空間経済学は経済学の中でも比較的新しい学問領域で、「人と企業の相互作用による経済活動の空間構造を俯瞰的に分析する学問」とされる。その空間経済学を専門とし、東日本大震災の被災地に10年間通い続けて研究に当たってきた神戸大学経済経営研究所の濱口伸明教授 (グローバル経済、経済統合) に、空間経済学の視点からとらえた災害復興のあり方について話を聞いた。
空間経済学とはどのような学問なのでしょうか。
濱口教授:
1990年代初頭にわたしが米国・ペンシルベニア大学で博士論文のための研究をしていた時、指導教員の先生が中心となって開拓した新しい学問で、ひとことで表現するなら経済活動の空間構造を俯瞰的に分析する学問です。
例えば、個人であれば生活者としてどこに住むのが最適か、企業であればどこで生産すれば一番利益が出るかを考えるわけですが、それぞれが自由に住む場所、生産する場所をミクロで決めていくとき、その相互作用から住居、工場の立地パターンがマクロでどのように形成され、それが経済活動にどのような影響を及ぼすかを理解するための理論です。経済のグローバル化が進み、国境という制約が薄れる中で世界がどのように変わっていくのかという関心から生まれました。
空間経済学と災害との関わりについてはどのように考えたらよいのでしょうか。
濱口教授:
災害が起こった地域は、人々の生活の場としても、企業の活動の場としても不安定化します。そのままその地域に残るか、いったん離れてもまた戻ってくるか、そこにいることをあきらめて離れてしまうか、それぞれの状況に合わせて独自の判断をするわけですが、その結果、都市機能や産業の集積が復活するのか、はたまた消滅してしまうのか、といった分析につながります。
人口減少局面でクローズアップされる空間経済学の役割
阪神・淡路大震災の時に空間経済学で分析する発想はあったのでしょうか。
濱口教授:
阪神・淡路大震災が発生した1995年は、日本がまだぎりぎり人口増加局面にありました。人が移動すると移動先の地域も混雑するといった制約があるので、元いた場所に戻すというのが自然なプロセスでした。ところが、2005年以降、日本は人口減少局面に転じます。地方で人が住んでいてこそ成り立っていた上下水道施設や地域交通といった生活基盤の維持が難しくなったことで、仮に災害が起きた時に、人をそのまま戻してもよいのか、むしろ戻さないほうがよいのではないかという議論も出てきました。つまり、人口増加局面よりも困難な復興過程が容易に予想される中で空間経済学の役割が重みを増してきたのです。
長期的に見れば、ある地域については消滅が避けられないのかもしれませんが、今すぐにそのような状況になると社会的な影響が大きいと考えられます。わたしは、復興に要する費用がそれほど大きくないのであれば復興させて、元の状態とは言わないまでも、ある程度の規模に戻して維持したほうがよいのではと考えています。
求められるのはスピード感とイノベーション
東日本大震災後は被災地に入り込んで研究を続けられました。
濱口教授:
東日本大震災は、人口減少局面において日本が初めて経験した大規模な災害でした。そこで、わたしたちは被災地を何度も訪ね、約10年にわたって復興の過程を見続ける機会をいただきました。
研究で得られた教訓は2つあります。まず1つ目は、元の人口に戻したいのであれば、スピード感が求められるということです。時間が経つと、本来戻ってくるべき人たちが移動した先で定着してしまうからです。これを防ぐには、できるだけ早期に復興の工程表を示すことが重要です。自分たちがいつ戻れるのかという見通しが立たないとどんどん不安になってきますし、戻すためにより多くの復興費用を要することになります。
2つ目の教訓はどのようなものでしたか。
濱口教授:
地場産業におけるイノベーションが復興を速めるということです。例えば、水産業であれば魚を獲って売るというだけでなく、漁業に必要な漁具を作ったり売ったりする人もいます。また、都会の市場へ売るだけでなく、地域の飲食業、観光業への貢献も大きく、そこには多様な専門知識と経験を持った非常に多くの人たちが関わっています。東日本大震災のような大規模な災害になると、多くの方が亡くなるだけでなく、船や設備をなくした高齢の従事者が事業再開に向けた投資をしてまでやり直すということが非常に難しく、廃業される方も多くおられました。他方、人口流出がもともと激しい地域だったのでその穴を若者が埋めることも期待できません。そのような状況の中で地場産業を元に戻すには何らかの革新的な手法が求められます。
ゼロリセットで可能になった牡蠣のブランド化
イノベーションの具体的な事例について教えてください。
濱口教授:
宮城県南三陸町の戸倉地区は牡蠣の養殖が盛んな地域です。震災以前は、養殖業者の方々が土日も休むことなく、毎日10時間ほど働くことで、できるだけたくさんの牡蠣を収獲してお金を稼ぎ、豊かになるというビジネスモデルでした。ただ、三陸海岸は小さい湾が入り組んだリアス式海岸で、小さい湾の中に多くの養殖いかだが密集していたことから栄養分や酸素が不足し、牡蠣の生育に影響を及ぼしていることが以前から問題になっていました。
震災によってすべてのいかだが流されてしまったため、戸倉地区の養殖業者の皆さんは今後どうすべきか話し合いの場を持ちました。そこで出た結論が、いかだの数を3分の1に減らすことでした。収入が減る懸念から反対論もありましたが、幼いころから見知った仲で話し合いを進めていく中で合意形成がなされました。
実際に3分の1に減らしてみると、牡蠣が出荷できる大きさに成長するまでに以前は1年半を要していたところ、90日ほどまで劇的に短縮され、生産性が大きく向上したのです。震災以前から、密植は良くないとわかっていながら、横並びの意識が働いてできなかったのですが、震災でいったんゼロになったからこそできたわけです。1日の労働時間が短くなり、土日も休めるようになったうえに、牡蠣は以前より大きくなってブランド化することができ、東京の市場にも出せるようになりました。労働時間が減って収入は上がったので、若い世代の人が後継者として入ってくるようにもなりました。
人口減少社会での復興のあり方をどう考えますか。
濱口教授:
日本における人口減少のトレンドは変わらない中で、人口を元に戻したり、復興によって目覚ましく発展を遂げたりすることは難しいでしょう。災害によって大きく落ち込んだ人口をある程度元の水準に戻す中で、地域の豊かな資源が持続的に管理、利用できて、ワークライフバランスを保ちながら、そこに暮らす人たちが以前よりも豊かな生活ができているのなら、それを復興と呼ぼうではないかと考えています。
人口減を防ぐために防災対策とBCPを
2024年1月に発生した能登半島地震の復興状況はどのようにご覧になっていますか。
濱口教授:
実際に現地の調査に行けているわけではなく新聞などの情報で知る限りにおいてですが、電気や水道などのインフラの復旧が遅れていることを実感しています。能登地域の場合、平地が非常に少なく仮設住宅を建てる場所が限られており、そのために長い間避難所生活を強いられます。そうした状況の中で、遠方にあるホテルや公営住宅などのみなし仮設住宅に移った人はそこで新たな生活が始まり、元の地域に戻らない人が増えてしまっています。能登ならではの特殊な事情もありますが、スピード感が必要という教訓が生かされていないのは残念です。
空間経済学の視点から、今後起こる災害に対してできる対策があるとすれば、どのようなことでしょうか。
濱口教授:
災害によって一度にたくさんの人が亡くなってしまったり、遠方に避難せざるを得なかったりする状況を未然に防ぐことが求められます。そのためにできることの一つは、事前の防災対策です。そしてもう一つは、災害にあったとしても、例えば地域内で仮設住宅をすぐ整備できるようにするにはどうしたらよいか、地場産業を違う形で付加価値の高いものにするにはどうしたらよいか、といった地域のBCP(事業継続計画)を事前に練っておくことです。
災害に直面したときには待ったなしの対応が求められますが、ふだんから地域を持続的に発展させていくために地域の資源を革新的に活用したり、自己実現をかなえる働き方ができる仕事の場を創出するための方法を考えておいたりすることは、地方創生にも応用できる考え方です。
濱口伸明教授 略歴
大阪外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒業後、アジア経済研究所(現・日本貿易振興会アジア経済研究所)開発研究部研究員を経て、米国・ペンシルべニア大学大学院地域科学研究科博士課程修了(Ph.D.)。2004年、神戸大学経済経営研究所准教授。07年から教授。