日本銀行の新総裁に就任した植田和男氏は、物価上昇率年2%の目標と大規模な金融緩和政策の継続を決め、黒田東彦前総裁の路線を踏襲した。一方で、長年の金融緩和政策の効果や副作用を検証する方針を打ちだし、政策転換に向けた布石ともとれる。ウクライナ戦争による資源高などを背景に、欧米各国がインフレ抑制のために金融引き締めにかじを切る中、日本のゼロ金利政策はいつまで続くのか。これまでの金融政策の評価と今後の行方について、金融経済学、金融政策が専門の西山慎一経済学研究科教授に聞いた。

西山慎一 教授

植田新総裁は4月末にあった就任後初の金融政策決定会合で、黒田前総裁の大規模金融緩和の継続と金融政策のレビュー(検証)を公表しましたが、どう受け止められましたか?

西山教授:

予想どおり、金融政策の大きな変更はありませんでした。植田総裁は、黒田前総裁のスタンスを引き継ぎ、「粘り強く質的量的緩和を続ける」ということをおっしゃいました。当面は大規模緩和を維持するということですが、ずっと続けるのか、あるいはどこかで方針転換するのかは、まだ分からないですね。

検証については、過去のデータを用いて効果を分析し将来の金融政策に生かしていくということですから、その姿勢はまさに学者出身の総裁らしい。そこは非常に心強く思っています。官僚や日銀出身の総裁は、なかなか過去を振り返りたがらないですし、前だけ見ている感じがします。しかし、ときには過去の政策効果を客観的、科学的に検証するということは必要だと思います。

過去25年間の政策検証というのは、2013年に就任した黒田前総裁の任期を超え、かなり長いスパンです。

西山教授:

1980年代以降、なぜバブルを発生させたか、あるいは90年代のバブル崩壊後の金融政策、金融機関への公的資本注入のタイミングや金額が正しかったのか、ということは検証が必要でしょうね。「too little, too late」といわれたように、日銀の金融政策については金融緩和が遅れたんじゃないかとか、規模が小さかったんじゃなかという批判がありました。実は私も個人的には「too little, too late」だったと思っていますし、2005年にはデータと理論を用いて検証した論文も出しました。シミュレーション分析によって、もっと早めに金利を低下させるべきだったと指摘しました。

2008年のリーマン・ショック当時、カナダ中央銀行に勤務していましたが、FRB(連邦準備制度理事会)や米政府の関係者から「日本の経験を聞かせてほしい」と、よくヒアリングされました。そのときには、私の意見として、90年代の公的資本注入が遅すぎ、規模も小さすぎたことを指摘しました。もしバブル崩壊後すぐに多額の公的資本を注入していれば、金融システムがあれほど荒れなかっただろうし、その後の長期停滞も避けられたんじゃないかとも言いました。2009年にオバマ政権は素早く公的資本注入をしましたが、FRBや財務省のエコノミストが日本の経験を反面教師にしたのではないかと思っています。迅速かつ巨額に公的資本注入をやったおかげで、批判はあったかもしれませんが、米国はリーマン・ショックからの回復は早かったですね。経済学者の中には、日本のように政策が「too little, too late」だと、結果として失われた10年、20年になりうるんじゃないかという問題意識がずっとあります。

1990年代後半以降の日銀の金融政策
時期政策のポイント総裁
1999年2月ゼロ金利政策の導入速水優総裁
2000年8月ゼロ金利政策の解除
2001年3月量的緩和策の導入
2010年10月包括的な金融緩和政策の実施白川方明総裁
2013年4月量的・質的金融緩和の導入黒田東彦総裁
2016年1月マイナス金利政策の導入
2016年9月長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)の導入

遅すぎた異次元緩和

黒田前総裁は異次元の金融緩和を10年以上維持し、マイナス金利も導入しましたが、当初の物価上昇率2%という目標は達成できませんでした。黒田前総裁の金融政策については、どう評価していますか?

西山教授:

私自身は「バズーカ砲」と言われた異次元の金融緩和を結構、評価しています。ただ、運がなかったと思いますね。実際、当初は円安になって株価や物価上昇率も上がり、マーケットのインフレ期待値も上昇していました。着任1年目はよかったんですが、その後、思ったように景気が浮揚せず、マーケットのインフレ期待も尻すぼみの感じになってしまいました。消費税率の引き上げやコロナ禍の発生など、黒田前総裁がコントロールできない事象でインフレ期待を上昇させることができなかったですね。やれることはすべてやったけど、結果が出なかったんじゃないですかね。

もっと早く、黒田前総裁の前任の白川総裁の時期から大胆な金融緩和をやるべきだったと思います。白川さんのときも量的緩和をやりましたが、ペースが保守的でした。もし白川さんのころからバズーカをやっていれば、もっと違った結果になったかもしれません。新たな事象が発生したときに官僚は保守的になりがちで、なかなか積極果敢になれなくて、「too little, too late」になってしまうんですよ。

長期間、ゼロ金利政策が継続され、日銀は長期金利を抑制するために日本国債を大量に買い入れています。国債の買い入れの限界も指摘されるようになっています。この先、国債の買い入れ額を徐々に減らして長期金利をコントロールすることは可能でしょうか?

西山教授:

確かに、日銀の国債保有率が過半数を超えているので、そろそろ限界がくるのが見えているわけですね。これから量的緩和のペースをどうしていくのかは気になるところではあります。おそらく、日銀が国債の発行残高の過半数を保有するような事態は、量的緩和を開始したときにはエコノミストも想定していなかったと思います。

この先、国債買い入れペースを減速させていかざるをえないのであれば、日銀は理由を正直に説明することですね。中央銀行の意思とマーケット参加者の意思に齟齬(そご)がないことが重要です。誤解があると、変な思惑が発生してしまいます。そういう間違った思惑が発生しないように、ちゃんとコミュニケーションをとることが大事です。

5年以内の利上げは五分五分

 

欧米は資源高による物価上昇を抑制するために、利上げに踏み切っています。とくに、2022年3月から利上げを続ける米国とゼロ金利状態の日本との金利差は開く一方です。なぜ、日本はゼロ金利政策が解除できないのでしょうか?

西山教授:

日本が利上げに踏み切れるかどうかは、一般国民が将来物価が上がっていくだろうと想定する「インフレ期待」が醸成されるかどうかしだいです。日本ではデフレ経済が長く続きすぎ、家計や企業は「物価は上昇しないものだ」という思い込みが根強いですね。そこが、物価は上がることを前提にしている海外と大きく違うところです。家計及び企業が将来的なインフレを折り込むようになれば、ゼロ金利政策の解除が見えてくると思いますが、今はそこまでいっていないと思います。

2022年度はようやく年3%程度の物価上昇率になりましたが、エネルギーの高騰など供給側の要因であって、需要側が醸成した物価上昇ではありません。欧米では、バスや地下鉄の運賃が値上げされても物価が上がるのは当然という意識で、賃金も上がるのでそれほど問題になりません。ところが、日本では企業が値上げすると悪目立ちするので、価格を上げられないから、結局、賃金にしわ寄せがいきます。企業が値上げするとマスコミも大騒ぎしますが、企業がもうけることが回り回って賃金の上昇につながるので、寛容な姿勢で企業の値上げを見守ることが賢い消費者の態度だと思います。

今後の金融緩和政策はどうなるでしょうか?出口戦略をどう描きますか?

西山教授:

金融緩和政策はそろそろ限界がきていて、金融政策自体にほとんどできる余地はないと思っています。やれるとしたら、粘り強く今のスタンスを維持すること、そして、そのメッセージをマーケットや国民に伝えてインフレ期待を醸成していくことが重要ですね。だから、コミュニケーションが非常に重要になってきますね。

個人的には、出口戦略を語るのはまだ早すぎると思っています。まず、年3~4%のインフレ期待が2年ぐらい続き、実際のインフレ率も年3~4%で2~3年間、安定的に継続することが必要です。それでやっとゼロ金利解除のタイミングが近づいてくるわけです。だから、私は植田総裁の5年間の任期中にゼロ金利が解除できるかどうかはフィフティー・フィフティーだと思っています。まずは企業とか家計には「物価が上がる」というマインドセットが求められます。ただ、物価が上がることを経験していない若者のマインドを変えるのは難しいと思います。しかし、物価だけでなく、名目賃金も年3~4%上がるようになってはじめて、ゼロ金利解除の議論ができると思っています。

最後に、西山教授の最近の研究内容についてお話しください。

西山教授:

1950年代~90年代までの過去の長期のデータを使って、日本のインフレ期待がどう推移してきたかを検証しています。暫定的な結果として、実際の日本のインフレ期待は、1970年代後半の第2次オイルショック前に大きく下がったことが明らかになっています。日本銀行や政府が、第1次オイルショック後に物価を抑える方向に政策転換したことが影響しているのでしょう。米国は第2次オイルショック後にようやくインフレ期待を抑えているので、日本の方がむしろ早かったんです。日本が第2次オイルショックをうまく乗り切ったことが、80年代の好景気につながったと考えています。最初の推計をワーキングペーパーとして公表し、いまは再推計中です。今後、学会や論文で発表していく予定です。

略歴

1997年6月国際基督教大学(ICU)教養学部卒業
2002年8月米国オハイオ州立大学経済学研究科博士課程修了
2002年9月日本銀行金融研究所エコノミスト
2005年9月カナダ銀行(中央銀行)シニア・アナリスト
2010年4月内閣府経済社会総合研究所主任研究官
2011年4月東北大学経済学研究科准教授
2017年4月神戸大学経済学研究科教授

研究者