「コロナ禍で失ったものを取り戻す」。昨年11月に開かれた神戸大学の「六甲祭」は、学生たちのそんな思いが込められていた。入場者や飲食の制限がない学園祭は、2019年以来、実に4年ぶりだった。
実行委員長を務めた岸佑一朗さんは「完全復活のスタートを切ることができました。協力してくれた方々への感謝の気持ちは、言葉にできないほどです」と笑顔を見せる。約1年間、約200人の実行委員会を率いてきた。2日間の六甲祭を無事に終え、充実感と安堵感が漂う。
生粋の神戸っ子だ。須磨学園高校 (神戸市) を卒業後、いったんは私立大学に入学したが、翌年、神戸大学を再受験した。高校3年の受験時に完全燃焼できなかった悔いがあった。親にも伝えずに受験の準備を進め、費用はアルバイトでまかなった。工学部に合格した後、「神戸大学に入学したい」と初めて親に打ち明けた。
中学、高校の部活動ではテニスに打ち込んだが、大学ではスポーツ以外の活動に挑戦したいと考えていた。新入生歓迎行事で興味を持ったのが、学園祭を運営する学生団体「六甲祭実行委員会」だった。
「学園祭といえば著名人の講演会、というイメージ。その企画にかかわることができれば、貴重な経験になるだろうなと思いました」。まだコロナ禍の真っただ中だったが、六甲祭の伝統を途切れさせまいと汗を流す先輩たちの姿を見て委員会に入った。
卒業生や支援者から温かい励まし
44回目を迎えた六甲祭のテーマは「ABEKOBEKOBE~あべこべこうべ~」だった。コロナ禍の3年間は、20年が中止、21年がオンライン開催、22年も入場者制限などを余儀なくされ、そのマイナス分をプラスにひっくり返すという思いを「あべこべ」の言葉に込めた。
岸さん自身、1年の時にはオンライン開催を経験した。講演のゲストは神戸大学海事科学部の学生だった男性ユーチューバー、パーカーさん。視聴者は千人を超え、オンラインでも多くの人の協力で企画が実現することを肌で感じた。2年時は入場者数の制限があったものの、宝塚歌劇団出身の女優、紫吹淳さんの講演会を開くことができた。参加者が笑顔で帰っていく様子を目にし、次年度への意欲が沸いた。
先輩から受け継いだ伝統を先頭に立ってつなごうと、22年末、委員長に立候補した。委員会はコロナ禍以前の六甲祭を知らない年代ばかり、という状況での船出だった。
「平常時の開催を知るメンバーがおらず、先輩に経験を聞きました。でも、頭の中のイメージだけで準備するのはとても難しいことでした」
実行委員会は、大学側との折衝、協賛企業・団体の募集など外部とのやり取りも欠かせない。さらに今回は、財政面の苦労があった。オンライン開催時は協賛金を辞退したことなどもあり、運営資金はひっ迫していた。
そこで取り組んだのが、費用確保のためのクラウドファンディングだった。目標の100万円を超える寄付が集まり、卒業生や支援者からは「完全復活を祈っています」「開催し続けてくれてありがとう」など心温まるメッセージが相次いだ。六甲祭が多くの人の支えで成り立っていることをあらためて実感した。
誰もが意見を出しやすい雰囲気を大切に
11月11、12日の開催当日は、寒さが厳しくなった。それでも、2日間合わせて1万5千人以上が来場した。約80団体が出店した模擬店、芸人や学生たちのステージ、兵庫県出身の女優平祐奈さんの講演会―。会場は笑顔にあふれ、本来の六甲祭の姿が戻ってきた。
「寒い中でも、楽しそうに準備や片付けをしている実行委員会メンバーの姿が印象的でした。委員長をやってよかったと心から思いました」。同時に、コロナ禍の制限を受け入れざるを得なかった先輩たちの苦労にも思いをはせた。
実行委員長として、心掛けていたことがある。それは、誰もが意見を出しやすい雰囲気を作ること。自分個人ではなく、組織全体の意見で方針を決めていくことだ。チーム力を高めるために「同じ釜の飯を食う」ことを大切にし、後輩に積極的に声をかけた。
一方、外部の支援者らとのやり取りは、言葉づかいや社会人のふるまいを学ぶ貴重な機会になった。「当たり前のことをきちんとする。代表としてその点を意識しました」と話す。
後輩たちには「大学時代にしかできないことがある。とにかくチャレンジしてほしい」とエールを送る。そして「周りの意見に流されるのでなく、自分の意見を積極的に出して」と呼びかける。
実行委員長の役割を終えた今、大学院進学も含めて将来の進路を模索中。「どんな形か分かりませんが、今回の経験は必ず今後に生きると思います」。六甲祭という一大イベントのリーダーをやり遂げた自信が、前向きな言葉に表れている。
略歴
きし・ゆういちろう 2001年、神戸市出身。2021年、神戸大学工学部市民工学科入学。六甲祭実行委員会では、講演会などを企画する「室内企画局」を経て、委員長に就任した。座右の銘は「勝ちにこだわる」。自分自身にも周囲にも勝つ、という両方の意味を込めているという。神戸市在住。