研究者と研究対象者との関係は、社会科学や人文科学では研究の進め方に大きな影響を与えることがあるようだ。国際文化学研究科グローバル文化専攻の青山薫教授は、構造的な差別と個人の自己決定権の関係に注目にしながら、性風俗産業労働者や性的マイノリティ、人身取引、移住などの問題の研究に取り組む。売買春やアダルトビデオ(AV)の出演強要問題をめぐる規制のあり方について、独自の視点で発言し議論を巻き起こしながら、社会的に弱い立場に置かれた人たちの立場が変わるような政策立案を呼びかけている。
青山教授:
英国立ウォーリック大学大学院(修士課程)の「ジェンダーと国際開発」コースで、南北格差・貧富の格差にジェンダーがどう関係しているのか勉強しました。「日本語ができることを生かそう」と夏休みに日本に帰り、東京の「アジア女性資料センター」(現NPO)で、意に反して日本の性産業で働かされ殺人事件を起こしたタイ人女性に差し入れをするボランティアをして以来、セックスワーク、人身取引、移住について研究しています。その後、英国立エセックス大学社会学部大学院で仕上げた博士論文は、『「セックスワーカー」とは誰か:移住・性労働・人身取引の構造と経験』(大月書店、2007年)として出版し、英語の単著(Thai Migrant Sex Workers from Modernisation to Globalisation, Palgrave/Macmillan, 2009)も出しました。性産業の調査・研究を続ける中で、「当事者の話を聞くだけでは不十分だ。結果的に当事者のプラスになるような研究をめざすことが大事だ」と強く思わされました。
貧困に苦しむ人たち、災害の被災者、犯罪被害者、様々なマイノリティの問題などを研究する学者や学生に対し、「あなたは何のために、誰のために研究するのか」という厳しい問いが発せられることが少なくないですね。
青山教授:
初めのころ、日本でもタイでもイギリスでも、セックスワーカーの人たちに、「論文を書いて、博士号をとって、自分だけ良い地位に就くのだったら、それは搾取だ」と言われることもありました。社会運動から入り、運動だけでは理解できないことがあると思って追ってきたテーマですが、論文を書くだけでも当事者の役には立たない。研究者として役立つことをしたいと考えるようになりました。以来、当事者と研究者がいっしょに調査する「当事者参加行動調査」を国内でもめざしてきました。失敗が多いのですが。研究目的や方法の設定、調査、考察すべてに当事者に関わってもらい、成果をフィードバックし、当事者から批判を受けてブラッシュアップするというやり取りをしながら、研究を進めるのです。性産業の実態を一番良く知っているのはその中にいる人たちですから。その上で、研究者が役に立てることがあれば、こちらからも力を貸すという関係を築こうとしています。
売春を「非犯罪化」することを訴えておられます。
青山教授:
日本では、売春をする女性に対して非常に強いスティグマ(負の刻印)があります。それには、一夫一婦制の結婚制度が性規範の要となっていることを始めさまざまな理由がありますが、売春防止法によって売春が犯罪とされていることも大きいでしょう。同法が女性のみを売春する危険性をもつ保護対象としていることも、スティグマをむしろ強めています。
また、その他の性風俗営業は、風俗営業法が認可し取り締まっていますが、この合法営業の中でも売春は行われ、良くも悪くも見逃されています。しかし風俗営業法はいわゆる公序良俗を守るための法律で、そこで働く人の権利を守るものではありません。性風俗産業全体に雇用関係がない場合も多く、労働関連法で守られる人も限られています。多くのセックスワーカーは、売春のスティグマがあるためカムアウトできず働く者としての権利も保障されていないのです。
このため、セックスワーカーが、▽対価が支払われない ▽暴力を受ける ▽無理矢理性行為をさせられる(強姦)——などの被害を受けても、助けを求めることは大変困難です。もし売春をしていたことが分かれば、被害者なのに犯罪者にもなってしまいます。さらに、日本国内で働いている外国人セックスワーカーになると、出入国管理法上の資格外就労になり、不利益なく被害を訴えることはほぼ不可能です。
他方、多くのフェミニストが、古くは廃娼運動のように、売買春はなくすべきものとしてきました。しかし、この善意も、スティグマを強化する結果を生んできました。「こんな仕事はなくさなければならない」、「やめなさい」という視点では、その仕事に対する差別はなくせないし、その仕事をしながら困難を乗り越えようとする人の助けにならないのです。
現に性風俗産業で働いている人が、日常的に安全と健康を守り、困ったときには支援が受けられることが重要です。私はそのためには売春が犯罪とされていることと、取り締まりのされ方を考え直そうと言いたいのです。国際人権NGO・アムネスティ・インターナショナルも、2015年に「自由意思による売買春の非犯罪化」という方針を打ち出しました。同様の考え方からでした。
世界の状況はどうなっているのですか。
青山教授:
売買春について、国全体で「非犯罪化」に舵を切ったのはニュージーランドだけです。オーストラリア・サウスウェールズ州など、一部地域で非犯罪化したところはいくつかあります。一方、米国ネバダ州、ドイツ、オランダなど「合法化」している国や地域は多数あります。これは政府などが認めた場所、方法などに限る形で売買春を管理するもので、それ以外では「違法」となります。
理想は、合意に基づく大人による売春が他のサービス業と同じように商法や労働安全衛生法など一般法では規制されるが、売買春を特別に取り締まる法律がほぼないニュージーランドのような「非犯罪化」です。とはいえ現在の日本では、風俗営業法によって管理されることで実際に働く人が守られている部分もあるので、今すぐこれを無くすわけにもいきません。
モデルのスカウトなどと騙されて契約した女性が、AV出演を強要される被害が問題になっています。規制強化が議論されていますが、青山教授は法規制に反対されました。その理由は何ですか。
青山教授:
人権団体「ヒューマンライツ・ナウ(HRN)」が2016年3月に、「『モデルにならない?』などとスカウトされ、アダルトビデオの出演を強要されるという被害」に関する調査報告書をまとめ、一般法でなく新たににAVに対する特別法をつくって規制をせよと政府に提言しました。しかし、まず、この報告書の元になった「実態調査」が偏ったものだったという問題がありました。そしてその偏りは、結果である提言にも欠陥をもたらした、と私は考えています。AV産業は大きな産業ですが、そこで現在働いている人の意見はHRNの調査・報告書のどこにも反映されていません。現場の声を聞かずにその産業をターゲットにした厳しい取り締まり法を作ると、取り締まりの実効性が期待できないばかりでなく、その仕事を続けたい人たちをいわば敵に回してしまいます。現に働いていてなんらかの被害を受けている人、受ける可能性のある人も支援から遠ざけることになるのです。それは売春の場合と同じです。
私は規制がまったく必用ない、とは思っていません。AV業界で働いている人、これからAV業界に入ろうとする人を守ることのできる政策をつくるためには、まず業界内で具体的に何が権利侵害につながっているのかを特定しなければなりません。そのためには業界の協力が絶対に必要です。業界内からもいわば自浄作用と言えるような動きが出始め、出演者団体、メーカー団体、製作者、弁護士や学識経験者らによる第三者機関が協力して、出演強要などの人権侵害を防ぐ統一契約書や作品の流通ルール作りなど自発的な取り組みも進んでいます。
LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)についても発言しておられますね。
青山教授:
私自身、男性と結婚していたことがありますが、今の連れ合いは英国人女性です。結婚生活をしていたころまではずっと自分がストレートだと思っていましたが、その後に変わりましたね。誰かを好ましいと思うときに性別は関係がない、というふうに。学会発表や論文投稿だけでなく、弁護士会などの団体など、呼んでいただけば自分の体験も交えて講演もいたします。
性の多様性が認められることは喜ばしいのですが、一方で、教育現場やマスメディアなどで「LGBT」をひとくくりにして論じる傾向があり、これは非常に問題だと考えています。レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーはさまざまな性のあり方のごく一部でしかありません。そしてこれらのグループだけでも、抱えさせられている問題やこの社会での生きにくさがそれぞれまったく違っているのに、ひとくくりにされることで問題の所在が不明になってしまいます。たとえば、トランスジェンダーの人は戸籍の性別と外見が違うということで就職差別を受けやすく、仕事を得ることの困難が大きいです。精神的・肉体的暴力を振るわれるなど、イジメの問題も深刻です。
レズビアンとゲイの間もかなりの格差があります。まとめるとしたらそれはジェンダーの問題です。日本では非正規雇用を含むと女性の賃金は男性の6割です。女性2人のカップルが男性2人のカップルに比べて経済的に苦しい場合が多くなります。また、研究を行う人も対象も、社会運動など表に出て発言する人も圧倒的にゲイ男性が多いです。
メディアも、残念ながら教育現場も、問題に直面して苦しんでいる人か社会的に成功して活躍している人か、ほとんどの場合両極端の例しか取り上げないので、「LGBT」と言っても日常的には、隣人としては、認知されていないのが実態だと思います。
大きくまとめると、セックスワーカーでも「LGBT」でも、問題はマイノリティの問題なのではなくてマジョリティの側にあるんですよ。一方的な規範や知識・情報、善意や同情で判断しても問題はなくなりません。マジョリティを含む全体が変わるような知的な働きかけが必要だと思います。
略歴
1986年3月 法政大学社会学部卒業、1995年11月 英国ウォーリック大学「ジェンダーと開発」修士号取得、2005年9月 英国エセックス大学「社会学」博士号取得。エセックス大学社会学部教務助手、タイ王国国立研究院外国人研究員、東北大学法学研究科CEO研究員、京都大学文学研究科GCOE助教、神戸大学国際文化学研究科准教授を経て、2014年4月から現職
所属学会
日本女性学会、日本社会学会、British Sociological Association