神戸大学

[医学研究科] がん遺伝子産物Rasの機能を阻害する新規分子標的がん治療薬開発につながる論文を米科学アカデミー紀要に掲載へ

2013年04月30日

神戸大学大学院医学研究科の片岡徹教授、島扶美准教授らのグループは大腸がんや膵臓がんをはじめとする多くのがん発症に関わるrasがん遺伝子が作り出す蛋白質 (Ras) の働きを止める抗がん剤開発候補物質の同定に成功しました。この研究成果は4月29日の週に米国科学アカデミー紀要 (Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America、略称: PNAS) (電子版) に掲載される予定です。

発表事項の概要

がんの約20%の原因となっているrasがん遺伝子が作り出すたんぱく質 (Ras) の働きを止めがん治療薬の候補となる物質を、神戸大学大学院医学研究科の片岡 徹教授と島 扶美准教授らの研究グループが見つけた。

研究成果について

Ras阻害剤開発の世界的背景

図1: がん遺伝子中毒関連の
多くの細胞内シグナル伝達分子に対する
分子標的がん治療薬が上市されている
  1. 近年、がん遺伝子が作り出すたんぱく質の機能を特異的に阻害することによりがん細胞の増殖を抑制するがん治療薬 (分子標的薬) が複数開発され、イマチニブなどのいくつかのものは臨床の現場で画期的な治療効果を上げている。しかし、これらは限られたがん (イマチニブ: 慢性骨髄性白血病) にのみ有効であり、広い範囲のがんの治療に有効なものはない。
  2. Rasは大腸がん (※40~50%) や膵臓がん (※60~90%) をはじめとする多くのがんで、遺伝子の突然変異による活性化 (※) が高率に認められていることから、がん治療薬開発の最も有望な分子標的と考えられる。Rasの機能阻害剤については、Rasの翻訳後脂質修飾の1つであるファルネシル化 (Rasが形質膜に移行し機能を発揮するのに必須) を阻害する薬剤 (ファルネシル転移酵素阻害剤) が、がん治療薬候補として世界的に研究開発が進められてきたが、患者さんの延命効果が認められないことから開発が頓挫した状況にある。したがって、現在に至るまで、Rasを分子標的としたがん治療薬は、臨床の現場で使用しうるものは世界的に見ても全く存在しない状況にある。
  3. Ras機能阻害剤はがん治療の領域で世界的に切望されているものの、Rasの研究者の間では、その開発は非常に難しい (ほとんど不可能) と考えられてきた。なぜなら、Rasたんぱく質の立体構造はX線結晶解析を通じて1980年代の後半に明らかになり始め、それ以降多くの研究者が研究を進めてきたが、Rasたんぱく質の分子表面上には、薬剤が結合・作用しうる良好なポケット構造が見つからなかったからである。

本研究内容

図1: がん遺伝子中毒関連の
多くの細胞内シグナル伝達分子に対する
分子標的がん治療薬が上市されている
  1. 我々は、高輝度光科学研究所および理化学研究所 (SPring-8) 所属の熊坂崇先生 (同席) の協力のもと、Rasの分子表面上に世界で初めてとなるポケット構造を発見し、このポケット構造情報に基づき、コンピュータシミュレーションを駆使して、ポケットに特異的に結合することにより、Rasとその標的たんぱく質 (Rafたんぱく質など) との結合を阻害することで、Rasが引き起こす細胞がん化シグナルの伝達を遮断する3種類の物質 (低分子化合物) を、コンピュータシミュレーションと試験管内及び細胞レベルでの活性検定を組み合わせた独自の手法を用いることで発見した。これらの物質 (論文中で「Kobeファミリー化合物」と命名) は共通の基本構造を持ち、マウスに移植したヒト大腸がん細胞の腫瘍形成を抑制する顕著な抗がん作用を示した。
  2. Kobeファミリー化合物は共通の母核 (基本) 構造を有するが、特許調査上はがん治療薬としての登録は全くない。神戸大学としては、これらの物質を新規がん治療薬開発候補として (Ras阻害物質のスクリーニング方法も含めて) 2011年に国内特許出願を果たし、近々米国出願予定にある。
  3. Ras阻害物質の探索・開発研究については、ロッシュ社の系列のジェネンテック社やアボット社など世界的にも有名な製薬企業においても精力的に行われており、最近になって彼らの研究成果がPNASをはじめとする有名科学雑誌に掲載されはじめているため、研究競争激化の様相を呈し始めている。しかし、我々の開発物質は、論文等で開示されている競争相手のRas機能阻害物質とは作用機序が異なり、生化学・細胞生物学的活性は彼らのそれと比較して非常に強く、彼らの化合物が持たない動物レベルでの腫瘍増殖抑制効果を示すことから、神戸大学の研究は現時点で彼らよりは先を走っていると考えられる。

研究の経緯と開発状況ならびに今後

  1. Rasのポケット構造は、Rasの下流の標的たんぱく質のX線結晶解析を進めている過程で2005年に偶然発見され、それがきっかけとなりRas機能阻害物質の探索研究が開始された。2005年の開始当初は少ない予算内で候補物質のスクリーニングを行っていたが、2006年度に医薬基盤研究所のインシリコ創薬の探索研究事業に採択され、大規模探索研究を開始することができた。2011年度からは、厚生労働省の政策創薬探索事業の補助金により、化学合成メーカーも含めた産学連携の枠組みの中で開発研究を精力的に進めている。
  2. 薬剤が作用するポケット構造の発見から候補化合物の同定に至るまで、製薬企業のサポートが全くない状況の完全インハウス、しかも薬学部を持たない神戸大学で行っており、国内で製薬企業と大学が共同で行う一般的な産学連携の研究開発とは全く性質が異なる、類を見ない開発例と思われる。片岡研究室内の開発現場において中心的に研究を進めているのは、神戸大学医学部の卒業生で臨床医出身の教員と神戸大学理学部出身者を含む4名の研究員、ならびに、彼らとともに数多くの修士・博士課程の学生が2006年から現在に至るまで研究リレーを行った成果が成就し、一部の候補化合物について、今回、論文発表に至った。
  3. この論文で公開する3種類の化合物は、臨床試験に供するには、毒性および活性の点でまだ十分ではないため、現在、化学合成メーカーとの共同研究のもと、構造展開 (化合物の構造改良) を進めている。
  4. 医薬品開発には一般的に非常に時間がかかることが知られており、我々が発見し今回発表したRas機能阻害物質がすぐに臨床に使用されることはないが、研究成果を一部公開することにより、Ras機能阻害剤の研究開発を行っている世界中の企業ならびに研究機関での研究開発を加速させ、開発競争を通じて、真に臨床の現場で役立つ医薬品が一日でも早く患者さんの手に届くようという思いから情報開示を決定した。一方で、神戸大学としては学内外の協力のもと、可能であれば開発品の臨床評価もインハウスで行えるような研究内容に育てて行きたい。