神戸大学大学院医学研究科の野村淳学内講師(現客員准教授)、内匠透教授(現特命教授)らの国際共同研究グループは、「次世代染色体工学」と呼ばれる新しいゲノム操作法を確立し、自閉症の原因となるあらゆるゲノム変異の細胞モデルを作製する事に成功しました。これらの細胞モデルはES(胚性幹)細胞*1で作られているため、さまざまな細胞に分化させることができます。今後、これらの自閉症細胞モデルを利用して、自閉症*2をはじめとする精神疾患の病態解明が進み、新たな治療薬の候補が見つかることが期待されます。
この研究成果は、6月12日午前0時(日本時間)に「Cell Genomics」誌に掲載される予定です。

ポイント
- 次世代染色体工学と呼ばれる新しいゲノム操作法を確立した。
- 世界唯一の貴重な自閉症(精神疾患)ゲノム変異の細胞モデルコレクションを作製する事に成功した。
- 自閉症神経細胞特異的に、異常タンパク質産生を抑制する機構の破綻を発見した。
研究の背景
自閉症(自閉スペクトラム症)は、社会性コミュニケーションの低下、特定の物事への強いこだわりや繰り返し行動を特徴とする神経発達症(発達障害)ですが、発症要因も含め未だ不明な点が多いことから、自閉症一般に効果が認められる薬は存在しません。研究グループは、現在世界中で自閉症に関する研究が精力的に行われているにもかかわらず、自閉症研究に顕著な進展が見られないのは、基盤となる自閉症の生物学的なリソースの不足に起因すると考えました。実際、世界で用いられる生物リソースは、必ずしも同一の手法で開発されたものではない事から、必ずしも研究チームごとの結果は一致しません。もし、統一的な技術手法で作成した自閉症のモデル細胞コレクションがあれば、信頼しうる研究結果が得られ、ひいては停滞気味である自閉症研究、創薬にもブレイクスルーをもたらすのではないか、と考えました。
研究の内容
これまでの研究から、自閉症は遺伝要因(リスク(原因)遺伝子およびゲノムの変異)が発症に関与する可能性が示唆されています。わたしたちは、自閉症の原因として、コピー数多型*3と呼ばれるゲノム変異に注目しました。コピー数多型はヒトの多様性に関与するだけでなく、自閉症をはじめとする精神疾患の原因として知られています。また、コピー数多型はリスク遺伝子の変異に比べて、遺伝的浸透率*4が高く、病態モデルとして適切であると考えられています。ヒト遺伝学的解析の結果、多くのコピー数多型が報告されてきました。その数は数千例以上に及びますが、その対象となる染色体、ゲノム領域は2桁(100箇所未満)の数にとどまる事がわかりました(図1)。これらの網羅的的なコピー数多型のモデルを作製するために、最初に、従来の発生工学(ES技術)に基づく染色体工学*5にゲノム編集技術*6を組み合わせることにより、より簡便な「次世代染色体工学」を開発しました。

ゲノム編集技術をベースとしたゲノム改変技術である次世代染色体工学を用いることで、マウスES細胞のゲノムを改変し、自閉症と相関するゲノム変異を有する細胞を網羅的に(63種類)作製しました。世界的にも類を見ないこれら自閉症細胞コレクションは、同質遺伝子的(アイソジェニック)な細胞系譜(ライン)として、実験結果を担保する有用なバイオリソースと考えられます。これに加え、各細胞が有する詳細な遺伝情報(データベース)が伴えば、バイオリソースとしてだけなく、生物情報としても価値を伴う理想的な細胞コレクションといえます。わたしたちはこの点も注視し、神戸大学のサーバーを通じて情報を公開しています(図2)(https://www.med.kobe-u.ac.jp/asddb/)。

マウスES細胞はマウス胚盤胞*7に注入することにより、コピー数多型(染色体異常)のモデルマウスを作製することができます。例として、染色体15q13.3欠損のES細胞モデルからモデルマウスを作製することに成功しました。本モデルマウスの行動解析の結果、社会性行動異常などの自閉症に特有の行動が観察されました。
自閉症創薬の阻害要因として一般に挙げられるのが、自閉症の複雑性にあります。実際、遺伝要因が自閉症の発症に関与する可能性はこれまでの遺伝学研究から示唆されています。しかし、自閉症リスクとされる遺伝子の機能はバラバラで、どの細胞が自閉症表現型の原因なのか、またどの細胞内シグナルが創薬のターゲットとなりうるのかも、はっきりとした統一的見解が出ていません。しかし、研究グループの自閉症細胞コレクションを用いることで、少なくとも「どの細胞種の、またどの細胞シグナルが自閉症で共通して変異しているか」という問いに答えることができました。実験には、変異を有さないマウスES細胞とゲノム変異を持つES細胞12種類を用いて神経系に分化させ、シングルセルRNAシークエンス*8の技術を用いて一細胞ごとの遺伝子発現パターンを解析し、どの細胞種でどのような遺伝子の発現が顕著に変動しているか、詳細な解析を行いました。バイオインフォマティクスによる多面的な解析結果から、自閉症に関与するゲノム変異を有する細胞は、細胞種にかかわらずタンパク質合成に関わるシグナルに異常が集積する可能性が示唆されました。さらに、タンパク質の合成制御に関わるステップを一つずつ詳細に解析したところ、異常なタンパク質合成を抑制するシステムの一部を構成する遺伝子(Upf3b)の発現が自閉症細胞モデルに共通して発現が減少することを突き止めました(図3)。興味深いことに、この現象は神経細胞でのみ認められたことから、自閉症患者の脳内では神経細胞特異的に異常タンパク質産生を抑制するシステムが機能していない可能性が示唆されました。

今後の展開
今後、研究グループが開発した細胞コレクションとデータベースによる両面から、自閉症創薬への展開を視野に入れた橋渡し研究が進展するものと考えられます。また、神経細胞特異的な「異常タンパク質産生抑制メカニズムの機能低下」のメカニズムと自閉症表現型との相関関係は、ヒト細胞のみならず、自閉症モデル動物を用いた脳内の時空間的解析が期待されます。
今回は自閉症コピー数多型を中心に収集しましたが、これらの病的コピー数多型は、興味深いことに統合失調症や双極性障害などの他の精神疾患の原因とも共通した領域になっており、今回の細胞モデルは広く精神疾患の細胞モデルとして利用することが期待されます。さらに、今後はヒトES細胞モデルに展開することにより、より精神疾患の病態解明が進展するものと考えられます。
用語解説
*1 ES細胞(胚性幹細胞、Embryonic Stem Cell)
発声初期の胚盤胞から取り出された、あらゆる細胞に分化できる多能性幹細胞
*2 自閉症(自閉スペクトラム症)
自閉症は神経発達症のひとつであり、主な行動特徴として社会性コミュニケーションの低下、特定の物事への強いこだわりや繰り返し行動を示す。自閉症者では多様な種類の遺伝子変異やゲノム異常が報告されているが、未だ多くの自閉症は原因が不明である。
*3 コピー数多型
ゲノム上の領域が重複したり、欠損したりしてコピー数に変異を起こす染色体異常。通常は2倍体のため2コピーであり、これが3コピーになったり1コピーになったりする。
*4 遺伝的浸透率
ある遺伝子変異を持つ人が、その変異に関連する病気や状態を発症する割合
*5 染色体工学
Cre-loxPシステム(loxP配列と呼ばれるDNA配列に対してDNA組換え酵素Creが働くことにより生じる部位特異的組換え反応を利用した遺伝子組換え技術)を利用して、ES細胞において、対象ゲノム領域を人工的に重複・欠失させる方法
*6 ゲノム編集技術
部位特異的ヌクレアーゼと呼ばれる酵素を利用して、標的遺伝子を改変する技術
*7 胚盤胞
受精卵が細胞分裂を繰り返し、着床できる状態に変化した胚のこと。胚盤胞に変化した受精卵が子宮内膜に着床することで妊娠となる。
*8 シングルセルRNAシークエンス
次世代シーケンサを用いて、個々の細胞が保持しているmRNA全体を網羅的に調べる方法
謝辞
本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(S)、基盤研究(A)、学術変革領域研究(A))、日本医療研究開発機構・脳とこころの研究推進プログラム(精神・神経疾患メカニズム解明プロジェクト)、科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業・目標9、武田科学振興財団特定研究助成、武田薬品工業などによる支援を受けて行いました。
論文情報
タイトル
DOI
10.1016/j.xgen.2025.100877
著者
Jun Nomura, Amila Zuko, Keiko Kishimoto, Hiroaki Mutsumine, Hiroko Maegawa, Kazumi Fukatsu, Yoshiko Nomura, Xiaoxi Liu, Nobuhiro Nakai, ES library team, Eiki Takahashi, Tsukasa Kouno, Jay W. Shin, Toru Takumi*
ES library team; Chika Maeda, Yuriko Kusakari, Takashi Arai, Ikue Shibasaki, Ayaka Homma, Kaori Yanaka, Keigo Matsuno, Emilia Bergoglio, Yuki Sakai, Qalam Eusuf, Mizuki Seki, Roberta T Fresia, Sawako Furukawa, Kana Yamamoto, Piero Carninci, Shigehiro Kuraku, Takashi Yamamoto
掲載誌
Cell Genomics