わが国では人口減少が始まったが、世界全体では人口増加が続いている。食糧生産の安定・拡大は人類共通の課題だ。地球温暖化や新たな病害虫の発生など、農業生産に悪影響を与えるリスクをどうやって克服するかは、農学研究の重要テーマでもある。国際共同研究プロジェクト「持続可能な食糧生産の実現を目指した国際農学共同研究基盤の構築」の代表を務める農学研究科の藤本龍准教授に、研究者としての歩みとプロジェクトの意義を語ってもらった。
社会実装も見据えた農学を志す
農学分野を選ばれた理由は何でしょうか。
藤本准教授:
高校時代、理科の中で物理より生物が得意だったこともあり、生物系の勉強をしようと考えました。そうなると農学部か理学部への進学を目指すことになりますが、農学部の方が応用、社会実装にもつながるのではないかと考えて、農学部を選びました。後々には、基礎研究を突き詰める理学部の研究スタイルにも魅力を感じることになりましたが。進学した東北大学農学部は入学後に学科を選ぶ形でしたが、当時から環境問題に関心のある学生は多く、私も砂漠の緑化などに取り組みたいと思い、植物の品種改良の研究を専攻することにしました。今でも将来の研究テーマになるかもしれないと思っています。
企業や行政への就職ではなく、研究者の道を志したきっかけは?
藤本准教授:
研究活動が非常にアクティブな研究室に入り、大学4年生から修士課程にかけて、研究に没頭しました。その期間で研究が楽しくなり、継続して研究を続けたいと考えるようになり、また、修士の段階で就職しようとすると、コミュニケーション能力など研究実績以外の要素で評価されてしまうので、「自分が積み上げてきた研究によって仕事が決まらないのでは報われない」と思い、博士課程に進むことを決断しました。修士の段階で就活をしなかったことで、研究者を目指すことが決まりましたね。当時は今以上に、博士号取得者を企業が採用することはありませんでしたから。
基礎から応用まで幅広く
どのような研究に取り組んでこられたのですが。
藤本准教授:
学部4年生から博士課程までの学生・院生時代は、「アブラナ科植物の自家不和合性」を研究しました。白菜などのアブラナ科植物のめしべは自分の花粉は拒否し、昆虫などが運んできた他の個体の花粉でないと受粉しないのです。この現象を「自家不和合性」といい、遺伝的多様性を維持するためだと考えられています。めしべが自分の花粉と他の個体の花粉の違いをどのように認識して、そのような現象が起こるのかを分子レベルで解明する研究に取り組みました。
その研究の過程で、遺伝子の塩基配列が同じでも違った形質が発現するエピジェネティクス(遺伝子修飾)に興味を持ち、その分野の第一人者がおられる国立遺伝学研究所(静岡県)でエピジェネティクスの基礎研究に取り組み、理学部的な研究の魅力を知りました。その後、オーストラリアの連邦科学産業研究機構(CSIRO)で、同一種あるいは異種間の交雑で生まれた雑種第一世代が、両親よりも優れた形質を示す「雑種強勢」の研究を始め、帰国後就職した新潟大学では雑種強勢のほか、植物の耐病性、花を咲かせるタイミングを決める春化の研究に取り組みました。
帰国後の研究を通じて、社会実装にもつながる農学分野の研究の魅力を再認識し、遺伝子レベルの基礎研究の経験も生かしながら、基礎から応用につながる研究に取り組んでいます。
現在力を入れている研究テーマを教えてください。
藤本准教授:
現在は「雑種強勢」を研究しています。植物の収量増加に貢献することがよく知られていますが、動物も含む幅広い生物でみられる現象です。ところが、その分子機構はほとんど明らかになっていないので、分子生物学的な研究に取り組んでいます。
また、学生時代から研究対象にしているアブラナ科植物の「分子育種」にも取り組んでいます。品種改良を行う際に重要となる、色、形、収量、耐病性などの形質に結びつく遺伝子を特定し、DNAレベルで優良な候補を選ぶことを目指しています。そのためのDNAマーカーを作ることで、育種の効率化、加速化に貢献できると考えています。
遺伝子機構の解明で品種改良に貢献
国際共同研究プロジェクトの内容、狙いは?
藤本准教授:
世界人口増加に対応するための食料増産や地球温暖化が進んでも安定した生産を可能にする品種改良が求められています。私たちは、日本国内だけでなく世界のニーズに応える品種開発を目指します。
主な研究テーマは、▽雑種強勢の分子機構の解明と食料生産の安定、▽野生イネから栽培イネに至る遺伝子変異の解明とさらなる収量性向上、▽コムギいもち病の拡散を防ぐための抵抗性育種、▽野生種の有用遺伝子導入による品種改良=遺伝資源プレブリーディングーーの4分野です。
収量の多い新品種などの開発は、10年程度の時間をかけて栽培を繰り返しながら優れた品種を選抜していく必要があり、種苗会社や公的研究機関・試験場で行われるのが一般的で、大学単独で行うのは非常に難しいです。大学の研究者は収量増などの改良に結びつく遺伝子を探索し、発現する形質を実際の栽培前に予測するDNA診断によって、育種の効率化に貢献できると思います。
コムギいもち病は収量がほとんどゼロになる恐ろしい病気です。現在、病原性の強い菌が出現し、ブラジルやバングラデシュなどで猛威を振るい始めています。これがヨーロッパなどのコムギ主要産地に広がると、世界的な食糧危機につながりかねません。神戸大学にはまだコムギいもち病が注目されていなかった時から取り組んできた研究者がおり、野生コムギや遠縁のイネ科植物に眠る抵抗性遺伝子を探索・単離し、コムギの実用品種に導入することで抵抗性育種を図ります。
温暖化などの営農環境の変動に対応し、病害にも強い品種改良に貢献することで、食料の安定生産、「飢餓のない次世代」の実現を目指します。
共同研究で国際発信力を強化
オーストラリア、ジョージア、メキシコ、英国、ドイツ、ミャンマー、カンボジア、中国、韓国など10か国近い国々の研究者と共同研究する意義は何ですか。
藤本准教授:
同じ研究課題に興味を持っている世界の優秀な研究者といっしょに取り組むことで、互いの強みを生かした相乗効果が期待できます。ジョージアは多くのコムギの遺伝子資源を持っていますし、ドイツ、メキシコもコムギの研究が活発です。ミャンマー、カンボジアには栽培イネの祖先種である野生イネが豊富にあります。これらに潜む未知の有用遺伝子を探し出し、その情報を使った東南アジアでのイネの品種改良が期待されます。私がかつて研究していたオーストラリアとは雑種強勢の研究を継続しています。中国、韓国は白菜などアブラナ科の研究が盛んです。
神戸大学独自の研究助成をいただきましたので、学生を含む研究メンバーを海外に派遣し、実際に共同研究者と会うなどして、多くの研究者との交流を深めるつもりです。このような機会を通じて、国際的な研究者を目指す学生が一人でも出てきてくれればと期待しています。
また、このような交流を通じて新たな研究アイデアの発見、さらには国際共著論文の発表につながっていくと思います。
中長期の研究目標をお聞かせください。
藤本准教授:
世界的な視点で研究を深めていきたいと思います。日本の研究者は国際発信力が強くありません。例えば私の研究対象であるアブラナ科植物の研究者は国内に多いのですが、世界に発信している人は少ないのです。私はオーストラリアで研究生活を送ったこともあり、国際共著論文の執筆を意識して続けてきました。国際的発信に関してはアドバンテージがあるので、続けていきたいと思います。
今回の国際プロジェクトには農学研究科の中堅・若手の同僚4人で取り組みます。農学研究科・農学部では若手中心のオープンな勉強会「インターゲノミクス」が20年以上続いていて、年3~4回のペースで著名な研究者を招いてセミナーを開くなどしています。そのような場のつながりが、今回の研究プロジェクトチームの結成につながっているので、「インターゲノミクス」の立ち上げに関わられた先生方には感謝していますし、これからも研究科内の連携を大事にしていきたいですね。
研究者略歴
2006年3月 | 東北大学大学院農学研究科応用生命科学専攻博士課程修了 博士 (農学) |
2006年4月~2008年10月 | 国立遺伝学研究所 博士研究員 (日本学術振興会特別研究員 (PD)、情報・システム研究機構国立遺伝学研究所博士研究員) |
2008年11月~2011年5月 | CSIRO Plant Industry (オーストラリア) 博士研究員 (日本学術振興会特別研究員 (PD)、日本学術振興会海外特別研究員) |
2011年6月~2013年8月 | 新潟大学大学院自然科学研究科・助教 |
2013年9月~現在 | 神戸大学大学院農学研究科・准教授 |