神戸大学大学院医学研究科の鈴木 聡 (すずき あきら) 教授・前濱朝彦 (まえはま ともひこ) 准教授らのグループは、九州がんセンターの益田宗幸 (ますだ むねゆき) 博士らのグループと共同して、細胞内のYAPシグナル経路に変異のあるマウスが極めて短期間で頭頚部がんを発症することを見出し (世界最速のがん発症モデルマウス)、この経路が頭頚部がんの発症に極めて重要であることを明らかにしました。

この発見は頭頚部がんに対する新たな治療薬の開発につながる可能性があります。

本研究は3月18日付け (米国時間午後2時) で米国の科学雑誌Science Advances誌に掲載されました。

ポイント

  • マウスの舌でMOB11) (YAP2)のブレーキに相当) を欠損し、YAPが強く活性化すると、直ち (約1週間) にがんが発症した。
  • ヒトにおいて、YAPは頭頚部がんの発症前の異形成 (前がん病変) の時期から高値になり、がんが発症・進展するに従ってさらに高値になっていくこと、またYAPが高値になるほど生命予後も悪くなることを示した。
  • 本マウスにみられる頭頚部がんの発症や進展、さらにヒト頭頚部がんの細胞株の細胞増殖は、YAP依存性であった。
  • 本研究成果から、YAP活性が閾値を超えたときに直ちにがんが発症する可能性が考えられ、頭頚部がんの発症や進展の機構は、YAPを基軸として考える必要があるとするパラダイムシフトを提唱した。
  • 本マウスは、頭頚部がんに対する新薬の開発研究だけでなく、一般的ながん研究に絶好の資源となる。
  • YAP阻害は頭頚部がんの発症や進展を抑制することから、YAP経路は頭頚部がんの治療に向けた薬剤の良い標的となる。

研究の背景

ヒト頭頚部がんについて

頭頚部がんは世界で6番目に多いがんであり、日本では年間22,500人が新たに罹患します。頭頚部は口腔・咽頭・喉頭からなり、頭頚部がんの中では口腔がん (特に舌がん) が最多となっています。

たばこやアルコールなどの発がん物質への暴露、虫歯や不適切義歯などの口腔粘膜の機械的刺激も頭頚部がんのリスクファクターになることが知られています。

また、頭頚部がんの15%はヒトパピローマウイルス(HPV3)) が原因であり (HPVによるものは中咽頭がんを発症)、HPV陽性の症例は比較的予後が良いことがわかっています。一方、HPV陰性の症例は予後不良であり、殆どのHPV陰性の症例でがん抑制遺伝子TP53 (p53)の変異がみられるものの、p53の変異だけでは頭頚部がんは発症しません。このことから他の分子の変異が、がんの発症に必要であると考えられていますが、その原因は未だ十分解明されていません。

HPV陰性の頭頚部がんにみられるp53以外の分子異常としては、これまでにPTEN/PI3K (46%), FAT1 (32%), EGFR (15%) などの遺伝子変異があることが、がんゲノムシークエンスの結果から分かってきましたが、頭頚部がんの発症に対するこれら遺伝子経路の意義づけはまだ十分解明されていません。

がんモデルマウスについて

これまで頭頚部がんのモデルマウスはp53とAktの二重の遺伝子変異により、変異後約9ケ月で半数のマウスに頭頚部がんができる (通常正常マウスの寿命は約2年) ことが報告されています。

頭頚部がんに限らず、がんはいくつかの遺伝子変異が蓄積してはじめて発症することから (多段階発がん)、重要な1分子の変異マウスががんを発症するには、通常4~24ヶ月 (多くが6~12ヶ月) かかることがわかっています。

YAP経路について (図1参照)

図1.YAP経路について

転写共役因子であるYAPは、細胞増殖に関連する遺伝子群の転写をONにする働きをもっています。また、LATS/MOB1複合体は、YAPをリン酸化することでYAPを核から排除し、YAPタンパク質の崩壊を促進します。すなわちYAPは細胞増殖に正に働くがん遺伝子であり、LATSやMOB1は下流のYAPを負に制御するブレーキ (がん抑制遺伝子) の役割を示します。

転写共役因子であるYAPは、細胞増殖に関連する遺伝子群の転写をONにする働きをもっています。また、LATS/MOB1複合体は、YAPをリン酸化することでYAPを核から排除し、YAPタンパク質の崩壊を促進します。

すなわちYAPは細胞増殖に正に働くがん遺伝子であり、LATSやMOB1は下流のYAPを負に制御するブレーキ (がん抑制遺伝子) の役割を示します。

ヒト頭頚部がんでYAPは 約8%の症例で遺伝子増幅していること、YAP活性はヒト頭頚部がんの悪性度や予後の悪さと正に相関することが、これまでに報告されています。

これらのことから、YAP経路の頭頚部がんにおける役割をin vivo (マウスなどを用いた生体内試験) で詳細に解析するために、舌上皮でMOB1が欠損する (内因性のYAPを活性化する) マウスを作製しました。

研究の内容

MOB1欠損マウスにみられる超早期舌がんの発症

本研究グループは、Cre-loxPシステム4)を用いて、薬剤 (タモキシフェン) の舌への塗布により、舌上皮でMOB1を欠損できるマウスを開発しました。(国内・国際特許申請済み)

薬剤塗布後3日目ではMOB1タンパク質はほとんど減少しませんでしたが、7日目ではほぼ消失させることができ、この時点で既に3割のマウスで頭頚部早期がん (舌上皮内がん) を呈すること、14日目には全例で頭頚部早期がん (舌上皮内がん)、28日目には全例で頭頚部進行がん (舌浸潤がん) を呈したことから、世界最速のがん発症モデルマウスを作製することができました。(図2参照)

このようにYAP経路を強く活性化すると、直ちに (ほぼ1週間で) 頭頚部がんが発症することから、この経路が頭頚部がんの発症に極めて重要な作用をしていると考えられました。

図2.世界最速のがん発症モデルマウスの作製

本研究グループは、タモキシフェンの舌への塗布により、舌上皮でMOB1を欠損できるマウスを開発した。薬剤塗布7日目で既に3割のマウスで頭頚部早期がん (舌上皮内がん) を呈すること、14日目には全例で頭頚部早期がん (舌上皮内がん)、28日目には全例で頭頚部進行がん (舌浸潤がん) を呈したことから、世界最速のがん発症モデルマウスを作製した。このようにYAP経路を強く活性化すると、直ちに (ほぼ1週間で) 頭頚部がんが発症することから、この経路が頭頚部がんの発症に極めて重要な作用をしていると考えられた。

MOB1欠損マウスの舌上皮にみられる腫瘍特性とYAPの活性化

MOB1欠損マウスの舌上皮細胞は、細胞増殖亢進、細胞飽和密度上昇、極性崩壊、細胞死抵抗性、未分化性 (自己複製) 亢進、染色体不安定性 (染色体異数性細胞5)増加、多極紡錘体6)増加、微小核細胞増加) などの、腫瘍特性を示しました。また、生化学的にはMOB1欠損によって、LATSタンパク質の低下とYAPの活性化を示しました。

このようにMOB1欠損によってYAPが活性化し、腫瘍細胞がもつ特性を獲得しました。

ヒト頭頚部癌 (舌癌) の標本における段階的なYAPの活性化

ヒト舌組織の正常段階、異形成7)段階、上皮内がん8)段階、浸潤がん9)段階で、YAPの活性化を見たところ、YAPはがん発症前の異形成段階から高値であること、またこれら段階が進むに従ってYAP活性の上昇を示すこと (図3参照) 、またYAP活性の高い症例では、全生存期間の短縮や術後再発率が高いことを示しました。

このようにYAPはヒト舌がんの発症前から高値になり、がんが発症・進展するに従って、さらに高値になっていくこと、YAPが高値になるほど生命予後も悪くなることを示しました。

図3.ヒト舌がんにおけるYAPの活性化

YAPはヒト舌がんの発症前から高値になり、がんが発症・進展するに従って、さらに高値になっていく。

MOB1欠損による頭頚部がん形成のYAP依存性

MOB1とYAPの二重欠損マウスを作製したところ、MOB1欠損マウスには浸潤がんが見られたのに対し、MOB1/YAP二重欠損マウスでは異形成に留まったことから、頭頚部がん発症のYAP依存性を示しました。(図4参照)

現存するYAP経路の阻害剤では、Dasatinib10) (SRC阻害剤) が最も強力であることを示しました。(SRCは直接的にも間接的にもYAPを活性化することがこれまでに示されています。) また、DasatinibはMOB1欠損マウスにみられる頭頚部上皮内がんの発症を予防する (図5参照) とともに、頭頚部上皮内がん例の浸潤がんへの進展をも抑制する (図6参照) ことを示しました。

ヒト頭頚部がんの細胞株の増殖は、YAPの遺伝子発現を抑制、あるいはYAP阻害剤を添加することで細胞増殖を抑制できること、YAPの抑制が頭頚部がんの現在の治療薬として汎用されているシスプラチンの作用を増強すること、等を示しました。

このようにマウスでYAPを抑制すると頭頚部がんの発症・進展を抑制すること、ヒト舌がんの細胞株においてもYAPを抑制すると細胞増殖を抑制することを示しました。

図4.MOB1欠損による舌癌形成のYAP依存性

MOB1とYAPの二重欠損マウスを作製したところ、MOB1欠損マウスには浸潤がんが見られたのに対し、MOB1/YAP二重欠損マウスでは異形成に留まったことから、頭頚部がん発症のYAP依存性を示した。

図5.Dasatinibは、MOB1欠損による舌上皮内がんの発症を予防

MOB1欠損させる3日前からDasatinibをあらかじめ投与したときの癌の発症予防

図6.DasatinibはMOB1欠損による舌上皮内がんの進展を抑制

MOB1欠損による舌上皮内がんの発症が起きたのちのDasatinib投与による、浸潤癌への進展の予防

ヒト頭頚部がんで既知の遺伝子変異によるYAPの活性化

図7.YAP経路による頭頚部癌発症機構

頭頚部がんの発症・進展機構は、p53, PTEN/PI3K, FAT1, EGFRの遺伝子変異などの蓄積によって、YAP活性が閾値を超えたときにがんが発症する可能性が類推される。

これまでにHPV陰性の頭頚部がんでは、p53, PTEN/PI3K, FAT1, EGFRの遺伝子変異があることが知られていました。

本研究グループは、p53の変異、PTENの変異、FAT1の変異、EGFシグナルの活性化によって、それぞれYAPが活性化すること、またこれらの複数の遺伝子変異の蓄積によってYAPの活性化が漸増していくことを見出しました。

通常、多段階異常をきたしてがんが発症するため、がん発症には時間がかかります。一方、YAPを強力に活性化した場合には、それ単独で直ちに頭頚部上皮内がんを発症しました。すなわち、頭頚部がんの発症・進展機構は、(A) p53, PTEN/PI3K, FAT1, EGFRの遺伝子変異などの蓄積によって、YAP活性が閾値を超えたときにがんが発症することが考えられます (図7参照)。(B)また、がん発症後もさらにYAP活性が蓄積して、がんがより進展する、等の頭頚部がんの発症・進展機構の可能性を示しました。

考察や今後の展開など

種々のがん細胞で、YAPタンパク質は高頻度に活性化しますが、YAP経路における分子の遺伝子変異は比較的少ないため、これまで頭頚部がん発症にYAP経路が極めて重要であることが不明であったと考えられます。

(1) YAP活性はヒト頭頚部がんが発症する前から高値である
(2) 頭頚部がんの進行に伴い、YAPがさらに活性化される
(3) 頭頚部がんで高頻度にみられるp53, PTEN/PI3K, FAT1, EGFRの変異は各々全てYAPを活性化する
(4) これらの分子の変異の組み合わせは段階的にさらにYAP活性を高める

こと等から、

(A) p53, PTEN/PI3K, FAT1, EGFRの遺伝子変異などの蓄積によって、YAPが閾値を超えたときにがんが発症する
(B) また、がんの発症後もさらなるYAP活性が蓄積し、がんがさらに進展する

など、頭頚部がんの発症進展機構はYAPを基軸として考える必要があるとするパラダイムシフトを提唱しました。

ちなみに、頭頚部がんのリスクファクターである、喫煙、機械的な粘膜刺激、HPV感染もYAPを活性化することは、これまでに報告されていることから、これらもYAP活性化の一役を担うことになります。

本マウスは、(1) 世界最速の自然発がんモデルマウスであること、(2) がんの発症・進展が、外から可視化できること、(3) 自然発症のがんが同期しておこること、(4) 生後直後のマウスを用いてがんの発症・進展の解析ができるため、少量および短期間の薬剤投与でその効果がわかることなどから、頭頚部がんに対する新薬開発研究のみならず、一般的ながん研究にも絶好のモデルマウスとなります。

YAPの抑制は頭頚部がんの発症のみならず進展をも予防することから、YAP経路は頭頚部がんの治療に向けた薬剤の良い標的となることが期待されます。

現在本研究グループを含む世界中の研究者が、YAP経路を標的とするより良い新薬を模索中ですが、我々はこれらの薬剤が、頭頚部癌に効果を示す1つの根拠を提示しました。このマウスはその効果判定や頭頚部癌研究に必須のツールとなることが期待されます。

用語解説

1) MOB1 (Mps One Binder 1)
MOB1はLATSキナーゼ活性化に必須であり、下流のYAPを負に制御するブレーキ (がん抑制遺伝子) の役割を示す。MOB1の欠損は細胞増殖の亢進およびがん形成を引き起こす。
2) YAP (Yes-Associated Protein)
転写共役因子の一つであり、核内で複数種類の転写因子と結合して様々な遺伝子の発現を制御する。YAPは MOB1/LATS複合体によってリン酸化されると、核内から排除され不活性化状態となる。
3) ヒトパピローマウイルス (HPV: Human Papillomavirus)
パピローマウイルス科に属するウイルスで、百種類以上の遺伝子型が存在し、イボや尖圭コンジローマ、頭頚部がん、子宮頸がんに関与する。
4) Cre-loxPシステム
DNA組み換え酵素Creが触媒する遺伝子の再編成を利用した遺伝子改変システムである。CreはloxPという34塩基からなる配列を認識するため、人工的に2個のloxPを染色体DNAの中に挿入しておいた細胞に対してCreを発現させると、loxPに挟まれたDNA領域が不可逆的に除去される。
5) 異数性細胞
染色体の数が基本数の整数倍になっておらず、整数倍に対して1~数本多い染色体を有する細胞。
6) 多極紡錘体
紡錘体は、細胞分裂の際に染色体を娘細胞に分離する構造体で、正常な細胞では双極性だが、がん細胞では二つ以上の中心体を有する多極紡錘体の形成が見られる。細胞分裂時の染色体分配が正常に行われないため、異数性細胞の出現や染色体不安定性の原因となる。
7) 異形成
細胞を顕微鏡などで観察して判断する際の病理学の用語で、細胞が「現状ではがんとはいえないががんに進行する確率が高い状態 (前がん病変)」や「悪性・良性の境界にある状態」であることを指す。
8) 上皮内がん
上皮内腫瘍、上皮内新生物とも呼ばれ、がん細胞が臓器の表面を覆っている上皮までにとどまっているがん。がんが上皮細胞に接している基底膜という薄い膜状の構造を破って深いところまで広がっていない状態。
9) 浸潤がん
がんが基底膜という薄い膜状の構造を破って、周囲にしみ出るように広がった状態。悪性度が高い。
10) Dasatinib
SRC阻害剤。SRCは直接的にも間接的にもYAPを活性化することから、SRC阻害剤はSRCのみならずYAPも阻害する。慢性骨髄性白血病への適応はあるが、頭頚部がんへの適応はない。

謝辞

本研究は主に国立研究開発法人日本医療研究開発機構 (AMED) 次世代がん医療創生研究事業 (P-CREATE) 「癌抑制遺伝子を標的とする癌治療法の開発」(研究開発担当者:鈴木 聡) の支援を得て、研究を遂行したものです。

論文情報

タイトル
YAP1 is a Potent Driver of the Onset and Progression of Oral Squamous Cell Carcinoma
DOI
10.1126/sciadv.aay3324
著者
Hirofumi Omori, Miki Nishio, Muneyuki Masuda, Yosuke Miyachi, Fumihito Ueda, Takafumi Nakano, Kuniaki Sato, Koshi Mimori, Kenichi Taguchi, Hiroki Hikasa, Hiroshi Nishina, Hironori Tashiro, Toru Kiyono, Tak Wah Mak, Kazuwa Nakao, Takashi Nakagawa, Tomohiko Maehama*, Akira Suzuki*
(*Corresponding authors)
掲載誌
Science Advances

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研究者