4月30日はユネスコなどが提唱した「国際ジャズ・デー」。今年は日本で初めて神戸でジャズのプロバンドが演奏した「神戸ジャズ100周年」にもあたることから、神戸大学とジャズとのつながりを紹介します。

「軽音楽部JAZZ」の伝統をつなぐOB会会長 秋田晃さん(59歳)

神戸大には「軽音楽部JAZZ」というジャズ好きが集まる部があります。60年近い歴史を有する軽音楽部は、ハワイアンから始まりフォーク、ブルースなどを経て、現在はJAZZとロックに分かれて活動しています。軽音JAZZはOB会も活発で、東京と神戸で年1回ずつ、演奏会を開催しています。2022年9月には、コロナ禍で2年遅れとなった創部55周年と長年顧問を務めた正司健一名誉教授の退官を記念する演奏会を神戸で開催しました。

2022年9月からOB会長を務める秋田晃さんは、高校生のときにラジオでマイルス・ディビスの「so what」を聴いてジャズの虜(とりこ)となり、ジャズ歴は40年を超えます。学生時代はバンドを組んでひたすら練習に励み、卒業後も神大や関学、阪大OBによるビッグバンドやピアノトリオを結成して演奏活動を続けています。約6年前に東京に単身赴任した後も、東京や神戸で月3~4回のペースで演奏し、「ちょっとでもうまく演奏したい」と、週3日は会社帰りにスタジオでドラムの練習を続けています。

秋田さんは、ジャズの魅力について「学生や若者から大先輩、海外の人まで、好きな曲や知っている曲が共通で、世代を超えて一緒に楽しく演奏できます。OB会にも70歳以上の方が参加しています。会長として、この伝統を受け継ぎいで次の世代につないでいきたいですね」と、話していました。

仕事と子育てとジャズと 桐村美代さん(38歳)

仕事ともうすぐ2歳になる息子さんの子育てで忙しい毎日を送りながら、年に数回の演奏活動を続けている桐村美代さんも、軽音学部JAZZ出身です。ジャズとの出会いはまさに大学に入学したとき。新入部員を勧誘する軽音の演奏を聴き、カッコよくて入部を決めました。中学高校で演劇を経験し声が出しやすかったことから、ボーカルに転向しました。

あるとき、ライブハウスの生演奏の歌に感動し、演奏後に焼き肉に誘われて行ったボーカルの溝口恵美子さんの家で、焼き肉を食べ終わるころには溝口さんに弟子入りしていたといいます。桐村さんは「若気の至りで怖いなあと思いますが、たくさんのボーカリストを聴いてきた今も、師匠になってほしいのは音楽に対する姿勢が真っすぐで表現力が豊かな溝口さんです。巡り合わせは不思議だなと思います」と振り返ります。

ジャズとの付き合い方について「ずっと楽しみを与えてくれるジャズの存在には感謝しています。一生、演奏を続けていきたいですね。将来は、同じクラブ出身の夫と子どもと家族で演奏できたらうれしいです」と、話していました。

本格的なプロサックス奏者を目指す 唐治谷雄大さん(23歳)

もう1人、軽音楽部JAZZの若手OBを紹介します。唐治谷雄大さんは2022年9月に大学を卒業後、塾講師のアルバイトをしながらプロのサックス奏者として活動しています。あえて就職する選択肢を選ばず、「高校生のときからなりたかった」というプロの道へ踏み出しました。

ジャズとの出会いは小学校6年生のとき。クラスのリコーダー発表会の選曲「ルパン3世のテーマ」が難しく、クラスのみんなが吹けない中、練習を重ねて吹けるようになったことで、面白さを知りました。中学では吹奏楽部でサックスを担当し、高校生になってからは著名なプロ奏者の個人レッスンも受けました。

一方で、小学1年生から始めたテコンドーも3段の有段者で、子どものころから好成績を収めてメダルの入った箱が山積みだったそうです。大学1年生のときには「全日本学生テコンドー選手権大会」で優勝するなど、オリンピック出場を目指したことも。ただ、「現在のトップ選手を超えるのは難しい。練習が苦手だし、甘いものが好きで減量が大変」という事情もあって、オリンピックはあきらめたといいます。

2018年の大学入学時には、迷わず軽音楽部JAZZへ。しかし、大学時代の半分はコロナ禍に見舞われ、大阪市内の実家近くの公園でサックスの練習する日々を送りました。それでも、5~6人の仲間とひとつの音楽を作り上げる喜びは、大切な思い出になっています。2年生のときには、吉本興業系列の芸能プロダクション「Showtitle」のオーディションに合格し、現在も所属しています。卒業を控えた4年生の秋には、大阪城ホールでの舞台の出演と試験が重なり、半年遅れの卒業となりました。

唐治谷さんは「音楽だけで生活できるのがプロ。それには運と実力、人脈なども必要です。アルバイトでお金をためて東京に行き、いい仲間と巡りあいたいですし、本場アメリカにも行ってみたい。フュージョン的な吹き方でジャズを奏でる自分のプレーで、本当のプロになったと言いたいですね」と、決意を語りました。