神戸大学大学院人間発達環境学研究科・青木茂樹教授、高橋覚特命助教、東海国立大学機構 名古屋大学大学院理学研究科・中野敏行准教授、同大未来材料・システム研究所・六條宏紀助教らの研究グループは、「世界最高角度分解能」「世界初偏光有感」「世界最大口径面積」を実現するエマルション望遠鏡気球実験を達成し、宇宙高エネルギーガンマ線の精密観測を開始しました。

これまでの経緯

図1:

エマルションガンマ線望遠鏡は、エマルションフィルムを積層したコンバーター、時刻付与機構多段シフター、姿勢監視スターカメラから構成されます。コンバーターでガンマ線電子対生成反応を捉え、時刻付与機構で時刻情報を付与し、姿勢監視情報と併せることで天球に対する到来方向が決定できます。

宇宙ガンマ線観測(※1, 2)は、宇宙線物理学・高エネルギー天体物理学・宇宙論・基礎物理学と多岐にわたる学術領域に波及効果をもたらします。また近年のニュートリノや重力波も含めたマルチメッセンジャー天文学(※3)においてガンマ線は決定的に重要なパートを担います。現在、フェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡(※4)をはじめとする最新鋭のガンマ線望遠鏡によって、高エネルギー帯域における宇宙ガンマ線観測は大きく進展しています。その一方で観測の難しさから、他波長での観測に比べ桁違いに解像度が劣るなどの課題があり、この帯域における観測はまだまだ未開拓な領域が存在します。宇宙高エネルギーガンマ線観測を新たな段階へ進めるためには、観測の質的な改善が重要となっています。

優れた空間分解能を持つエマルションフィルム(※5)により、高エネルギーガンマ線の反応を極めて緻密に捉えられます。そして超高速自動解析技術(※6)および時刻情報付与技術(※7)を導入することによって、「世界最高角度分解能」「世界初偏光有感」「世界最大口径面積」を実現する優れたガンマ線望遠鏡に成り得ます。我々はエマルションガンマ線望遠鏡を開発し、長時間気球飛翔を繰り返すことで宇宙高エネルギーガンマ線精密観測を目指し、GRAINE計画(※8)と名づけ推し進めています。図1にエマルションガンマ線望遠鏡の概念図を示します。

これまでに地上での様々な研究開発やテスト実験、そして2011年気球実験(※9)、2015年気球実験(※10)、2018年気球実験(※11)を積み重ね、エマルション望遠鏡による気球飛翔での宇宙高エネルギーガンマ線観測の実現可能性を拓いてきました。特に2018年気球実験では、実際に既知の明るいガンマ線源である「ほ」座パルサーについて世界最高解像度での撮像に成功し、世界最高角度分解能を実現するエマルション望遠鏡を確立しました。これらの経験・実績に基づいて、口径面積・飛翔時間の拡大を図り、気球飛翔を繰り返すことで本格的な科学観測を開始していきます。その先駆けとなる気球実験を2023年にオーストラリアで行います (JAXA豪州気球実験(※12))。2023年気球実験は当初2021年に予定していましたが、コロナウィルス感染症の影響により2年延期となりました。また昨今のヘリウム価格高騰を受け、気球2機から1機へと変更になりました。2023年気球実験では前回実験の6.6倍となる口径面積2.5m2の望遠鏡の実現を目指します。世界最大口径面積となるガンマ線望遠鏡の実現を目指すとともに、世界初となる高エネルギーガンマ線偏光観測に向けた「ほ」座パルサーのさらなる観測、発生源不明なガンマ線源が存在する銀河中心領域の高解像度観測、ニュートリノや重力波の発生源にもなり得る突発ガンマ線源の観測等を開始します。

今回の実験の詳しい内容

2023年気球実験に向けて、様々な開発や試験を繰り返し、準備を行ってきました。エマルションフィルムの製造においては、原子核乳剤量産体制の構築・機械塗布の導入によってエマルションフィルムの量産を実現してきました (製造乳剤1670kg、塗布面積750m2)。また時刻付与機構多段シフターについてはローラー駆動型多段シフターの導入によって大面積化を実現し (計4台、合計口径面積5m2)、姿勢監視スターカメラについてはより低温に強いスターカメラシステムを構築してきました。与圧容器ゴンドラについては大型軽量膜型与圧容器ゴンドラ(※13)を開発してきました。与圧容器ゴンドラに多段シフター、スターカメラ、気球実験システムを組み付け、気球放球拠点である豪州アリススプリングスに向けて12月半ばに発送しました (海上便)。またエマルションフィルムは実験前処理 (リフレッシュ、調湿、真空パック) を施したのち、1月末に現地に向けて冷蔵輸送で発送しました (航空便)。2月16日からメンバーが現地入りして最終準備を行い、3月14日に準備がほぼ完了しました。JAXA機器との最終かみ合わせ試験や通信電波感度試験を経て、風などの条件が整うのを待ちました。

図2:

全機器・全エマルションフィルム搭載完了時 (断熱材搭載前、与圧容器シェルを閉じる前)。与圧容器ゴンドラにローラー駆動型多段シフター2台を搭載し、そこにコンバーター全20パックを搭載している。全有感面積は2.5m2 (1.25m2×2セット)。両半円部に各機器のコントローラ、通信機器、電池を搭載。与圧容器リングの円弧部と直線部の外側には3方位を向いたスターカメラを搭載。長手方向の全長5.7m。

図3:

与圧容器シェルを閉じた後、最終かみ合わせ時。3方位を向いている銀色の筒がスターカメラの迷光除けフード。

4月30日に風などの条件が整い、現地時間午前6:32 (UTC+9.5) に気球を放球しました (図4)。放球した気球は上昇し続け、約2時間後に高度36kmに到達し、およそ東向きの風に乗り、水平浮遊を開始しました。「ほ」座パルサーおよび天の川銀河の中心がエマルション望遠鏡の視野を横切る時間帯 (15時 – 翌日6時半) を完全にカバーするように飛翔した後、5月1日8:00頃にエマルション望遠鏡全システムを停止させました。着地地点を注意深く予測した上で8:47に気球を切り離し、パラシュートで緩降下させ、9:25頃にアリススプリングス東南東およそ1100km、ロングリーチ南220kmの地点に着地しました。総飛翔時間27時間、うち高度35.4 – 37.2km水平浮遊24時間17分と、これまでのエマルション望遠鏡気球実験で最長の気球飛翔を達成するとともに、その間エマルション望遠鏡を一晩越えて安定して運用しました。5月1日15時頃にヘリコプターでゴンドラの無事を確認 (ストレージデータを回収) したのち、5月2日にトラックでゴンドラを無事にロングリーチに運び、5月4日に取り外したエマルションフィルムを日本に向けて冷蔵輸送で発送しました (航空便)。こうして2023年気球実験を無事に成し遂げました。

図4:

放球時の様子 (現地時間午前6:30頃)。気球の頭部から尾部 (中間発光点) まで約130m (上空での満膨張時の体積30万立方メートル)。ゴンドラ重量約1.1トン (バラスト約0.4トン)、気球も合わせた総重量約1.9トン。

今後の展開

日本に返送したエマルションフィルムを岐阜大学の大規模現像施設で現像処理を行います。現像・乾燥後のエマルションフィルムの表面析出銀をこすり取り、膨潤による膜厚調整を行い、名古屋大学の自動飛跡読取装置でエマルションフィルムの飛跡を読み出します。そしてデータ処理体制を構築していき、フライトデータ解析を行っていきます。

謝辞

2023年気球実験の達成にあたり関係各方面の方々の協力に感謝します。

  • 本実験は宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所(ISAS/JAXA)が提供する大気球飛翔機会を利用したものです。
  • 本研究開発は日本学術振興会科学研究費助成事業(17H06132、21H04472、23H00116、他)の助成のもとで行われたものです。

共同研究者

児玉 康一A, 秋田 将利B, 伊代野 淳B, 村上 郁哉B, 仲澤 和馬C, 吉本 雅浩C, 青木 茂樹D, 東 崇史D, 岡本 一紘D, 小田 美由紀D, 加藤 拓海D, 烏野 絢花D, 呉坪 健司D, 鈴木 州D, 髙橋 覚D, 長原 翔伍D, 中村 崇文D, 中村 元哉D, 松田 菖汰D, 丸嶋 利嗣D, 山下 真優D, 米野 翔真D, 諌山 雄大E, 臼田 育矢E,駒谷 良輔E, 小松 雅宏E, 小宮山 将広E, 佐藤 修E, 志水 凱E, 菅波 亜門E, 杉村 昂E, 鳥井 茉有E, 長縄 直祟E, 中野 敏行E, 中野 昇E, 中村 友亮E, 中村 光廣E, 中村 悠哉E, 西尾 晃E, 林 煕崇E, 南 英幸E, 森下 美沙希E, 森島 邦博E, 山本 紗矢E, 六條 宏紀E

A愛知教育大学, B岡山理科大学, C岐阜大学, D神戸大学, E名古屋大学

用語解説

※1 ガンマ線
極めて高いエネルギーを持つ光子。ここでは特にサブGeV – GeV帯 (GeVは10億電子ボルト) を高エネルギーガンマ線と呼ぶ。高エネルギーガンマ線の波長は原子核サイズ以下となり、可視光やX線のように鏡など光学系での集光や結像が原理的に難しくなる。高エネルギーガンマ線と物質との相互作用は電子対生成反応が支配的となり、電子対を捉えることで親であるガンマ線の情報 (到来時刻、到来方向、エネルギー、偏光) を測定できる。従って電子対を捉える能力がガンマ線観測能力に直結する。
※2 ガンマ線天文学
1952年に早川幸男らによって、宇宙線 (宇宙を飛び交う高エネルギー粒子) が星間ガスと衝突して生成される湯川中間子の崩壊からのガンマ線放射が提唱された。現在は宇宙ガンマ線観測を通して、宇宙線・高エネルギー天体・宇宙論・基礎物理の研究へと発展している。
※3 マルチメッセンジャー天文学
近年、超高エネルギーニュートリノや重力波の観測が実現しており、多波長・多粒子での天文学 (マルチメッセンジャー天文学) は新たな時代の幕明けとなっている。そのような中でガンマ線は決定的に重要なパートを担う。
※4 フェルミ・ガンマ線宇宙望遠鏡 (LAT検出器)
2008年にNASAが打ち上げたシリコン飛跡検出器から構成されるガンマ線望遠鏡。12ヶ国、90機関、400人以上の研究者から構成される国際共同研究であり、日本からも多くの大学・研究機関から研究者が参加している。これまでに5000以上ものガンマ線放射源を発見するなどガンマ線天文学の発展に大きく寄与している。
※5 エマルションフィルム (原子核乾板)
荷電粒子の飛跡を記録することに特化させた銀塩写真フィルム。荷電粒子の軌跡を三次元的に「千分の1」ミリメートル (1マイクロメートル) 以下の空間分解能で記録できる。ガンマ線電子対生成反応を極めて緻密に捉えられ、ガンマ線に対して優れた角度分解能およびガンマ線偏光に対して感度を持たせることが実現できる。併せて大面積化も実現可能。
※6 超高速自動解析技術
エマルションフィルムに記録された飛跡を高速に自動で読み出す装置および一連のデータ処理群。これによってエマルションフィルムの大面積解析が実現。現行機をHyper Track Selector (HTS) と呼ぶ。
※7 時刻情報付与技術
エマルションフィルムに記録された飛跡は本来時間情報を持たない。時刻付与機構「多段シフター (複数段のエマルションフィルムをそれぞれ固有の周期で動かし、アナログ時計の時針・分針・秒針のように時刻に応じた飛跡の位置関係を作り出す) 」によって、エマルションフィルムの飛跡に秒以下の時刻情報を付与できる。姿勢監視情報と併せることで、ガンマ線が「いつ」「どこから」飛来したか決定できる。
※8 GRAINE計画 (Gamma-Ray Astro-Imager with Nuclear Emulsion)
「世界最高角度分解能 (1GeVで0.1度)」「世界初偏光有感」「世界最大口径面積 (~10m2)」を実現するエマルション望遠鏡 (10MeV – 100GeV) による長時間気球飛翔繰り返しでの宇宙高エネルギーガンマ線精密観測実験計画。愛知教育大学、岡山理科大学、岐阜大学、神戸大学、名古屋大学の研究者から構成される共同研究 (実験代表:青木茂樹 (神戸大学))。
※9 2011年気球実験
北海道大樹町にあるJAXA大樹航空宇宙実験場で実施。口径面積125cm2、総飛翔時間4.3時間 (うち高度34.7km水平浮遊1.6時間)。エマルションガンマ線望遠鏡の初めての気球実験を達成。
※10 2015年気球実験
JAXA豪州気球実験 (※12)。口径面積3780cm2、総飛翔時間14.4時間 (うち高度36.0 – 37.4km水平浮遊11.5時間)。2015年気球実験はJAXA大気球実験室現体制において初めてとなるオーストラリア気球実験であったが、JAXA大気球実験室の成功およびGRAINEグループも先行実験としての役割を果たした。
※11 2018年気球実験
JAXA豪州気球実験 (※12)。口径面積3780cm2、総飛翔時間17.4時間 (うち高度35.4 – 38.1km水平浮遊14.7時間)。望遠鏡の大幅な改良によって、既知の明るいガンマ線源である「ほ」座パルサーについて世界最高解像度での撮像を達成し、世界最高角度分解能を実現するエマルションガンマ線望遠鏡を確立した。
※12 JAXA豪州気球実験
JAXAがオーストラリア連邦科学産業研究機構CSIROと取り決めを交わし提供している大気球飛翔機会。ニューサウスウェールズ大学が管理しているアリススプリングス気球放球基地を使用。
※13 与圧容器ゴンドラ
コンバーター内やシフター各段内で積層されるフィルムはラミネート紙で真空パックすることにより観測中のフィルム相互の位置関係を保持する。観測高度では外気はほぼ真空に近い状態 (約1000分の5気圧) となってしまうが、これに対して観測器全体を気密容器に入れて必要最小限の圧力を保つことにより、真空パックによる圧力を保持する。

関連リンク

研究者