「味覚」は、私たちに身近でありながら、いまだに謎が多い。神経科学、工学、心理学、食品科学など、分野の異なる研究者が集まるテーマでもある。食品科学を専門とする農学研究科・藍原祥子助教に、自身の研究の現在地と今後の展望、異分野共創の可能性と、その課題について聞いた。
体の状態と味覚
これまでの「味覚」に関する研究で、具体的には何が解明されましたか。
藍原助教:
食品成分がどのように人に作用しているかを研究し、中でも「味」を切り口にしています。もともとは農芸化学の出身で、化学物質から生き物を見るという考え方が土台にあります。手法として、動物や培養細胞を使った実験に、食品成分の分析を組み合わせています。私たちが食べ物を選ぶ時、あるいは選んだ後、「味」がどう関わっているのかに迫っています。わかりやすく言えば、「おいしさ」を研究しています。
味覚は、体に合うものを選び取る手がかりです。同時に、その場では食欲を引き起こします。だからQOL(Quality of Life=生活の質)に大きく関わります。今後さらに高齢化が進み、病気で入院する人が増えるでしょう。おいしく食べることが難しくなった人に、おいしく食べられるものや方法を提供できるようになればいいと考えています。元気でない人のQOLを上げるにはどうすればいいのか、また、元気な人が元気でいるにはどうすればいいのか、研究を応用できればいいと思っています。
今研究しているのは、その人の栄養状態が味覚にどう影響するか、ということです。体の状態が変われば、味の感じ方も変わる。そういう仮説を立てて、足かけ10年ほど、研究を進めてきました。
味を感じる仕組みは、私たちの体を維持するために働いています。たとえば空腹になると、甘味への感受性が高まります。糖を含むものを見つけやすくなり、口にできるものの幅が広がるわけです。逆に苦味には鈍感になり、普段なら避けるものも食べられるようになります。血液中にナトリウムが足りなくなると、複数のホルモンが時間差で働いて、塩味の感じ方が段階的に変わっていきます。つまり味覚は、栄養状態を絶えずよい方向へ保とうとする、身体の巧妙な仕組みの一端を担っているのです。
私の研究の一つとして、微量ミネラルの欠乏が味覚を変えるメカニズムを解析しています。マウスでは鉄が欠乏して貧血の状態になると、酸味への感受性が下がることがわかってきました。
興味深いことに、人でも示唆的な報告があります。妊婦は鉄が不足して貧血になりやすく、同時に酸っぱいものを欲することが多いです。このとき、酸味を感じにくくなっている、とも言われます。なぜ酸味を鈍らせることが体に良いのか。鉄の吸収にはビタミンCが必要で、ビタミンCも酸っぱいです。酸味を感じにくくすることで、酸っぱいもの―ビタミンCを含む食品―をより多く摂れる。結果として食品の中の鉄分を吸収しやすくなる。そういう体の仕組みがあるのではないか、と考えています。
別の研究では、抗生物質による味覚の変化を解析しています。抗生物質を与えて腸内細菌を攪乱(かくらん)すると、マウスはより低い濃度の甘味にも反応するようになりました。ところが味蕾(みらい=主に舌にある味を感じる器官)や受容体の量には目立った変化がなく、変化は腸からの入力や、中枢からの調節にあると考えられます。
この味の感じ方が変わるきっかけを突き止められれば、それを人為的に操作して、感じ方をこちらから変えられるかもしれません。たとえば甘味への感受性を高めてやれば、砂糖を減らしたチョコレートでも十分に甘いと感じられる。食べ方を変えなくても、摂る砂糖の量は減らせる、ということになります。
その「きっかけ」の本命として、いま私が注目しているものが、「腸内細菌叢(そう)」、いわゆる「腸内フローラ」です。
腸から味覚に働きかけられるか

先生が研究代表者を務める「腸内細菌叢(腸内フローラ)を介した食事―味覚感受性相互作用の分子機構の解明」というのが、その研究に当たりますか。
藍原助教:
はい。そうです。私たちの腸内には、体をつくる細胞とほぼ同じ数、およそ40兆個もの細菌がすんでいます。本研究では、腸内細菌叢の変化が、味覚感受性と食選択に与える影響を調べ、その分子レベルでのメカニズムの解明を目指しています。
自然界にある食べ物が私たちの体にどう効くのか、これまでは食物と体の関係だけを見てきましたが、いまはその二つの間にある腸内細菌に注目しています。この20年間で技術が大きく進み、以前は一つの遺伝子を読むのに数カ月もかかっていたのが、今では桁違いに速く読めるようになりました。腸の中にどんな細菌がどれだけいるかを、まとめて調べられる。おかげで、体と腸内細菌と食物という三者の相互作用を、一度に見渡せるようになったのです。神戸大学の農学研究科に腸内細菌叢を専門にする研究者がいますので、一緒に研究を進めています。
具体的には、まずマウスで実験しています。ヨーグルトや納豆のように菌そのものを含む「プロバイオティクス」、オリゴ糖や食物繊維のように菌のエサになる「プレバイオティクス」など、与えるものを変えると、腸内細菌叢の構成が変わります。私たちが食べたものを体の中で作り変えて使うように、腸内細菌も、取り入れたものを別の物質に換えています。これを代謝と呼びます。菌の代謝産物を私たちが利用する場合もあれば、それが良くないものであれば私たちの体がダメージを受けることもあります。そこで、与えるものを変えながら、腸の中でどんな物質がどれだけ作られるかを調べていきます。
あわせてマウスには、いろいろな味の水溶液を濃度を変えて舐めさせ、決まった時間内にどれだけ舐めるかが濃度によってどう変わるかを記録します。最後に腸内細菌の構成を調べ、舐め方の変化と付き合わせて、菌叢の変化と味の感じ方の関係を見ています。
解析では、数千の配列パターンと数百種類の代謝物を同時に扱います。たった一つの物質では説明がつかないと予想しますが、味覚に影響を与えているものが何かを突き止めたいと思います。その応用という意味では、それらの増減をどうしたら制御できるのかを探していくことになります。マウスでの実験がうまくいけば、人での研究も進めたいです。
平たく言えば、お腹の状態が変われば、味の感じ方も変わるのです。だとすれば、お腹の側から味覚に働きかける道もあるはず。そこを確かめたいと思っています。
甘味を好むマウス、甘味を感じないネコ
マウスで実験するといいますが、動物にも味覚があるのでしょうか。
藍原助教:
マウスも人間と同じく甘いものが好きで、苦いものが嫌いです。何の分子がどんなものに応答するのかが分かってくると、いろいろな動物種の味覚受容体と食性の繋がりが見えてきます。
これまで多くの研究者が調べた結果、ネコは甘味受容体の遺伝子が壊れていて、甘味を感じていません。ネコは肉食で、好んで糖を食べるわけではありませんから、壊れても困らなかったのでしょう。また、鳥類は甘味受容体を失っています。ところが、花の蜜や果実を利用する種がいます。ハチドリでは、うま味受容体が糖に応答するように変異していました。同じことがスズメの仲間でもマイコドリでも、別々に起きています。さらに面白いのは、キツツキの仲間のアリスイです。キツツキは糖とアミノ酸の両方を好みますが、アリばかり食べるようになったアリスイでは、いったん獲得した糖への応答が、たった一つの変異で失われ、アミノ酸への応答だけが残っていました。食べるものが変われば、味の受け取り方もそれに合わせて作り直されるのです。
苦味の方は、動物は毒かもしれないと判断すれば食べません。ただ、マダガスカルには青酸配糖体を大量に含む有毒な竹を主食とするキツネザルがいます。調べてみると、この化合物に応答する苦味受容体の反応が弱くなっていました。キツネザルでは摂り込んだ青酸が尿から排出されることはわかっていますが、なぜ中毒にならずに済んでいるのかは、まだ分かっていません。
このように、何を食べるのかということは、味覚と深くつながっているのです。
ASDと腸内細菌叢
自閉スペクトラム症(ASD)に関し、神経基盤の解明と新規治療法の開発を目指す学際的プロジェクトにも2025年から参加しています。学際的なプロジェクトのメリット、デメリットをどう感じていますか。
藍原助教:
近年、腸内細菌叢が脳機能や行動に影響することがわかってきて、「腸-脳相関」として注目されています。ASDでは、社会性の特性に加えて、感覚が過敏になったり鈍くなったりすることが知られています。感じ方が変わるというのは、私が味覚で追ってきたテーマとつながります。しかも腸から迷走神経を介して中枢に至り、島皮質という味覚にも関わる領域に影響が及ぶ経路が示唆されています。私は、ASDで報告されている腸内環境に着目して、食事と腸内細菌叢の相互作用がASDの病態に関与しうるのかを研究しています。現在までに、ASD患者で報告されている腸内細菌叢の特徴を一部再現できるマウスの食餌条件を見出しました。今後は、このモデルを用いて行動解析を行い、ASD様症状との関連を検証する予定です。
このプロジェクトのメリットは、農学だけでは踏み込めないところまで手が伸びることです。医学、工学、心理学と組むことで、動物実験で見えてきたことを人まで持っていく道筋ができます。一方で、分野ごとに考え方も用語も違うので、あいだを訳す作業がどうしても要ります。難しいのは、結果が出たあとより、その前です。何を明らかにしたいのかを共有しないまま実験を進めてしまうと、実験の組み立てが甘くなり、主張がぼやけてしまいます。それでも、自分の分野の中だけでは立てられなかった問いが立つのが、学際研究の面白さだと感じています。
もともと味覚の研究は学際的で、人の社会に応用するとなれば、なおさらです。可能な限り、連携の幅を広げていきたいと思っています。
「腹の虫」の声を聞く
今後取り組みたい研究は? 研究の最終的な到達点はどこにありますか。
藍原助教:
食嗜好と味覚の関係です。なぜ人によって食べ物の好みが異なるのか。その違いを、遺伝的背景(遺伝子上の違い)だけでなく、食生活の履歴といった後天的な要因からも、どこまで説明・予測できるのか。そこに興味を持っています。私たちがどんなふうに食の好み、味の感じ方の違いを形成してきたのかを、解き明かしたい。その人の好みのうち、どこまでが体の要求で、どこからが暮らしの中で身についたものなのか。そこを切り分けたいのです。
「腹の虫」の声を、もっと上手く聞けないだろうか、と常々思っています。
私たちは長い進化の過程で、生きるために必要なものを食べる仕組みを獲得してきました。その仕組みは、いまも同じように働いていますが、前提としているのは食べ物が乏しい環境です。豊富に手に入る現代とはかみ合いません。野生では過剰な肥満はまれですが、人も、人が飼う動物も太ります。さらに人間の場合は、何を食べるかが、栄養とは関係のない理由でも決まります。安いから、手近にあるから、みんなが食べているから。そうした事情から生まれる欲求で、体が出しているバランスをとるための信号が、かき消されてしまう。
食べ物、腸と腸内細菌、栄養状態と味覚の関係を理解することで、その人の体が本当に求めているものを、埋もれた中から聞き取れるようにしたいと考えています。
藍原祥子助教 略歴
2003年3月、東京大学農学部卒業。2005年3月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士前期課程修了。2008年3月、同研究科博士後期課程修了。博士(農学)。2008年6月~2011年5月、ネスレリサーチセンター(スイス)研究員。2011年8月より、神戸大学大学院農学研究科助教。

