
クマによる人身被害など、野生動物と人間の関係を考えさせられる問題が各地で起きている。農作物への獣害も全国的な課題だ。そんな現状をどう理解し、どのような方策を考えていけばよいのだろうか。ニホンザルの生態を中心に研究し、農村地域に入り込んで調査や実践活動を続ける人間発達環境学研究科の清野未恵子准教授に、野生動物と人間の共存のあり方について聞いた。
「サルの側から見たらどうなのか」という視点で
ニホンザルの研究を始めたきっかけは?
清野准教授:
ニホンザルは日本固有種で、北は青森県から南は鹿児島県の屋久島まで全国に分布していますが、野生の霊長類がいる先進国というのは大変珍しいんです。アメリカにもヨーロッパにも、野生の霊長類はいません。
最初のきっかけは、鹿児島大学で学んでいた当時、屋久島にいるニホンザルの亜種、ヤクシマザルに興味を持ったことです。大学生のころは昆虫の研究をしていたのですが、ヤクシマザルに出合い、どんな昆虫を食べているかという視点で調査をするようになりました。
ニホンザルは雑食で、昆虫のほかドングリ、果物、植物の葉などいろいろなものを食べます。私が研究を始める前から、屋久島では名産のポンカンやタンカンがサルに食べられる被害が深刻化していて、人とサルとのあつれきが課題になっていました。そうした問題に取り組みたいと思い、大学院で研究を続けることにしました。
研究を通して分かってきたことは?
清野准教授:
ニホンザルは、どんな虫がどこにいるかということや、季節ごとの違いを把握し、効率的に動物性たんぱく質を摂取しています。人間が昆虫を捕まえるときに考えることと同じような行動をしているのです。
ニホンザルが捕獲したカマキリを食べるときの行動などは、大変興味深いです。カマキリの中にはハリガネムシという寄生虫がいることが多いのですが、成虫になったハリガネムシは産卵のためにカマキリの体内から脱出し、生まれた場所である水中に戻る習性があります。ニホンザルはその習性を知っていて、捕まえたカマキリの腹を水に浸し、ハリガネムシを出してから食べるのです。
人とサルのあつれきを考えるとき、サルの立場になって考えることが大切だと大学院時代に教えられました。人間社会にとって不利益であっても、サルの側から見たらどうなのか、と問い続ける姿勢が重要だということです。
山の中にいるサルの側から農地を見ると、「入りやすい」「入りたくなる」環境があります。先ほども触れたように、サルは効率的に食べ物を摂取したいわけです。食べ物が集中的にある場所と分散している場所があれば、当然、集中しているほうを選びます。山からの距離も近いほうが効率的です。反対に、そのような魅力がない場所には行きません。
楽しいイベントと獣害対策を結びつける
兵庫県丹波篠山市でさまざまな実践を続けていますね。
清野准教授:
2013年から、野生動物による農作物被害の対策に取り組んでいます。神戸大学では学生が地域に入り、農家の方々から学ぶ授業があるのですが、その中で畑(はた)という地区の住民から「サルの被害に困っている」という話を聞いたのがきっかけでした。
野生動物の対策には3つの方法があります。柵などを利用して物理的に入れないようにする「被害防除」、動物の数を調整する「個体数管理」、実のなる木を伐採するなどして動物の生息環境を管理する「生息地管理」です。このうち、生息地管理が最も難しく、全国的にもあまり取り組みがありませんでした。
獣害対策は一般的に、「行政がやってくれるだろう」といった受け身の姿勢の地域が多いのですが、畑地区では、住民や学生、地域おこし協力隊のメンバーなどが協力し、地域が主体的に取り組む仕組みを作ってきました。

秋になると「さる×はた合戦」という地域交流型イベントを実施し、住民や参加者が力を合わせてカキを収穫します。サルはカキの実を食べに里に下りてきますが、早期に一斉収穫すると、その場所にはもう来なくなります。この取り組みによって、畑地区を訪れる人が増えたり、住民の意欲が高まったりする効果もあり、全国的に注目されています。
農地を囲う電気柵の普及もお手伝いしてきました。電気柵は、わずかな隙間があるとサルに突破されてしまい、「効果がない」と感じている農家も多いのが現状です。しかし、ワイヤーメッシュ(金網)をうまく活用し、隙間を作らない工夫をすれば、安価で効果の高い柵を作ることができます。電気柵の維持管理も「さく×はた合戦」というイベントにして、多くの人に楽しみながら参加してもらっています。この取り組みで、丹波篠山市は電気柵の設置率が非常に高くなり、獣害対策で効果を上げています。
丹波篠山市では、研究者や行政が協力し、サルの群れが5群あることや、その行動範囲も分かってきています。サルの出没情報などを共有できるメールシステムも稼働しています。
クマもサルも効率的に栄養を摂取しようとする
全国でクマによる人的被害が相次いでいます。その背景についてどう考えますか。
清野准教授:
出没の頻度は、増えた地域もあれば、以前とそう変わらない地域もあります。ただ、今年はここ数年と比べて人が被害を受ける例が目立っています。東日本では、ドングリなどの山の資源が不作だといわれており、クマの食べ物が少ないことも影響しているでしょう。
クマもサルも、効率的に栄養を摂取しようとするのは同じです。人の居住地かどうかにかかわらず、食べ物を効率的に得られる場所に行くし、その近くに寝る場所を構えようとします。また、地球温暖化の影響で冬眠の期間が短くなっており、動き回るための栄養が必要になります。食べ物が足りなければ、危険を冒してでも人里に出ていくことになります。
クマは動物性の食べ物も好みます。漁業地域では魚介類のにおいが人の住んでいるエリアへの誘因になりますし、山里では人間が出すごみもそうです。そして、人を襲ってうまく食べ物を得ることができたら、それを学習し、再び襲うようになるのではないかと思います。
クマの被害を防ぐために、どのような対策が考えられますか。
清野准教授:
クマは一般的に直接観察が難しく、来歴や行動を把握することが困難な動物です。本来ならもっと早く、人里に出てくるクマを駆除しておくべきだったのですが、「保護すべき」という世論が強く、難しかったという背景があると聞いています。
対策としては、サルと同様、一度食べたものを二度と食べさせないようにすることが大切です。例えば、カキの木にクマが来た痕跡があれば、実を完全に取るか木を切る必要があります。クマの出没が予想される地域では、人間のほうが「クマが出るかもしれない」という意識を常に持ち、距離を取るよう気を付けなければなりません。鈴などで音を出し、遭遇しないようにすることは基本的な対策です。
農村の人口減少、高齢化が進めば、獣害対策の人手も確保できなくなり、問題はさらに深刻化する可能性があります。離農者が増えることも予想されます。ですから、野生動物の対策は地域住民だけでなく、丹波篠山市での取り組みのように外部の関係人口を増やし、参加してもらうことが重要だと思います。
マルチスピーシーズ学の構築を目指して
大学で、動物と人間の共存を考える新たな講座も予定されているそうですね。
清野准教授:
来春から、外部資金を活用した寄付講座として「里山共生講座」を開く計画が進んでいます。丹波篠山地域を拠点に、学生、社会人、子どもたちなど幅広い人を対象にする講座で、将来の人材育成も視野に入れています。
この取り組みでは、「マルチスピーシーズ学」の構築も重要なテーマとしています。マルチスピーシーズ学とは人間中心主義を超え、生物それぞれの主体性を見つめながら、人間と生き物、あるいは生き物の間の関係をとらえようとするものです。近年、国内外で注目されており、今後、重要な概念になってくると思います。
新型コロナ禍は、まさにその視点の重要性を実感させられる出来事でした。ウイルスは、私たちの体を使ってどんどん拡大していきましたよね。人間が自然をコントロールしているのではなく、人間のほうが動かされていることを、私たちは身をもって体験しました。
生き物同士の関わりを多角的に見ていくと、想像もしなかった関係性を発見できる可能性があります。人間と動物の関係も、特定の動物だけでなく、あらゆる動物との相互関係を見ていく必要があります。そうすれば、発想の転換につながったり、人間が持っている未知の可能性を見いだせたりするかもしれません。
ご自身の研究分野は、地球環境問題にどう貢献すると考えますか。また、さらに深めたいテーマはありますか。
清野准教授:
地球上で最も深刻な環境破壊は戦争で、あらゆるものを改変してしまいます。日本では戦時中、山の木々が伐採され、野生動物が食資源として捕獲されました。ですから、戦争中は獣害がありませんでした。その後、何十年もかかって現在の状況になったという歴史があります。
野生動物について考えること、人間や社会のありようについて考えることは、地球環境問題と密接につながっています。人と野生動物のあつれきは、東南アジアやアフリカでも大きな課題になっており、日本での研究を生かせるケースもあるかもしれません。
今、私が取り組み始めているのは、「対話」に焦点を当てた研究です。野生動物とのあつれきをどうとらえるかは人によって違いますが、動物を駆除することはどんな人でも抵抗があります。獣害に困っている農村部の人も、動物を痛めつけたり、駆除したりすることはつらいもので、その気持ちを押し殺してきたといえるのではないでしょうか。
今後は「対話」を通し、そういう心の部分にも丁寧にアプローチしていくべきだと考えています。神戸大学は総合大学で、幅広い分野の研究者がいるので、その環境を生かして学際的、実践的な研究を進めていきたいと考えています。
清野未恵子准教授 略歴
2003年、鹿児島大学理学部卒業。2005年、京都大学大学院理学研究科修士課程修了。2009年、同研究科博士後期課程単位取得退学。2013年、博士(理学、京都大学)。京都大学大学院人間・環境学研究科研究員などを経て、2013年、神戸大学大学院農学研究科地域連携センター特命助教。2015年、神戸大学大学院人間発達環境学研究科特命助教、18年から同研究科准教授。2018~19年には篠山市(現・丹波篠山市)の農都環境政策官も務めた。




