神戸大学大学院理学研究科の尾崎まみこ教授、上尾達也学術研究員、柳瀬詩穂子 (学部学生)、人文学研究科の大坪庸介教授と、浜松医科大学光尖端医学教育研究センターの針山孝彦特任教授、医学部附属病院の金山尚裕病院長、周産母子センターの鈴木一有講師、岩手大学理工学部の永田仁史教授、筑波大学人間系心理学域の綾部早穂教授らは、非侵襲、ストレスフリーに、生後間もない赤ちゃんの頭から「におい」を採取する方法を開発し、2次元GC-MS※1 を用いて、その化学構成を世界で初めて明らかにしました。

また、化学分析結果から赤ちゃんの頭の「におい」を模した調香品を作って、出生後の時間経過による「におい」の変化や羊水の「におい」との違いを人 (ヒト) がどの程度識別できるかを調べました。

赤ちゃんが自発的に放出している「におい」はごく初期の親子関係をとりもつ可能性があり、本研究はその心理学的実験に資する道を新しく開きました。

今後、化学と心理学の両面からその特徴や個性の表出を明らかにし、赤ちゃんが言葉を発する以前の親子間の生得的 (本能的) コミュニケーションや、健全な親子の絆形成への寄与を証明することにより、この研究が、深刻な社会問題となっている育児放棄や愛着問題などに対する提言、防止策などに繋がっていくと期待されます。

この研究成果は、2019年9月4日に、英国科学誌「Scientific Reports」オンライン版に掲載されました。

ポイント

  • 出産直後の新生児の頭の「におい」を、非侵襲、ストレスフリーに採取する方法を開発した。
  • 生後1時間以内と2、3日後の新生児の頭の「におい」と羊水の「におい」について、2次元ガスクロマトグラフィー—質量分析器 (GCxGC-MS) を用いて、高感度、高分解能の化学分析を行い比較した。また、この3通りの「におい」の標準的な人工的調香品の作成に成功した。
  • これらの調香品を用いて、62名の成人男女に対して感覚官能テストを用いた心理テストを実施し、それぞれの「におい」どうしを嗅ぎ分ける識別程度を定量化した。
  • 新生児の頭の匂いと羊水の匂いは、それぞれ化学的に違いがあるだけでなく、感覚心理学的にも識別可能であることがわかった。また、生後の時間経過とともに、新生児の頭の匂いは、感覚心理学的に判別できるほどに変化していくことがわかった。

研究の背景

図1 新生児のにおいによる心理的効果

昆虫の研究に端を発したフェロモン研究の歴史が約60年になる現在も、「におい」による人 (ヒト) のコミュニケーションについてはよくわかっていません。新生児が発信する「におい」の、始原的オラリティー※2 としての存在と働きについては、出産・育児の経験中に主観的に気づくことはあっても、実際に科学的に調べるには倫理的問題や技術的問題を解決せねばならず、殆ど着手されてきませんでした。近年、新生児の肌着の匂いが女性に好ましい心理的効果をしめすことが報告されましたが、決め手となる「におい」の探索もされず、脳計測などによる生理学的裏づけも乏しいままでした (Lundström, et al., 2013; Okamoto, et al., 2016) (図1)。

我々は実際的な問題を克服するため、2年前から分野横断的な研究体制を組み、議論を深めながら専門性を活かした対策を講じてきました。

本研究の核心をなす問いは、受動的な存在と思われている新生児が母親や父親、その他の共在者にむけて、生得的に持っている「におい」を発信し、それが始原的オラリティーの鍵刺激として働いて、ごく初期の社会関係性を生みだすとするならば、どの「におい」が、どのような効果を示し、どのような仕組みで共在者の愛着情動やケア行動を促しているかであり、それを知ることが主要なゴールとなります。

また、国内外で深刻な社会問題となっている育児放棄や愛着問題などの解決のために、新生児と共在する母親やそれに代わる庇護者との初期コミュニケーション形成の大切さを踏まえて、新生児が発信する「におい」に注目した本研究の成果を役立てることができるのではないかと考えました。

研究の内容

本研究ではまず、新生児の頭から非侵襲、ストレスフリーに「におい」を採取する方法の開発に成功しました。

次に、以下のような手順で、その「におい」について、化学構成を化学的に解明し、心理学的な感覚官能評価※3 を加えました。

(1) 新生児の頭の「におい」と母親の羊水の「におい」の化学分析

浜松医科大学の倫理規定に則り、母親の同意のもと、生後1時間以内と2、3日後の新生児の頭5例の「におい」を非侵襲なモノシリカ吸着剤を用いたストレスフリーの手法で採取しました。同時に、母親の羊水の「におい」2例をヘッドスペース法で採取しました。

これらの「におい」サンプルをGCxGC-MSで分析、37種の成分を同定しました (図2)。

図2 におい採取とGCxGC-MSによる化学分析

(2) 化学的な「におい」のバリエーションと類似性の特定

本実験で同定した新生児の頭と、母親の羊水の「におい」37成分のうちには、アルデヒド、それらの酸化物、炭化水素などの化学成分が含まれていました。それらの成分について含有量を算出して、全体のパターンを「におい」のサンプルごとに比較しました。その結果、新生児の頭の「におい」は、より揮発性の高い成分によって、羊水の「におい」は、より揮発性の低い成分によって構成されていることが分かりました。新生児の頭の匂いどうし、羊水の匂いどうしは、それぞれある程度の類似性を示しましたが、生後1時間以内と2、3日後の新生児の頭の「におい」を比べると、前者にはアルデヒド類が後者にはその酸化物が増えているという違いがみられました (図3)。

図3 化学的な「におい」のバリエーションと類似性Baby1、2は生後1時間以内の新生児を、Baby3~5は2、3日後の新生児を示す。

(3) 心理学的な「におい」のバリエーションと類似性の算出

図4 心理学的な「におい」のバリエーションと類似性数値が小さいほど類似性は低い。感覚評価に基づく識別力の統計学的優位性についてはアステリスクを参照。

男女各31名ずつの学生に生後1時間以内の新生児の平均的な「におい」、2、3日後の新生児の平均的な「におい」、母親の羊水の平均的な「におい」を模した調香品を嗅ぎくらべて、互いにどの程度似ているかを各自の感覚を頼りに評価してもらいました。それらの回答を整理、解析して3通りの調香品相互の類似度を定量的に示すことができました (図4)。

今後の展開

今後は、さらに、新生児の頭の「におい」のサンプル数を増やした化学分析を行って、父母、兄弟、親戚といった新生児の血縁者や、年齢、結婚歴、育児経験などが異なる参加者が新生児の個体の差を「におい」で識別できるかどうか、心理学的研究の精度を上げるとともに、この「におい」の心理学的効用の生理学的な根拠を明らかにする研究を展開していきます。身近なところでは、新生児の頭の「におい」の効用を利用した機能的な香りを伝達ないし配送する方法を開発し、人々の生活の中で有効に用いることができるようになると考えています。

用語解説

※1 2次元ガスクロマトグラフィー—質量分析器 (GCxGC-MS)

GCxGC-MS分析は、まず、2本のタイプの異なるガスクロマトカラム (無極性カラムと極性カラム) により試料を分析する。無極性カラムでは沸点による分離が、極性カラムでは極性による分離が行われる。分離された各成分を質量分析にかけることにより得られるマススペクトルから成分の同定ができる。このように、特定のマススペクトルを示す成分についてのクロマトグラム情報から該当する成分の定量データを精度よく得ることができる。

※2 始原的オラリティー

オラリティーとは、狭義には、声の語りによる表現のことで、文字による表現であるリテラシーと対比される概念である。本研究では、オラリティーを音声という狭義の意味に留めず、「におい」、表情、しぐさなど他者の感情を理解し共感する能力を含めて定義している。特に、言葉を理解し操る能力を獲得する以前に、新生児が母子関係をはじめとする人間関係を形成するために用いる「におい」や表情などの信号を始原的オラリティーと呼んでいる。

※3 感覚官能評価テスト

人の五感 (嗅覚、視覚、聴覚、味覚、触覚) によって物の特性や人の感覚を測定する方法。本研究では、参加者に一定の条件で試料を嗅がせて準備した設問に言葉や数字 (尺度) で答えてもらい、その結果を統計的に解析した。

謝辞

本研究は科研費18KT0033 (代表研究者 尾﨑) の支援を受けて実施されたものです。研究の実施に際しては、ジーエルサイエンス株式会社、LECOジャパン株式会社、三栄源エフ・エフ・アイ株式会社に、機器使用を含め技術的な協力をいただきました。また、研究を進めるに当たり貴重な助言を頂いた英国オックスフォード大学のTristram Wyatt博士に感謝いたします。

論文情報

タイトル

Sampling, identification and sensory evaluation of odors of a newborn baby's head and amniotic fluid

DOI

10.1038/s41598-019-49137-6

著者

Tatsuya Uebi, Takahiko Hariyama, Kazunao Suzuki, Naohiro Kanayama, Yoshifumi Nagata, Saho Ayabe-Kanamura, Shihoko Yanase, Yohsuke Ohtsubo, Mamiko Ozaki

掲載誌

Scientific Reports

関連リンク

研究者