工学部の前身 (1921年~)

政府の高等教育機関拡張政策を受けて、1921(大正10)年に神戸高等工業学校が設立され、初代校長に電機学校理事の廣田精一が就任した。

神戸高等工業学校

同校は、電気自動車・飛行機など、当時最先端の技術開発に取り組み、特に電気自動車の開発で成果を上げた。また、毎年の開校記念日に合わせて開かれた開校記念展覧会には各科が競って作品を出品し、多くの市民が訪れる名物行事となった。

当初は建築科・電気科・機械科の3学科で出発したが、1929(昭和4)年に土木科を、1939(昭和14)年に精密機械科を増設した。法令改正により、1944(昭和19)年に神戸工業専門学校となった。

1945(昭和20)年3月の空襲で土木科棟など一部を除いて校舎が全焼したため、戦後の復興に当たっては舞鶴の海軍施設への移転も検討されたが、神戸市から校舎の提供を受けるなどして元の場所にとどまることになった。1948(昭和23)年には化学工業科が新設された。

焼け残った土木科棟は、雑居ビルとして近年まで使用されていたが阪神・淡路大震災後の区画整理事業のため1999(平成11)年に解体された。

1921(大正10)年12月神戸高等工業学校を設置(初代校長は廣田精一)。
1944(昭和19)年4月神戸高等工業学校神戸工業専門学校と改める。
1945(昭和20)年3月空襲のため神戸工業専門学校に大きな被害。
1951(昭和26)年3月神戸工業専門学校を廃止。