「国際法にはロマンがある」。国際協力研究科の柴田明穂教授は、大学時代の恩師の言葉に導かれて、国際法の研究者の道を歩んできた。政府の代表として条約交渉にも加わり、現場主義の研究スタイルを確立した。自身もかかわった南極条約が実際にどのように機能しているのかを研究するため、2016年11月から翌年3月までの4か月間、南極観測隊の一員として南極の現地調査に取り組んだ。自然科学者とも協力して、世界の安定の基となる国際法のあり方を追究している。

 

「現場主義の国際法」を実践しておられます。大学教授を勤めながら、条約交渉の現場にかかわってこられた理由、きっかけは何だったのですか。

柴田教授:

岡山大学法学部助教授だったとき、外務省の知人から「国際法的な観点から環境外交に取り組む必要がある。大学の先生に来て欲しい」と声をかけられ、2001年から2年間、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の専門調査員を務めたのがきっかけです。当時は国際環境法を専門にはしていませんでしたが、条約交渉の現場を見られるだろうと考えて飛び込みました。

法律家は法律や条約の条文を読んで解釈しますが、ある文言が使われた理由や条文の背景、交渉の過程など文書だけではわからないことがあります。条約交渉の現場に立ってみると、公式の記録には残らない駆け引き、条約の背景や国家間の利害関係がまざまざとイメージできるようになりました。また、国際法(条約)は国家の利害関係の中で運用されます。そのような視点の重要性に気付き、「現場主義」の研究スタイルの出発点になりました。

私は、主なものでは、南極条約事務局設置交渉<南極条約協議国会議(ATCM)2002~2003年>、南極環境責任附属書交渉<南極条約協議国会議(ATCM)2002~2005年>、遺伝子組換え生物から生じる生物多様性損害に関する責任と救済補足議定書交渉<バイオセイフティーに関するカルタヘナ議定書締約国会合(MOP)2006~2010年>などに、約10年間、外務事務官や事務委嘱などの肩書きでかかわりました。

International Liability Regime for Biodiversity Damage

そのような研究スタイルの学者は珍しいですね。

柴田教授:

私が条約交渉にかかわるようになった20年近く前は、現場に身を置く私は異端でした。時間も労力もかかりますから、文献による研究とのバランスは課題でしたね。しかし、今では私のように条約交渉の現場で研究する学者も増え、必要性が認識されるようになっていると思います。

条約交渉の現場での経験は、著書や論文という成果にも結びつきました。例えば、2006年から日本政府代表団の一員として交渉に参加した国際環境条約「責任と救済に関する名古屋・クアラルンプール補足議定書」(2010年妥結、2018年3月発効)の交渉過程と意義を考察した国際共同研究の成果書を2014年に出版。また、2002年から参加した南極条約協議国会議での経験も踏まえて、南極における国際法秩序形成の100年の歴史と日本の役割を論じた論文を2015年、Yearbook of Polar Law, Vol. 7に発表しました。

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条約交渉の現場だけでなく、実際に南極に行ってみようと考えた理由は?

柴田教授:

02年から08年まで、南極条約協議国会議の日本政府代表団員・団長を務め、南極条約をめぐる各国の利害関係に触れました。南極条約には環境保護、観光活動(の規制)など多くの課題がありますが、もう一つの大きな目的に科学活動を促進することがあります。実際に南極で調査・研究に取り組んだ科学者も条約交渉の場に来ていて、「環境保護と科学活動のバランスが重要と言われるが、実際に南極に来てもらわないと科学活動がいかに大変かはわかりませんよ」と言われました。南極で科学活動が実際にどのように行われ、環境に負荷をかけているのか、守るべき生態系とはどんなものなのかということに関心が芽生え、南極に行かければならないと考えるようになりました。

南極スカレビークハルセンで調査する柴田教授
南極観測の同僚と (左から三人目)

とはいえ、国際法の研究者が南極観測の現場に行くのは容易ではなかったでしょうね。

柴田教授:

日本の南極観測事業は閣議決定のもと、6年ごとの南極観測事業計画があり、その中で内容が決められています。従来は社会科学者が南極に行って研究することは一切書かれていませんでした。ところが、約10年前から世界的な潮流として、大きな科学プロジェクトがどう社会や政策とつながっているのか、国際社会のためになっているのかが問われるようになってきました。私は第8期南極観測事業計画(2016~21年)の素案を策定する委員会のメンバーでしたので、「今後南極観測事業が社会に受け入れられるために社会科学や人文学の要素を入れる必要がある」と主張し、南極観測の同行者に人文・社会科学者を入れてもよいことになりました。国際法が南極の現場でどのような役割を果たしているかを現地調査する研究プロジェクトで応募し、採択されたのです。

南極ラングホブデのペンギン調査小屋の中で

2016年11月から翌年3月までの4か月間、実際に南極に滞在されました。

柴田教授:

いろいろな意味で、〝目から鱗が落ちる〟経験をしました。まず、実際に南極に立ってみて、人間の痕跡が無い風景が極めて魅力的であることを強く感じ、「南極に行きたい」という人間の欲望を押し止めることは容易ではないことがわかりました。毎年5万人ほどの観光客が南極を訪れていますが、南極の手つかずの自然の魅力、ウィルダネス・バリュー(原生地域としての価値)を守ることと、人間の欲望のバランスをとることの難しさを肌で感じました。

南極環境保護議定書に基づく「南極特別保護区」への立ち入りは原則禁止され、立ち入り許可発給の条件が厳しく定められています。日本が管理している「第141南極特別保護地区雪鳥沢」はユキドリの営巣地があり、その排泄物や死骸が栄養素となって、沢を流れる小川の周辺には地衣類や藻類が生息しています。他の露岩地域では見られなかったコケの緑が妙にまぶしく、「豊かな生態系」(ここで調査している研究者の言)が成立していました。この貴重な自然を守るため、保護区内ではいかなる車両も使用できず、ヘリコプターも着陸できません。研究者は険しい岩場が続く雪鳥沢をゴムボートや調査機材などを担いで歩かなければならないのです。

日本の昭和基地の周辺はアクセスが難しく、今のところ観光コースから外れていますが、いずれは観光客が訪れるようになるでしょう。南極のウィルダネス・バリューは一部の科学者が独占できるものではなく、全世界の人々に平等に開かれているべきです。より多くの人々が南極の素晴らしい価値を享受しつつ、後世に適切に受け継いでいくための国際ルール作りに貢献したいと思います。

世界各地から集まった極域協力研究センターのメンバーと

極域協力研究センター長として、北極域の国際法についても研究に取り組んでおられます。

柴田教授:

地球で起きている環境変化が最も表れやすいのが極域といわれていて、その意味で科学研究が重要な地域です。南極では150年も前から科学活動が行われてきましたが、北極は周りの領土がはっきりしており、冷戦のまっただ中の時期には科学者が行くことが出来ませんでした。科学的に重要な地域なのに、科学的な知見が集まっていなかったのです。

冷戦終結を経て、1990年以降に科学活動が活発に行われるようになりました。最近10年程は地球温暖化の影響が北極により強く及んでいることがわかってきて、いずれ夏季には海の氷が無くなると予想されています。2050年ごろとされていたその時期も、現在では2030年ごろとみられています。海氷が無くなると人間活動がどんどん活発になり、環境保護と人間活動の調整という南極条約の知見を、北極でも生かすことが求められます。南極条約に相当する取り決めが無い中で、どうやって調整するのか、国際法的にも面白いテーマで、私の研究が生かせると考えています。

国際法の交渉は国家の利害がぶつかり合う世界のようですが、研究者としてどのような役割を果たしていく考えですか。

柴田教授:

国際社会の安定が、力ではなく法・規範で保たれる世界の方がベターだと私は思っています。規範の一部である国際法が適切に発展することが重要で、将来にわたって国際社会を安定させる実効性のある国際法を確立することに関心があります。長くかかわっている極域の問題でも他の分野でも、新しい課題について国際規範が必要であるという機運が国家間で生じ国際交渉が行われる際には、日本の国益に加えて、その課題を解決していける適切な国際規範や条約を確立することに貢献していくつもりです。

今後力を入れる研究分野は何ですか。

柴田教授:

南極条約は2019年に締結60周年、2021年に発効60周年を迎えます。中国など新興国が国力を高める中で、南極条約が今後も南極を適切に管理し続けられるのかが、議論されています。国際法の重要性を再確認しなければならない時期に来ており、そのために取り組んでいる国際共同研究プロジェクトをしっかり仕上げたいと思っています。

極域協力研究センターでは、自然科学者と社会科学者の連携を追求したいと考えています。現在、北極を題材に海洋研究開発機構の研究者と、海洋科学と国際法学の連携で新たな知見を生み出す研究プロジェクトを立ち上げています。「Policy Relevant Science」、政策的に意義ある科学というコンセプトで、科学活動をいかに政策的に意味あるものにするかを学術的に明らかにしたいと思っています。

研究者として、こうした最先端の研究をきちんと書籍や論文にまとめることも重要です。国際法の場合は、英語で発信していくことが必要と考えています。

国際協力研究科の修了生は、国際公務員として活躍する人も少なくありません。院生の指導にも、国際条約の現場の経験は貴重でしょうね。

柴田教授:

各国の代表団や条約事務局の職員にたくさんの仲間がいますので、比較的容易に条約交渉の場に院生を連れて行くことが出来ます。外交官が実際にどういうことをやっているのか、近くで見られるのです。また、条約事務局の職員である国際公務員が重要な役割を担っています。交渉のお膳立て、文書作りを通じて条約交渉を促進している事務局職員の仕事ぶりを知ってもらうために、旧知の事務局職員に院生が密着させてもらったりしています。院生は国際公務員の仕事内容、国家との関係、中立性とはどういうことなのかを感じ、キャリア構築の参考にします。実際に何人もの修了生が国際公務員として活躍しており、先日も国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に採用されたOGが、「レバノンに赴任します」と挨拶にやってきました。

略歴

1965年生まれ兵庫県出身
1990年3月京都大学法学部卒業
1992年3月京都大学大学院法学研究科博士前期課程修了
1993年5月米国ニューヨーク大学ロースクール修士課程修了
1995年3月京都大学大学院法学研究科博士後期課程中退
1995年4月岡山大学法学部助教授
2005年4月神戸大学大学院国際協力研究科教授

外務省関連

2001年7月~2003年6月在ジュネーブ国際機関日本政府代表部・専門調査員
2003年10月~2004年3月外務省総合外交政策局国際社会協力部・外務事務官
2004年4月~2007年3月外務省大臣官房国際社会協力部・事務委嘱
2007年4月~2009年3月外務省・業務委嘱(南極条約交渉関連)
2007年7月~2010年11月外務省・事務委嘱(カルタヘナ議定書交渉関連)
2012年5月~7月外務省「国連国際法委員会(ILC)第64回会期」外務省派遣補佐
2017年4月~外務省「我が国の海洋法に関する事例のとりまとめ」研究委嘱

政府代表団等

2002年12月~2006年11月バーゼル条約遵守委員会委員
2002年~2008年3月南極条約協議国会議日本政府代表団員(団長)
2006年11月~2008年6月バーゼル条約締約国会議日本政府代表団員
2007年2月~2010年10月カルタヘナ議定書締約国会合日本政府代表団員
2005年4月~2017年3月文科省南極地域観測統合推進本部観測事業計画検討委員会委員
2011年2月~中央環境審議会・臨時委員
2016年3月~7月北極評議会科学協力タスクフォース会合(SCTF)日本政府代表

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