神戸大学大学院医学系研究科外科系講座麻酔科学分野の杉野太亮特定助教、岡田卓也助教、野村有紀准教授、小幡典彦教授らの研究グループは、全身麻酔が脳の神経活動に与える影響を詳しく調べ、麻酔薬ケタミンが一部の神経細胞を活性化するという特徴的な作用を明らかにしました。これまで全身麻酔は、脳の神経活動を全体的に抑えることで意識を低下させると考えられてきましたが、本研究により、神経細胞の種類によって異なる影響が生じることが示されました。特にケタミンでは、多くの神経活動が抑えられる一方で、一部の神経細胞では活動が高まるという特徴的な変化が確認されました。この成果は、麻酔による意識低下の仕組みの理解を深めるとともに、術後せん妄や精神疾患の発症機構の解明、さらにはケタミンの治療応用の理解にもつながることが期待されます。

本研究成果は、2026年3月20日に学術誌 iScience に掲載されました。

図:研究の概略図 ©杉野太亮ら, CC BY 4.0

 

ポイント

  • 全身麻酔薬は、すべての神経活動を一様に抑制するのではなく、神経細胞の種類によって異なる影響を与えることを明らかにした。
  • 特にケタミンでは、多くの神経活動を抑えられる一方で、一部の神経細胞(興奮性ニューロンや特定の抑制性ニューロン)を選択的に活性化するという特徴的な作用が確認された。
  • 本研究は、麻酔による意識低下の仕組みの理解を深めるとともに、術後せん妄や精神疾患の発症メカニズムの解明、さらにはケタミンの新たな治療応用への展開につながることが期待される。

研究の背景

全身麻酔は、手術中に患者の意識を失わせ、痛みや体の動きを抑えるために不可欠な医療技術です。しかし、「どのようにして脳の働きを変化させ、意識を低下させているのか」という仕組みについては、いまだ十分には解明されていません。これまで一般的には、全身麻酔薬は脳全体の神経活動を一様に抑制することで作用すると考えられてきました。

一方で近年になって、麻酔中であっても脳の活動が完全に停止するわけではなく、一部の神経活動は残る可能性が指摘されつつあります。特にケタミンは、他の麻酔薬とは異なり、幻覚様作用や抗うつ効果を示すことが知られており、その独特な作用機序に注目が集まっています。脳の働きは、興奮性ニューロンと抑制性ニューロンのバランスによって成り立っており、このバランスが崩れると意識障害や精神症状などが生じる可能性があります。そのため、麻酔薬がどの神経細胞にどのように作用するのかを明らかにすることは、麻酔の本質的理解だけでなく、臨床上も重要な課題です。

しかしこれまでの研究の多くは、脳全体の平均的な活動を評価する手法が中心で、個々の神経細胞や種類ごとの差異に着目した解析は限られていました。そこで本研究では、異なる種類の神経細胞に着目し、麻酔薬が脳の神経回路に及ぼす影響をより詳細に明らかにすることを目的としました。

研究の内容

本研究では、作用機序の異なる3種類の麻酔薬(イソフルラン、プロポフォール、ケタミン)が脳の神経活動に与える影響を比較しました。また、興奮性ニューロンに加え、抑制性ニューロンの代表的な2つのタイプであるパルブアルブミン(PV)ニューロン(強い抑制を担う神経)とソマトスタチン(SST)ニューロン(入力の調整を担う神経)※1に着目しました。さらに、生きた脳の中で神経細胞一つひとつの活動を可視化できる「2光子生体カルシウムイメージング」※2を用いて、麻酔中の脳内変化を詳細に観察しました。

その結果、いずれの麻酔薬においても、脳全体としては神経活動が大きく低下することが確認されました。これは、これまでの「麻酔は脳の活動を抑える」という理解と一致する結果です。しかし一方で、すべての神経細胞が同じように抑えられているわけではないことが明らかになりました。特にケタミンでは、多くの神経細胞の活動が低下する一方で、一部の神経細胞では活動が増加するという特徴的な変化が認められました。この現象は他の麻酔薬ではほとんど見られませんでした。

さらに詳しく解析したところ、この活性化は神経細胞の種類によって異なり、SSTニューロンでは顕著に活動が増加する一方で、PVニューロンではそのような変化は認められませんでした。すなわち、同じ麻酔薬であっても、神経細胞の種類によって異なる反応が生じることが明確に示されました。

これらの結果から、全身麻酔は単に脳の活動を一様に抑えるのではなく、神経細胞ごとに異なる影響を及ぼしていることが明らかとなりました。

今後の展開

本研究により、全身麻酔が神経細胞ごとに異なる影響を及ぼすことが明らかとなり、麻酔による意識低下の仕組みをより詳細に理解するための基盤が得られました。今後は、こうした細胞ごとの反応の違いが、術後せん妄や意識障害の発症にどのように関与しているのかを解明する研究の進展が期待されます。また、ケタミンが特定の神経細胞を選択的に活性化する仕組みを明らかにすることで、抗うつ作用などの治療効果の理解にもつながる可能性があります。

用語解説

※1 PVニューロン、SSTニューロン

どちらも抑制性ニューロンと呼ばれる神経細胞の一種で、脳の情報処理のバランスを保つ働きをしている。PVニューロンは神経活動をすばやく強く抑える役割をもち、SSTニューロンは神経細胞に入る情報の調整に関わると考えられている。

※2 2光子生体カルシウムイメージング

生きた脳の中で、神経細胞一つひとつの活動を光で可視化して観察する方法。神経細胞が活動すると細胞内のカルシウム濃度が変化するため、その変化を利用して、脳の中でどの神経細胞がどのように働いているかを調べることができる。

謝辞

本研究は、JSPS科研費JP22K09022、JP23K08380およびJP25K12169の助成を受けて行われました。

論文情報

タイトル

“Subtype-specific modulation of inhibitory interneurons by general anesthetics”

DOI

10.1016/j.isci.2026.115140

著者

Taisuke Sugino1, Takuya Okada1, Yuki Nomura1, Riko Nakayama1, Midori Harada1, 2, Nobuhiro Nakai2, Norihiko Obata1, Satoshi Mizobuchi3

Division of Anesthesiology, Department of Surgery Related, Kobe University Graduate School of Medicine, Kobe, Hyogo, Japan

2 Department of Physiology and Cell Biology, Kobe University Graduate School of Medicine, Kobe, Hyogo, Japan

3 Division of Anesthesiology, Sanda City Hospital, Hyogo, Japan

掲載誌

iScience

報道問い合わせ先

神戸大学企画部広報課
E-Mail:ppr-kouhoushitsu[at]office.kobe-u.ac.jp(※ [at] を @ に変更してください)

研究者