明治維新後の日本が急速な近代化を成し遂げた秘密は何か。先進技術を海外から導入できたからだけではなく、近世日本に成熟した社会・文化、経済の蓄積があったはずだ。——そのような問題意識で江戸時代を再評価する研究が多分野で進んでいる。経済経営研究所の高槻泰郎准教授は、世界初の先物取引が行われた大阪・堂島米会所の研究から江戸時代の金融業の発展に光を当て、日本の近代化を金融史の視点で解明する研究に取り組んでいる。

 

加島屋の文書を見る高槻准教授

高槻准教授:

慶応大学総合政策学部(SFC)の学生時代は森平爽一郎先生の下で金融工学を学んでいたのですが、先物取引を世界で初めて行ったのが堂島米会所だと知り、興味を持ちました。この頃は、ワラント債や転換社債の価格付けなどに興味を持っていたのですが、堂島米会所を対象にした研究者を目指したいという気持ちが強まりました。

大学院修士課程は大阪大学、博士課程は東京大学で研究した。

高槻准教授:

森平先生から「まずは企業で働いて、それでも研究者を目指す気持ちが変わらなければ、それから大学院に行きなさい」と言われ、メーカーの営業マンとして1年半働いて学費を貯めました。そして森平先生の下でアルバイトをしながら院試の勉強をさせてもらい、計量分析を積極的に採り入れるなど、先駆的な経済史研究で知られた大阪大学大学院経済学研究科に入り、中林真幸先生(当時助教授、現在東大社会科学研究所教授)のもとで研究をスタートしました。中林先生が東大に移られたので、博士課程は東大で過ごしました。学部、修士課程、博士課程を別々の大学で学ぶことになりましたが、一貫して堂島米会所の研究に取り組んでいます。

近世の研究には当時の文書の解読が欠かせない。

高槻准教授:

阪大では古文書の読み方を手取り足取り教えてもらいました。2年ほどでまずまず読めるようになりましたが、今でも日々勉強中です。ただ、単に文字が解読できるだけでなく、「反対売買」「差金決済」など先物取引に関する知識がないと、堂島米会所に関する文書を理解することはできません。デリバティブ(金融派生商品)取引について勉強することに抵抗がないことが、私の強みになっています。

古文書の修復作業

2011年に神戸大学へ。堂島米会所の研究者として、米会所の頭取役を務めた豪商・加島屋久右衛門の文書を保管していた大同生命保険から史料の分類・整理を依頼された。

高槻准教授:

1730年に堂島米会所が江戸幕府によって認可された時の初代頭取役の一人が加島屋久右衛門で、大同生命の創業に関わった一人、廣岡浅子の祖先です。2012年の大同生命創業110周年にあわせて、同社が保管していた資料2500点を整理して展示することになったのです。江戸時代経済史の研究者として私に声をかけていただきました。

浅子はNHKの連続テレビ小説「あさが来た」のモデル。2015年度に放送された「あさが来た」の時代考証を担当したことがきっかけで、新たな史料と出会い、研究の幅が広がる。

高槻准教授:

NHK大阪放送局のプロデューサーが大同生命の展示を見に来られ、時代考証を頼まれました。それがきっかけになって、廣岡家の親戚筋の方から「加島屋・廣岡家の史料があります」と連絡していただきました。第2次世界大戦中に奈良県に大量の史料を大阪から疎開させていたのです。古文書、古写真1万5000点を神戸大学に寄託していただき、解読を進めています。すべて電子化して本学ホームページで公開する計画です。

本格的な分析はこれからですが、勘定目録という現在の企業で言う貸借対照表、損益計算書に相当する決算簿を見ると、江戸時代の後期には、加島屋の資産総額が大坂の豪商として有名な鴻池屋善右衛門を上回っていたことがわかりました。つまり、大坂随一、日本でもトップクラスの豪商の史料ということになります。廣岡家の皆様のご意向により、将来的には本学に寄贈していただく予定ですが、神戸大学の貴重な財産になることは間違いありません。文書を保管していた方は、「関西の大学だから安心して預けられた」と仰っており、神戸大学で研究できて本当に良かったと思っています。

加島屋の文書から分析・作成した家系図

文書の分析を進める過程で、「大名貸し」と呼ばれる金融も研究対象になってきた。

高槻准教授:

堂島米会所は、「米」会所と言いながら、実は諸大名が発行した「米切手」という証券を売買する証券市場のようなものでした。米切手は価格変動のリスクが大きく、現在で言う株式トレーダーのようなビジネスをしていては経営が安定しません。証券取引でのし上がった加島屋も、江戸時代中期以降、証券取引から「大名貸し」へ、すなわち大名に特化した金融業へシフトしていきます。当時、大名が借金を踏み倒しても江戸幕府は不介入の立場をとりましたので、「大名貸し」も決して安全なビジネスではなかったのですが、加島屋などの豪商は、ある戦略によって貸付の安全性を高めていました。それは、特定の大名と長期的な関係を結んで、メーンバンクのような役割を果たし、大名の財政に深く関与することでした。「参勤交代の人数が多すぎる。もう少し節約を」などと注文をつけたり、大名家のお金をすべて管理し、支出の要請があってもその中身をチェックしたり、モニタリングをしっかりと行って、貸し倒れがないようにしたのです。文書を読むと、豪商の手代と大名家の大坂留守居(大坂詰め役人)が、膝を突き合わせて融資の交渉をするなど、現代に通じるような人間くさいやり取りをやっていたこともわかります。

江戸時代の豪商の金融資本、金融技術は明治維新、明治以降の殖産興業も支えたという。

高槻准教授:

薩摩藩や長州藩など、幕末に雄藩と呼ばれた藩は、全てメーンバンクと呼び得る豪商を抱えていました。長州藩、佐賀藩は加島屋、土佐藩、薩摩藩は鴻池屋がそれに当たります。豪商から融資を受ける場合、初めて取引をする大名は10~12%程度の金利を要求されますが、黒砂糖や和紙などキャッシュフローを生み出すコンテンツを持つ大名になりますと、3~5%で借りることもできます。資本コストが圧倒的に低いのです。幕末・維新期については、政治史研究が分厚く行われていますが、雄藩が政治活動資金、軍事資金をどのように調達したかの研究は十分に行われていません。加島屋の文書を分析すれば、維新変革の生々しい舞台裏が見えてくるかもしれません。

ものづくりの分野では、日本の伝統に欧米の技術を接ぎ木して近代化を図ったことが指摘されていますが、金融技術については分析が十分ではありません。江戸時代の金融資本、金融技術が明治維新、日本の近代化をどう支えたのかを解明していくことが、これからの研究課題になります。

略歴

2002年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業
2007年3月大阪大学大学院経済学研究科前期博士課程修了
2010年3月東京大学大学院経済学研究科後期博士課程修了
博士(経済学)東京大学
同年4月東京大学大学院経済学研究科 助教
2011年4月神戸大学経済経営研究所 講師
2013年1月同 准教授

関連リンク

研究者