立石径さん

将棋界では伝説の人だ。神戸大学医学部の卒業生で、小児科医の立石径さん。小学6年でプロ棋士の養成機関「奨励会」に入り、将来を期待されていたが、17歳で突然退会した。そして、約30年の時を経た今、再び将棋の世界へ。全日本アマチュア将棋名人戦に兵庫県代表として出場するなど、長いブランクを感じさせない戦いぶりで、さらなる高みを目指す。医師とアマ棋士の二足のわらじで活躍する立石さんに、人生の第二幕を歩み始めた思いを聞いた。

将棋を指すのがつらかった中学時代

将棋を始めたのは比較的遅く、小学3年だった。当時住んでいた大阪府堺市で、夏休みに開かれた将棋体験教室に参加したのがきっかけだ。ルールを知っている程度だったが、周囲が驚く速さで実力をつけ、小学4年のときには奨励会への入会試験を受けるよう勧められた。

小学6年で入会試験に合格し、プロ棋士を目指すエリート集団の中での戦いが始まった。奨励会では規定の成績を残し、昇格していかなければプロ(四段以上)にはなれない。中学時代、父親からは「学校の勉強はしなくていい。高校も行かなくていい」と、将棋に専念するよう言われた。棋士には中卒も多い時代。しかし、自身は「勉強したい」という気持ちが強く、大学進学も望んでいた。

師匠の有吉道夫九段(故人)の勧めもあって高校に進学したものの、周囲の期待は高く、学校の勉強をすることが後ろめたかった。結局、高校は2カ月で中退した。

「中学2年ごろからは苦しかったですね。何が何でも勝ちたいという思いがなく、勝負師には向いていないと感じました。勝つとうれしいのではなく、周囲の目があるので『負けなくてよかった』と安心する。そんな屈折した感じでした」

プロの一歩手前となる奨励会最高峰・三段リーグで戦ったが、気持ちはすでに将棋から離れていた。師匠に辞めると伝えたのは17歳のとき。奨励会では26歳までに四段になれなければ退会という規定があるが、その年齢制限を大幅に下回る異例の決断だった。

「将棋を指すことがつらかった。もう戻るつもりはありませんでした」。将棋界では驚きをもって受け止められ、以後、立石さんは「伝説の三段」と言われてきた。

小児科医の目標に向かって神戸大学医学部へ

将棋を辞めたとき、小児科医という目標はすでに決まっていた。

「何の責任もないのに病気になって苦しむ子どもたちを助けたいと思っていました。将棋の世界には自分の役割を見いだせなかったけれど、小児科医という仕事には重要性を感じました」。身近に医療関係者がいたわけではないが、「子どもの未来を明るくしたい」という一途な思いがあった。

ただ、大学受験には苦労した。「当時は受験の制度をよく知らず、数カ月勉強すれば東大や京大の医学部に入れると思っていました」と苦笑する。人に教わるのが苦手で、受験勉強も膨大な参考書を読み込む独学が中心だった。神戸大学医学部に入学したのは、21歳のときだ。

大学入学後も、講義を聞くのは苦手だった。「先生の話の重要なポイントが分からない。だから成績は悪かったですね」。それでも学生生活は楽しかった。「神戸大学の学生は、ガリガリと勉強ばかりしている雰囲気ではなく、いろいろな人と触れ合えたのもよかった」と振り返る。

当時、立石さんの入学を知った将棋部から誘いがあったが、「まだ楽しんで指そうという気にはならなかった」という。卒業後は目標通り小児科医の道へ。10年間の病院勤務を経て、2012年、妻の実家がある兵庫県三田市で開業した。

 

自分の人生を納得できるものにしたい

愛用の扇子を手にする立石さん。「夢」は師匠の故・有吉道夫九段の書だ

再び将棋の世界に足を踏み入れたのは、約4年前。現在高校生の次男が小学6年のころ、将棋に関心を持ち始めたからだった。将棋アプリで対局を楽しむ息子の様子を見ながら、「自分も今なら楽しめるかもしれない」と思い始めた。

3年前からアマチュアの大会に出場するようになった。2023年の兵庫県アマ将棋名人戦では準優勝し、全国大会でベスト16に。将棋界では「あの立石さんが戻ってきた」と話題になった。今年は兵庫県で優勝を飾ったが、全国大会は惜しくも予選リーグで敗れた。

人工知能(AI)が活用される現代の将棋は、昔とは大きく違うという。「まだまだ力が足りない」と、オンライン対局サイトで強豪と戦い、各地の大会にも参加して腕を磨く。全国大会で優勝すれば、自身が17歳で将棋界を去った時の戦いの場、三段リーグに挑戦できるチャンスがある。とてつもなく厳しい道のりだが、そこからプロへの道も開かれている。

「自分にとって、将棋は趣味で終わらせるには重すぎる。夢のような話だけれど、もう一度三段リーグで戦い、できればプロも目指したい。自分の人生を納得できるものにしたい」。今年50歳。再挑戦の本番はこれからだ。

略歴

たていし・けい 1975年、大阪府堺市出身。11歳でプロ棋士養成機関「奨励会」に入会し、15歳で奨励会最高位の三段となったが、17歳で退会した。1996年、神戸大学医学部に入学し、2002年卒業。済生会兵庫県病院などを経て、2012年、三田市で「たていし小児科」を開業。神戸大学の後輩たちへのメッセージは「好きなことをとことんやってほしい。成し遂げられるかは分からないけれど、頑張ったことは人生の糧になる」。趣味はジョギング。

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