神戸大学大学院医学系研究科の森山英樹教授と姜函林研究員らの研究グループは、これまで経験や主観でしか示されてこなかった「適度な運動」を、マウスを対象としたマルチオミクス解析によって科学的に定義することに成功しました。さらに、網羅的な遺伝子発現プロファイルを用いたデータベース解析から、植物フラボノイドの一種であるアピゲニンと、高血圧治療薬であるドキサゾシンが、運動による分子応答を部分的に模倣する運動模倣薬の候補であることを明らかにしました。本研究結果は、運動処方における科学的根拠を強化するとともに、運動が困難な高齢者や患者に対して、身近な成分や既存薬を用いた新しい治療法の可能性を拓くものです。

本研究の成果は、2026年4月22日付で国際学術誌 Redox Biology(Elsevier)にオンライン掲載されました。

図1(研究の全体像を示すグラフィカルアブストラクト)
 ©森山英樹, Redox Biology, 2026, CC BY 4.0

ポイント

  • これまで曖昧であった「適度な運動」を、分子レベルで科学的に定義することに世界で初めて成功しました。
  • マウスに漸増した強度の有酸素運動と筋力増強運動を行わせ、骨格筋の分子応答を調べることで、健康効果を最大化する最適な運動強度を見出しました。
  • 最適な運動強度での骨格筋の遺伝子発現・DNAメチル化・タンパク質リン酸化のマルチオミクス解析※1により、インスリンシグナル、FoxOシグナル、概日リズムが運動による健康効果の中核をなすことを突き止めました。
  • Connectivity Map※2解析に基づき、アピゲニンとドキサゾシンが運動の効能を部分的に再現できる運動模倣薬※3の候補であることを実証しました。

研究の背景

世界に先駆けて超高齢社会を迎えた我が国において、要介護状態や寝たきりを防ぎ健康寿命を延伸することは、個人の生活の質と社会保障制度の両面において喫緊の課題となっています。その最も効果的な手段の一つが「適度な運動」です。

運動は、肥満、サルコペニア、骨粗鬆症、変形性関節症、循環器疾患、代謝性疾患、神経変性疾患など多岐にわたる疾病の予防や改善に効果があることが知られています。世界保健機関(WHO)をはじめ各国のガイドラインでも、週あたり150分以上の「適度な運動」が推奨されていますが、この「適度」が、どのような強度であり、分子レベルで何が起きているかは、これまで十分に解明されていませんでした。

運動強度が少なければ十分な効能は得られず、逆に強すぎれば酸化ストレスやミトコンドリア機能障害を引き起こし、かえって悪影響を及ぼします。しかし、従来の研究の多くは、有酸素運動に偏り、運動強度の標準化が不十分など、最適な運動強度を分子レベルで定義した例はほとんどありませんでした。

そこで本研究グループは、運動の主たる標的臓器である骨格筋に着目し、運動強度を系統的に変えた動物実験と、マルチオミクス(複数階層のオミクス解析)技術を組み合わせ、「適度な運動」を客観的かつ定量的に定義することを目指しました。

研究の内容

1. 分子生物学的指標に基づく「適度な運動」の強度の同定
マウスに漸増した強度の有酸素運動(トレッドミル走)と筋力増強運動(ラダー登り)を行わせ、ミトコンドリア生合成の司令塔であるPGC-1α※4遺伝子の発現、酸化ストレス指標(MDAとSod1)、タンパク質合成・分解マーカーなどを網羅的に計測しました。その結果、有酸素運動では速度 20 m/分(ヒトの最大酸素摂取量の約70%、中〜高強度に相当)、筋力増強運動では体重の120%の負荷(ヒトの1RMの約70〜80%、筋肥大推奨強度に相当)が、酸化ストレスを起こさずに分子応答を最大化する最適な運動強度であることを見出しました。8週間の継続したトレーニングでも、これらの運動強度でミトコンドリア機能の向上(有酸素運動)と筋肥大(筋力増強運動)が最も効率的に得られました。

2. マルチオミクスによる分子機構の解明
最適な強度での運動が骨格筋に引き起こす分子応答を、トランスクリプトーム解析(遺伝子発現)、エピゲノム解析(DNAメチル化)、リン酸化プロテオーム解析(タンパク質のリン酸化修飾)の3層で網羅的に解析しました。その結果、有酸素運動と筋力増強運動に共通して、インスリンシグナル経路、AMPK経路、FoxOシグナル経路、概日リズム※5経路がエピゲノム〜転写〜翻訳後修飾のすべての階層で協調的に調節されることが判明しました。これらは、運動による代謝改善・筋タンパク質バランス維持・体内時計の健全化といった健康効果を統合的に説明する中核的なメカニズムです。

3. 運動模倣薬候補の同定と機能検証
遺伝子発現プロファイルを、大規模薬剤データベースConnectivity Mapと照合し、最適な運動に類似した分子応答を誘導できる化合物等を探索しました。候補として、アピゲニン※6やドキサゾシン※7などが浮上しました。それらをマウスに服用させ、運動の併用効果を調べた結果、アピゲニンは持久力とミトコンドリア機能の向上に寄与し、ドキサゾシンは握力の増強と筋量の維持、骨量維持、関節軟骨の保護に寄与することを実証しました。特にドキサゾシンは、廃用性筋萎縮、骨量減少、変形性膝関節症の改善効果があり、それらの患者の新しい治療法になる可能性も示されました。

図2(アピゲニンとドキサゾシンの効果を示すグラフ)
持久力・握力向上、筋肥大、骨量維持、軟骨保護の各指標を並べた棒グラフ/代表的組織画像
©森山英樹, Redox Biology, 2026, CC BY 4.0

今後の展開

本研究は、超高齢社会における健康寿命の延伸などの社会的課題の解決策の一つである「適度な運動」に初めて分子レベルでの裏付けを与えるものです。今後は、ヒトへの橋渡し研究として、マウスで定義した「適度」が、ヒトでも同様に成り立つか検証します。また、運動が困難な高齢者や患者への応用として、サルコペニア・寝たきり・骨粗鬆症・変形性関節症などを対象に、アピゲニンとドキサゾシンの前臨床・臨床研究を進めます。そして、個別化医療への展開として、遺伝子やエピゲノム情報を組み合わせた個別最適な運動処方(プレシジョン・エクササイズ)の基盤情報として本研究成果を活用します。

用語解説

※1 マルチオミクス解析
ゲノム、遺伝子発現(トランスクリプトーム)、DNAメチル化などのエピゲノム、タンパク質の発現・修飾(プロテオームやリン酸化プロテオーム)など、生命を構成する複数の分子階層を網羅的に計測し、統合的に解析する手法。単一の指標では見えない生命現象の全体像を捉えることができる。

※2 Connectivity Map(CMap)
数千種類の化合物について、それぞれが細胞に与える遺伝子発現変化をデータベース化したもの。ある望ましい遺伝子変化と類似するパターンを示す化合物を検索できる。本研究では最適な運動による変化と類似する変化を誘導できる化合物を探索した。

※3 運動模倣薬(exercise mimetics)
運動によって得られる生理学的・分子レベルでの効能を再現できる化合物等の総称。運動が困難な高齢者や患者への応用が期待されている。

※4 PGC-1α
筋肉のミトコンドリア(エネルギー産生工場)を増やすスイッチ役のタンパク質。運動による持久力向上の中心的因子。

※5 概日リズム(サーカディアンリズム)
約24時間周期で繰り返される生体リズム。本研究では、「適度な運動」が概日リズムを司る遺伝子群を整え直す作用があることが示された。

※6 アピゲニン
パセリ、セロリ、カモミール、タマネギなどに含まれる天然のフラボノイド(ポリフェノール)。抗酸化・抗炎症作用などが報告されている食品由来成分。

※7 ドキサゾシン
交感神経のα1受容体を遮断することで血管を拡張させる薬。高血圧や前立腺肥大症の治療薬として世界中で広く使用されている既存薬。

謝辞

本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業(科研費)(JP19H04050、JP23H03246、JP23K27936)の支援を受けて実施されました。

論文情報

タイトル

Multi-Omics reveals molecular signatures of moderate intensity exercise and identifies candidate exercise mimetics in mice
(邦題:マルチオミクス解析による適度な運動の分子機構の解明と運動模倣薬候補の同定)

DOI

10.1016/j.redox.2026.104186

著者 

Hanlin Jiang, Shota Inoue, Junpei Hatakeyama, Hideki Moriyama*(*責任著者)

掲載誌 

Redox Biology(Elsevier)

報道問い合わせ先

神戸大学企画部広報課
E-Mail:ppr-kouhoushitsu[at]office.kobe-u.ac.jp(※ [at] を @ に変更してください)

研究者