令和2年度入学式記念講演 兵庫県立美術館 館長 蓑 豊 氏

講演者紹介


兵庫県立美術館 館長 蓑 豊(みの ゆたか)

1941年生まれ。石川県金沢市出身。
 '65年に慶應義塾大学文学部を卒業。古美術商に勤めていたが、恩師に背中を押されて'68年に渡米し、'77年に米ハーバード大学文学博士号を取得。米国の美術館にて30年近く学芸員として活躍する。
 海外滞在中に「日本はアートに触れる機会が少ない」と感じ、家族で楽しめる美術館を日本につくろうと決意する。帰国後は大阪市立美術館館長となり、2000年に手掛けた「フェルメールとその時代」展で来場者60万人を記録。'04年には金沢21世紀美術館初代館長に就任し、年間150万人の入館者を集めた。同美術館は現在でも年間200万人以上の入館者を集める観光名所となっている。
 '10年より現職の兵庫県立美術館館長に就任。「アートが人の心を豊かにし、それが良い街づくりにつながる」という考えのもと、従来の美術館の概念を覆す取り組みを行い、地域や経済の活性化に貢献している。

 

~講演内容~

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
今年は新型コロナウィルスの影響で、予定どおり入学式ができなくなり、YouTubeを通して皆さんにお祝いすることになりました。本日のタイトルは「No Pain, No Gain ~苦労なくして得るものなし~」です。

現在の日本の教育が抱えている問題は、そもそもラテン語で「引き出す」の意味のducere(ドューケレ)[ドゥーケレ]に由来しております英語の「education」を「教育」と訳したところから始まっています。最大の原因となっているのは明治時代にすでに「教育」と訳し、教え育てるという受身のものにしてしまったことです。本来の教育はエデュケーション、つまり「持っている能力を引き出す」ことを主眼とすべきなのに、どうも日本の教育は「教える」ことに終始しすぎるきらいがあります。学校の授業も先生が答えを教えて生徒はそれを丸暗記する傾向にあります。その結果、生徒は答えだけを欲しがり答えを導くプロセスには全然興味を持てなくなっているのです。

近年日本を取り巻く環境の国際化が進み、国際社会で活躍する人材がますます必要とされています。世界で通用するために必要なことは、「感性を磨くこと」と「専門分野を極めること」だと私は考えています。「感性」は、本物を見て、感動したり感じたりすることによって培われます。心に響く経験は、人生のあらゆる側面において、発想の源になったり、動力になったり、支えになったり、意識や勇気を与えてくれたりと、生きていく上での可能性を広げ、生きる力を与えてくれます。どんな職業につくにあたっても、感性は必要であり、豊かな「感性」があることによって、創造力が生まれてくるのです。

本物の芸術に触れる機会を提供し、若者の感性を引き出し、その成長に大きく寄与する場所の一つが、美術館です。美術は、観る者の感覚に直接メッセージを送るものであり、また、作品を観ることを通して考えるきっかけを与えてくれるものであります。

「感性」に加え世界で生きていくために必要なことは、「専門分野を持つ」ということです。私は中国陶器の研究を専門としていますが、大学卒業後、東京・日本橋の古美術商に住み込みで三年半修行し、中国陶器を見る眼を養いました。1968年に、世界的な中国陶磁学者である小山冨士夫先生からの推薦で、カナダのトロントにあるロイヤル・オンタリオ美術館で中国陶器のわかる若い学者を探しているから君が行きなさい、と言われました。すごく喜んで飛び上がって「はい」という返事をしたのを覚えています。その後よくよく考えてみると英語がまったくしゃべれませんでしたから、これからどうしようと思いましたけれども、早速古美術商を辞めまして、この年の暮れに横浜から船でサンフランシスコへ参りました。その船上で一通の電報が私に届きました。それは小山先生からで、「学者になるまで帰国するな」というそれだけの文面でしたが、その電報が私の人生を変えてしまったと思います。

まず始めにミシガン大学で数ヶ月英語の勉強をいたしまして、その後1969年夏にトロントのロイヤル・オンタリオ美術館で中国陶磁8000点にものぼるコレクションを調査、そしてカタログを出版する事を約束して毎日休みなしで夜遅くまで美術館で中国から出版されています考古関係の報告書を読み漁り、そこで中国の古陶磁の索引を作り、それを初めて出版させてもらいました。

その本が認められ、2年後の1971年9月にハーバード大学の大学院に入学する事ができました。ハーバード大学ではその当時東洋美術史学者のマークス・ロア教授のもとでPh.D.コース、博士課程に入る事ができました。私の慶應義塾大学時代の恩師、守屋謙二先生から手紙が届きまして「私の最も尊敬するロア先生について習うということは大変光栄なことである」と言われ、ますます勇気が出て勉強したのをよく覚えております。

実は大学院時代はロア先生から「君は中国陶磁については私より知識があるから、大学院にいる間は陶磁史の論文を書かず、他の様々な分野で論文を書きなさい。しかし、博士論文は陶磁史で書いてよい」と言われたので、その間、中国・日本美術を専門的に勉強できました。その後アメリカ、カナダの美術館で東洋部長になれたのも、幅広く勉強させていただいたロア先生のおかげと感謝しています。

1976年カナダのモントリオール美術館東洋部長、その後またアメリカに渡り、1977年インディアナ州のインディアナポリス美術館で東洋部長を務め、1980年に私の念願でした博士論文のテーマである中国陶磁の磁州窯の展覧会、また国際シンポジウムも開催し、恩師であるハーバード大学ロア教授に基調講演をしていただき、最高のシンポジウムになりました。そして1985年から、夢でしたアメリカの三大美術館の一つであるシカゴ美術館で東洋部長として9年間勤め、その間に1992年高円宮ご夫妻をお招きし、盛大なアジア美術の新しいギャラリーと、その中に安藤忠雄氏がデザインした日本の屏風ギャラリーをオープンしました。

その後26年ぶりに日本に戻り、大阪市立美術館館長を経て2003年に金沢21世紀美術館初代館長として話題の美術館を立ち上げ、現在では年間250万人の来館者を記録するに至っています。

最初は言葉のハンディもありましたが、「中国陶器」という専門を深めていたことで、海外でも認められました。専門分野を持っているということは、それ自体が外国でも認められる確固としたものですし、同時に自信にもなります。自信があれば、専門分野について自分を表現し、主張することができるのです。

日本では昨今、英語教育開始の低年齢化が著しいですが、英語を詰め込んだところで、若者が国際人になるわけではありません。英語は、釘を打つときの金槌のようなもので、あくまでもツールであり、それを使いこなすために必要なのは、その人間の「中身」、つまり、専門分野なのです。

アメリカとカナダで26年間を過ごし、海外と日本との間に立って仕事をしてきましたが、その中で、国際社会における日本人独特のコミュニケーションスタイルの難しさを、目のあたりにする機会が多くあります。日本には「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があり、日本社会では、この言葉のとおり、たとえ能力があっても目立たずに居ることが美徳とされてきた傾向があります。しかし、目立たないようにしていることは、国際社会では美徳とは受け止められない上、「実力があり、高い能力を持っている」ということを、きちんと表現し、主張しなければ認めてもらえず、理解は得られないのです。それができる若い人たちを育む環境が今、不可欠です。周りの目を気にせず、若い人ひとりひとりが自分らしくのびのびと過ごし、自分のヴィジョン、自分の強みを見つけて成長できる社会環境、教育環境が必要であります。ディベートなど小さい頃から自分の意見をまとめて発言・発表する機会を多く設けることも一案でしょう。
そのためには、若い人たちの考える力を育て、よい部分を引き出し、能力を伸ばすことが重要で、だからこそ、最初に申し上げたように、教育は上から「教える」のではなく、「引き出す」ものであるべきなのです。

そして1年でも2年でもいいので、ぜひ留学やインターンシップなどで海外に出ることを皆さんに勧めます。日本以外の環境で勉強したり生活して初めてわかることは本当に沢山ありますし、その期間に得たことは、皆さんの生涯にとって、紛れもなくかけがえのない経験となり、糧となるでしょう。神戸大学さんが取り入れられている、ギャップイヤーの制度「神戸グローバルチャレンジプログラム」も素晴らしいと思います。

兵庫県の子どもたちの進路支援を行う「兵庫県進路選択支援機構」の評議員でご一緒している、桃山学院教育大学長の梶田叡一(かじたえいいち)先生は、読売新聞の記事にもなった、昨年11月に開催された大学関西フォーラム懇話会で、このように仰っています。
「大学は社会に出る前の最後の仕上げであり、何があっても乗り越え、力強く一生を充実させるようなきっかけづくりをしなければならない。私は学生に『大化けしよう』と言っている。自分で自分のけじめがつくようにし、いい形で出口にたどり着かなければいけない。たとえ長い人生の中で何度もひっくり返ることがあっても、負けないタフさを身につけてほしい。その上で何か一つ、詩でも音楽でもいいが、人間的に豊かになる何かを見つけて自分のものにしてもらえたらそれが一生の宝になる。」

自分の核をしっかりと持つこと、そして感性を培うことの大切さに、梶田先生も言及されています。

私は、皆さんのような若い世代の人たちが、美術館で芸術に親しむことを通じて、感性や考える力を養い、現代社会の様々な障害をも乗り越える力を身につけて、伝統と溶け合った新しい文化と産業をつくってくれることを期待しています。

見栄を張らずに、自分をしっかり見つめて、焦らず、”ヴィジョン”―自分なりの構想―を持って、じっくり一つ一ついい仕事をすれば、必ず良い方向にいくと思います。ただ運を待つのではなくて、運は自分で運んでくること。中国では昔から「運」という字は車で運ぶ、と書いています。やはり車を自ら動かして運ばなければ運はきません。主体的に動き、一所懸命によく努力して、良いことを自分で持ってきてほしいと思います。人が自らの夢をかなえる力は、自らの手の中にこそあります。国際社会で活躍するにあたって、自ら運を運ぶことのできる主体性のある人材、そしてそのために一生懸命に努力する強さを持った人材がこれから育って欲しいと思います。

あらためて、新入生の皆さん、本日はご入学おめでとうございます。また、このような素晴らしい新入生を育ててくださいましたご両親に感謝いたします。これから4年間色々と学ぶことと思いますが、長い長い人生です。そのうちの1,2年はとても短いですから若いときに勇気を出して世界へ飛び出して勉強をしていただきたいと思います。そして良い友達をたくさん作ってください。また、身体にはくれぐれもお気をつけください。皆さんのこれからのご活躍を願って私のお祝いの言葉といたします。