神戸大学大学院人間発達環境学研究科の林 創 (はやし はじむ) 教授らは、サセックス大学のRobin Banerjee教授との国際共同研究において、自分に対する印象を操作する「自己呈示」のことばを解釈する際の発達による変化を検討しました。その結果、小学校に通う時期の子どもたちが年齢とともに、自己呈示者のふだんの実力に注意を向けて、その人の評価をするようになることが明らかになりました。この知見は、子どもの他者とかかわる力を高めていく指導を行う上で見逃しやすい点であり、有用な情報となると考えられます。
この研究成果は、3月22日に国際学術雑誌「Journal of Experimental Child Psychology」に掲載されました。
ポイント
- 私たちは、他者からの評価を高めよう (自己高揚) としたり、控えめに見せよう (自己卑下) としたりして、自分の印象を操作する「自己呈示」を頻繁に行っている。
- 自己呈示者に対する能力と性格の評価は、児童期 (小学生の時期) に大きな変化があり、自己呈示者のふだんの実力 (得意or苦手) が両者の評価に影響した。
- ふだん苦手な状況において、7~8歳頃までの子どもは、他者が自己高揚をしたときの方が自己卑下をしたときよりも、その人の能力を高く評価した。この年齢を過ぎると、他者が自己高揚をしたときの方が自己卑下をしたときより、その人の性格を低く評価する様子が顕著になった。
研究の背景
人は誰でも、他者が自分のことをどう思うかを気にして、自分の印象を操作しようとすることがあります。このような行動は、「自己呈示 (self-presentation)」と呼ばれ、代表的なものとして、他者からの評価を高めようとする「自己高揚 (self-enhancement)」と、自分を控えめに低く見せようとする (謙遜する)「自己卑下 (self-deprecation)」があります。
これまでの発達心理学の研究から、主に児童期 (小学生の時期) に、自己呈示に対する評価や理解が進むことが明らかになっています。典型的な方法は、「何かをよくできたり、うまく行ったりした (例:速く走った、絵を上手に描いた) 主人公が、相手から「すごいね!」や「うまいね!」などと褒められた後、自己高揚的もしくは自己卑下的反応をする」というお話を子どもに提示して、(相手から見た) 主人公の能力や性格 (良い人か悪い人か) などを評価してもらう、というものです。このとき、主人公のふだんの実力 (例:走るのが得意/走るのが苦手) の情報は与えられず、不明でした。しかし、他者を信頼するかどうかは、その人のふだんの行動や実力が鍵を握ることが多いですし、事故にあって怪我したのは、ふだんの行いが悪かったからかもしれない、などと考えてしまうこともあります。このように、私たちは、ふだんの行動や実力、性格などをもとに、他者に対する評価や判断を行っています。このことを自己呈示に当てはめると、ある場面でよくできたとしても、ふだん得意な場合と苦手な場合では、自己呈示のことばの解釈が異なるはずです。
たとえば、主人公が「かけっこ」で速く走って1位になり、相手から褒められた後、主人公が自己卑下的な発話 (「たまたまだよ」) をしたとしましょう。ふだん走るのが苦手な主人公が、思いがけず1位になったのであれば、その発言は「真実」です。それゆえ、自己卑下的反応に対して、誠実さなどの良い印象を持つことでしょう。これに対して、ふだん走るのが得意な主人公が、いつも通り1位になったのであれば、その発言は「虚偽」です。したがって、謙遜が鼻について、やや不快な印象を受けるかもしれません。
同様に、速く走って1位になり、相手から褒められた主人公が、自己高揚的な発話 (「うん、走るのが得意だからね」) をしたとしましょう。ふだん走るのが得意で、いつも通り1位になったのであれば、その発言は「真実」ですが、自慢げに感じて心地よい印象を持たないかもしれません。ふだんは走るのが苦手な主人公が、たまたま1位になったのであれば、その発言は明らかな「虚偽」ですので、相手はより良くない印象を持つことでしょう。
そこで本研究では、自己呈示に対する評価が、自己呈示者のふだんの実力によって、年齢とともにどのように変化するかを検討しました。
研究の内容
参加者
小学2年生 (7~8歳) 60人、5年生 (10~11歳) 61人、大人63人
課題と手続き
類似した2つのお話で構成された4場面を用意しました (Figure 1, 2)。
各場面の一方のお話 (Figure 2では、お話①) では、主人公が何かをする (例:走る) のがふだん得意で、ある日も同様に良い結果になりました (例:速く走り、1位になりました)。もう一方のお話 (例:Figure 2では、お話②) では、主人公がふだんは苦手ですが、ある日は思いがけず良い結果になりました。その後は共通で、相手が「すごいね!」と褒めたところ、主人公は「得意だからね (得意なのよ)」という自己高揚的反応、もしくは、「たまたまだよ (たまたまよ)」という自己卑下的反応をしました。
4場面のうち2場面では主人公が自己高揚的反応をしました。残りの2場面では主人公が自己卑下的反応をしました (各反応の2場面で、主人公と相手の性別を入れ替えています)。
各場面で事実確認の質問をした後、2つのお話それぞれについて、以下の評価をしてもらいました。
「能力評価」 (例:お話①で、すみれさんは、まさやくんのことを どれくらい走るのが得意だと思うでしょうか、それとも苦手だと思うでしょうか?) を、7段階 (3:とても得意、2:まあまあ得意、1:少し得意、0:どちらでもない、-1:少し苦手、-2:まあまあ苦手、-3:とても苦手) で回答してもらいました。
「性格評価」 (例:お話①で、すみれさんは、まさやくんのことを どれくらい良い人だと思うでしょうか、それとも、悪い人だと思うでしょうか?) を、7段階 (3:とても良い、2:まあまあ良い、1:少し良い、0:どちらでもない、-1:少し悪い、-2:まあまあ悪い、-3:とても悪い) で回答してもらいました。
結果
能力評価と性格評価のいずれでも、自己呈示者のふだんの実力による影響がありました。
能力評価
ふだん得意という状況では、大人のみ、自己卑下の方が自己高揚よりも能力に対する評価が低くなりました。このことは、ふだん得意で、いつも通りよくできたのに自己卑下する (謙遜する) と、大人に対して能力が低く見えてしまうというマイナスの効果があることを示唆します。これに対して、ふだん苦手という状況では、小学2年生のみ、自己高揚の方が自己卑下よりも能力に対する評価が高くなりました。このことは、ふだん苦手なのに、思いがけずよくできて自己高揚することは、低年齢の子どもに対しては、自分の能力をより高く見せる効果があるといえそうです。
性格評価
ふだん得意という状況では、小学2年生は、全体的に小学5年生や大人より、主人公の性格を好意的に評価したものの、どの年齢でも自己高揚と自己卑下の間に差が見られませんでした。このことは、ふだんは得意で、いつも通りよくできたのに自己卑下 (謙遜) しても、自分をより良い人に見せる効果がないことを示唆します。これに対して、ふだん苦手という状況では、どの年齢層でも自己高揚が自己卑下よりも評価が低く、その差は小学2年生から5年生にかけて顕著に大きくなりました。自己卑下では年齢による変化がなかったため、この差は自己高揚の評価の大きな低下によるものでした。このことから、ふだん苦手なのに、思いがけずうまくいって自己高揚することは、とりわけ年長の子どもや大人に対して、自分があまり良い人でないように見えてしまうというマイナスの効果があります。
全体的には、2年生はどちらの評価でも、それ以降の年齢と比較してポジティブな評価でした。また、各年齢層のいずれの自己呈示でも、性格評価の平均値が0 (中立) を下回りませんでした。大人だけでなく子どもにおいても、たとえ、思いがけず上手くいって自己高揚するという虚偽であっても、悪い人だとまでは感じなかったようです。
今後の展開
何かを上手く行って他者から褒められることは、大人はもちろん、子どもにおいても日常的によくあることです。このとき、ふだんの自分の実力がどの程度であるかをふまえて反応しないと、相手が抱く印象が大きく変わりうること、そして、そのような変化は、10歳頃までに顕著に見られることが明らかになりました。言い方を変えると、本研究の結果は、同じ相手のことばでも、2年生と5年生では違って知覚し、相手を評価するということを意味します。これは、小学校低学年頃までの子どもでは、些細なことで喧嘩が起こったり、コミュニケーションの齟齬が生まれたりする一因につながると言えそうです。大人がこのことを知っているか否かで子どもへの対応が異なることになるため、教育的にも重要な知見と考えられます。
用語解説
自己呈示
自己について、特定の印象を他者に与えるためになされる行動のことで、言語行動だけでなく、非言語行動も含まれる。印象操作のうち、自己に対する印象を操作する行動とされる。(『有斐閣現代心理学辞典』より引用、一部改変)。
謝辞
本研究は、JSPS科学研究費補助金 (JP19KK0309) の支援を受けました。
論文情報
タイトル
DOI
10.1016/j.jecp.2024.105886
著者
Hajimu Hayashi, Ayumi Matsumoto, Tamano Wada, Robin Banerjee
掲載誌
Journal of Experimental Child Psychology