
湖やため池などの淡水域で吸収・貯留される二酸化炭素「淡水カーボン(Freshwater Carbon)」に注目し、脱炭素社会の実現に貢献する。そんな研究が神戸大学を拠点に進んでいる。中心となっているのは、工学研究科の中山恵介教授(水圏環境工学)だ。海域で吸収・貯留される「ブルーカーボン」に比べ、研究が進んでいなかった分野だが、その可能性を見いだし、国内外で調査を行ってきた。北海道・阿寒湖のマリモの研究でも知られる中山教授に、淡水カーボンをめぐる研究の現状や成果を聞いた。
世界的に珍しい神戸の貯水池での実証実験
淡水カーボンの研究に取り組み始めたきっかけを教えてください。
中山教授:
湖沼やため池がどのくらい二酸化炭素を吸収・貯留しているか、という研究は10年ほど前から世界的に広がり始めました。背景にはもちろん、地球温暖化対策への関心の高まりがあります。
私はもともと、波や水の流動といった分野を研究しているのですが、2015年ごろ、湖沼の観測という共通点を持つ台湾の化学系の研究者と知り合い、台湾で湖の新陳代謝について共同研究を行うことになりました。
1990年代の海外の論文では「湖沼は二酸化炭素の放出源ではあっても吸収域にはならない」というのが定説でした。しかし私は、植物プランクトンが豊富な湖沼は二酸化炭素を吸収・貯留する役割も果たしているのではないか、と考えました。外へ広く開かれている海に比べ、湖は水があまり移動しないので、貯留効率もよいはずだと思いました。そして実際、台湾の自然の湖で植物プランクトンの状況を調べてみると、大気から二酸化炭素を吸収・貯留していることが分かりました。
さらに、以前、西オーストラリア大学で客員教授をしていたことがあり、その縁で始まった共同研究として、オーストラリアの湖でも、水草が吸収・貯留している二酸化炭素の量を調べることになりました。対象としたモンガー湖は、水草の密度が高いことで知られており、調査の結果、水草が二酸化炭素の吸収・貯留に寄与している状況を明らかにすることができました。

国内での調査は?
中山教授:
神戸市の水源の一つ、烏原(からすはら)貯水池(兵庫区)で実証実験を進めてきました。5、6年前、知り合いの研究者を通じて、神戸市が淡水域の調査・研究の意向を持っていると聞いたことが始まりでした。
神戸市はもともと水道のカビ臭対策、貯水池の水質改善に熱心に取り組んでおり、水道局の職員によって、水草に付着するバクテリアの中にアオコの発生を防ぐものがあることが確認されていました。そこで、水草の専門家にも相談したうえで、日本在来種のササバモを貯水池に植栽し、水質改善の状況と、二酸化炭素の吸収・貯留という二つの面で効果を調べることになったのです。
しかし、最初は外来種のカメにササバモを食べられてしまうという事態に直面しました。貯水池には、ペットとして飼われていたカメなどが放たれ、大量に生息していたのです。その後、植栽とカメの駆除を同時に進めた結果、ササバモが順調に増え、水質改善や二酸化炭素の吸収という機能を確認することができました。これは、世界的にも大変珍しい実証実験として注目されています。
国内外で調査を進める中で、2023年、海域の「ブルーカーボン」と区別する形で「淡水カーボン(Freshwater Carbon)」という名称を考案し、論文で発表しました。地球温暖化対策の有効な選択肢の一つとして広めたいと考えています。
湖沼の水草は邪魔者ではなく大切な存在
地球全体として、淡水カーボンはどれくらいの可能性を秘めているのでしょうか。
中山教授:
ブルーカーボンの対象となる海の沿岸域の面積は180万㎢ですが、一方で湖沼、ため池、貯水池といった陸の淡水域は500万㎢もあり、二酸化炭素の吸収・貯留のポテンシャルは非常に高いと考えています。二酸化炭素の吸収では森林が大きな役割を果たしていますが、老木が増え吸収量が減少傾向にある今、淡水域の役割はますます重要になっていくと思います。
湖沼は、窒素やリンなどの栄養分の量によって「富栄養」「中栄養」「貧栄養」の状態に分けられます。これまでの調査・研究で、二酸化炭素を多く吸収・貯留するのは、中栄養で生物多様性が豊かな湖沼だということが分かってきました。一方で、貧栄養で生物が少ない湖沼は、あまり吸収・貯留していません。先ほど、1990年代の海外の研究で「湖沼は二酸化炭素の放出源」という説が示されたと言いましたが、これは貧栄養の湖を調査したためだと考えられます。
ただ、貧栄養の湖沼でも、在来種の水草や植物プランクトンを増やせば、二酸化炭素の吸収につながる可能性があります。海岸域でブルーカーボンの増強に向け、アマモを植栽する動きが広まっているのと同じ考え方です。
植物プランクトンは長らく、赤潮やアオコの原因になるとして悪者にされてきました。増えすぎて湖沼が富栄養の状態になると、そのような問題が発生しますが、実は重要な役割を果たしているということが分かってきています。水草も、漁業や水上スポーツの邪魔になったりするため、不要と思われがちですが、脱炭素社会の実現に向けて必要な存在だということを、多くの人に知ってほしいと思います。

淡水カーボンの研究以外に、国指定の特別天然記念物マリモの研究も続けていますね。
中山教授:
神戸大学に赴任する前に、北海道の北見工業大学で研究していたときから、マリモの研究に取り組み始めました。この大学は、世界で唯一巨大マリモが群生している阿寒湖と同じ道東の地域にあります。
マリモに関しても、もともとの専門である「水の流れ」、つまり流体力学の分野から研究グループに加わることになりました。マリモは糸状の藻が絡み合ってできているのですが、当時は、丸く、大きくなる仕組みがよく分かっていませんでした。そこで調査してみると、風や波の力で回転することによって球状に成長していくことが分かったのです。
その後は、マリモの成長と水温の関係を調査し、水温が高くなるとマリモが痩せてしまうことが明らかになりました。近年は地球温暖化が進み、寒冷地に育つマリモにとっては厳しい状況です。保全の方法を早急に考えていかねばなりません。
湖沼の研究者が減り続けている日本
淡水カーボンの研究は今後、どのように進めていきますか。
中山教授:
湖沼の現状を把握するために、衛星データを活用した調査を計画しています。神戸市の烏原貯水池のほか、阿寒湖、諏訪湖(長野県)、琵琶湖(滋賀県)、愛媛県のため池群などを対象とし、現地の研究者と一緒に調査したいと考えています。
湖沼の生物多様性や水質が良い状態になれば、そこから水が流れ込む海域の環境改善にもつながります。「森の豊かさは海の豊かさにつながっている」とよく言われますが、その中間にある湖沼もまた重要です。調査で湖の状態を把握できれば、効果的な改善の対策も考えられます。
湖の底には、酸素量が極めて少ない貧酸素水塊(ひんさんそすいかい)という水域があるのですが、その発生や消滅の仕組みもまだよく分かっていません。そうした仕組みの解明にも取り組んでいきたいと考えており、各地の湖でモニタリングするシステムができればと思っています。
課題は、日本で湖沼の研究者がどんどん減っていることです。国や自治体が管理する湖沼は、大きな問題がない限り調査費用を確保することも難しいという状況があります。淡水域の研究には大きな可能性があるので、ぜひ、多くの若手研究者に取り組んでほしいと、強く願っています。
中山恵介教授 略歴
1992年、北海道大学工学部卒業。1994年、北海道大学大学院工学研究科修士課程修了。1995年、北海道大学工学部助手。1998年、博士(工学、北海道大学)。1999年、運輸省港湾技術研究所研究官。2001年、国土交通省国土技術政策総合研究所主任研究官。2007年、北見工業大学工学部教授。米・イリノイ大学客員研究員、西オーストラリア大学客員教授なども歴任。2015年より神戸大学大学院工学研究科教授。




