織、集団、社会を成長させる、あるいは自らリソースになっていく、そういった人材の育成が基本理念としてあるものと考える。そのような大目標が見えかけたところで本研究をいったん休止するのは残念な気もするが、武寛子氏を中心とする後進に託してひとまず、やりかけてきた別の仕事に戻りそれを完成させたいと考えている。

いつもながら本書の刊行に当たり、学文社編集部、ことに田中千津子社長のご尽力には感謝のほかない。20年近く本を出させてもらってきたが、いつも、ほとんどこちらの希望をそのまま通していただき、わがままをさせていただいた。企画編集本としては今回が最後であるが、これまでのご厚情に格別の感謝をささげたい。

 

目次

第1章 少人数教育はいかなる環境において有効なのか?
第2章 高学力層の大学新入学生が抱える不本意感と違和感 ―神戸大学での調査結果から―
第3章 海外大学見聞録 ―北米・豪州・欧州のキャンパスで考えたこと―
第4章 アメリカ合衆国の学習支援
第5章 キャリア形成の視点から見る大学生の海外留学支援体制
第6章 私立大学の学習支援における教職協働の現状と課題 ―大学職員のかかわりに注目して―
第7章 高等教育を取り巻く「主体的な学び」の動向とその実践
第8章 保育者養成校におけるミクロな視点からの学修支援 ―「素話」の実践を支える方策―
第9章 ラオス高等教育改革の現状と質保証システムの新たな展開
第10章 スウェーデンにおける大学教育の新しい質保証枠組の構築に向けた動向

 

(大学教育推進機構/大学院国際協力研究科・教授 山内乾史)