本制度は、次世代の本学の教育研究を担う人材を育成するため、福田前学長のもと、優秀な若手研究者を長期間海外に派遣するために平成21年から開始した海外派遣制度です。
本制度は、原則45歳以下の若手教員を海外に少なくとも6ヶ月以上は派遣するもので、1年以上の滞在も許可しており、武田現学長の主導のもと既に130名以上の若手教員を派遣しました。
インタビュー1:人間発達環境学研究科 川地 亜弥子 准教授 (英国・ケンブリッジ大学)
なぜ英国へ?
日本の戦前、1930年代の作文教育・生活綴方(つづりかた)を研究しています。教育は文化固有性が高く、学校制度も国や時代によって異なります。翻訳も難しく、「綴方」の英訳はかつてcompositionでしたが現在はwritingになっています。戦前の教育に関する研究論文は、そもそも日本語で書かれることが多く、その点も英訳にチャレンジするときの困難につながっています。
私が英語で論文を書き、今回英国での若手教員長期海外派遣に応募することになったのは、“Educational Progressivism, Cultural Encounters and Reform in Japan”(『日本における教育的進歩主義、文化の出会いと改革』)の出版に参画したことがきっかけでした。山崎洋子・福山平成大学教授から「イギリスの出版社ラウトリッジが、世界の進歩主義教育シリーズを出す企画を立てていて、そこに日本からも参加を検討しています。あなたも日本の生活綴方を紹介しませんか」と誘っていただき、2年がかりで合宿も含めて10回以上も会議を行って英語論文を仕上げていきました。ケンブリッジ大学のピーター・カニングハム先生(英国教育史学会理事)が私の論文を読んで何度もコメントしてくださいました。私が行数を割いて書いた部分に「日本では重要かもしれないが、そんなに書き込む必要は無い」とか「ここはもっと説明してほしい」と粘り強くアドバイスをしていただき、実質的に初めての英語論文を仕上げることができました。私にとって深い学びがあり、英国に行って研究しようと決意しました。
現地での研究テーマ
① 英国の教員養成課程
PGCE(Post Graduate Certification for Education)という大卒後1年間で教員免許を取得するコースの講義に出席し、英国の教員養成の実態を調査。大卒直後の人だけでなく、子育てを終えた人、博士課程修了後に教員を目指す人など多彩な人々が学んでいました。
② 英国の進歩主義教育
子どもに何か本質的なことを教え込む教育に対して、子ども中心の教育を進歩主義教育といいます。子どもがやりたいことを尊重して教育しますので、評価規準がありません。「どうしたら子どもが育ったといえるのか?」が中心的な関心です。進歩主義的な教育のひとつである生活綴方でも、子どもの生き方と関連して評価しなければならないと考えられ、「どういう作文が良い作文なのか」について議論を続けてきました。英国でも同様の課題があると考え、ケンブリッジの図書館で進歩主義教育の評価に関する資料を集め、カニングハム先生と議論しながら研究を進めました。今後も英国を訪問して資料収集と研究に取り組むつもりです。
③ Oracy(話すこと)教育
英国では就職などでも「話すこと」が重要で、読み、書き、計算など様々なリテラシーの中でも、話すこと=Oracy教育が重視されていました。現地の学校を訪問させてもらい、英語が母語でない子どもたちを励まし、格差を減らすために取り組まれているOracy教育に触れ、今後の研究テーマになりました。
研究交流
日本の生活綴り方教育に関する研究報告を、ケンブリッジ大学だけでなく、ローハンプトン大学(英国)、レリダ大学(スペイン)でも行いました。スペインにも日本の生活綴方に似た取り組みがあり、現場の教員や大学院生、研究者と交流しました。ローハンプトン大学のマリチェル・サイモン・マーティン先生(英国教育史学会理事・国際教育史学会紀要編集委員)やレリダ大学の先生らとのつながりを深めることができました。
セキュリティー上の問題で、学校に部外者が立ち入ることは非常に難しいのですが、世界授業研究学会会長のピート・ダドリー先生に紹介いただいて、初等・中等教育学校の授業調査にも取り組みました。英国内で18校訪問し、Oracy教育など子どもの権利保障、格差是正を目指す取り組みを調査しました。私は大学院生時代に1歳半健診の発達相談員を務めて、様々な困難を抱えた家庭に出会い、生活綴方では読み書きの指導というだけでなく子どもたちが困難な状況を乗り越えて行くための指導となっている点に注目して研究してきましたが、進歩主義教育・生活綴方と子育て支援という二つの関心が、英国でつながったと感じています。英国では移民など英語を理解できない人たちへの根本的支援に取り組んでおり、日本も今後文化的に多様な人たちが入ってくることを考えると、学ぶことが多いのではないでしょうか。
家族帯同
夫は仕事の関係で同行できませんでしたが、息子は付いてきて、現地の語学学校に通いました。いろんな国の友だちができて、生活をエンジョイしたようです。私より一足先に帰国し、大学受験して今は日本の大学生です。
ロンドンから電車で50分ほどのケンブリッジは治安が良く、夜に一人歩きしてもまったく不安はありません。人種差別にあったこともなく、私の分かりにくい英語も顔色一つ変えずに聞いてくれ、大変住みやすいところでした。
もし、学齢期のお子さんと一緒に行かれるようでしたら、事前に学校の入学についての手続きを調べ、役所に連絡しておくことを勧めます。イングランドは公立も学校選択制で、何の手続きもせずに引っ越すと、学校に入れるまで相当待たされます。2か月待った人もいるようです。学校が決まっても、とても遠かったりします。小学校(Primary School)になっても、朝夕の親の送り迎えが義務付けられているので、遠いと親子ともども大変です。日本では、引っ越した先の学校で受け入れてもらえることが普通ですが、そうではないので、たとえばケンブリッジに行かれるようでしたら、City Councilのウェブサイトを見て、問い合わせるといいでしょう。
インタビュー2:情報基盤センター 宋 剛秀 准教授 (フランス・アルトワ大学)
研究内容
私がいま行っている研究は、制約充足問題(Constraint Satisfaction Problem; CSP)という問題を計算機で解く方法です。簡単に説明すると、与えられた制約条件を全て満たす解を見つける問題です。問題の規模が大きくなると解くことが難しくなることが理論的に知られていますが、人工知能分野等をはじめとして多くの分野に応用があり、現実的な問題に対する効果的な解法が活発に研究されています。応用例は、教育時間割問題、スポーツスケジューリング、クラウド上へのソフトウェア要素最適配置問題、システム生物学における問題など、多岐にわたります。
特にいま注目しているのが、このCSPを命題論理式の充足可能性判定(Propositional Satisfiability Testing; SAT)問題へと変換して解く方法です。この方法では CSP から SAT 問題への変換を行い (SAT符号化)、SATソルバーと呼ばれるSAT問題を解くプログラムを使ってCSPを解きます。この方法を用いたCSPソルバーはSAT型CSPソルバーと呼ばれます。SATソルバーが重要であることに加えて、SAT符号化もうまく行う必要があり、派遣先では、このSAT符号化を中心に、SAT型CSPソルバーの研究と開発に取り組みました。
派遣先を選んだ理由
私も家族もフランス語は分かりませんでしたが、それでもフランスのランス (Lens) にあるCRIL-CNRS(フランス国立科学研究センター・ランス情報学研究所、アルトワ大学に併設) を滞在先に選んだのは、現在の専門であるCSPやSATの専門家が多く在籍していたからです。私を受入れてくださったDaniel Le Berre 教授は、CRIL-CNRSの副所長を務められており、2018年にはCNRS (フランス国立科学研究センター)から、SATソルバーに関する貢献が認められInnovation Medalという賞を受賞している著名な研究者になります。
外国人研究者に対するサポート体制には受入機関によって大幅に異なります。今回の私の滞在先ではwelcome センターに相当するものはなく、CRIL-CNRSの研究者の方々に手伝っていただいたり、Google翻訳を駆使してフランス語の書類を作成していました。ただ、EURAXESSのような機関を超えたサポート機関もあり、私もEURAXESSから提供される初級フランス語のクラスを無料で受講することができました。
成果
滞在期間の終わり頃、2018年8月に CSP ソルバーの国際競技会の結果が発表されました。私もLe Berre教授らと滞在中に共同開発したsCOPというSAT型CSPソルバーで2部門に参加し、両部門とも優勝することができました。この国際競技会 XCSP3 Competition は CSPソルバーの性能を競うもので、前身となる競技会が2005年に開始された歴史のある競技会の1つです。SAT型CSPソルバーsCOPの研究開発が滞在中の主要な課題でしたので、最後にうまく形にできたことは良かったと考えています。
他に滞在中は、CRIL-CNRSの他にフランスのナントにある研究教育機関であるEcole Centrale de Nantes (エコール・サントラル・ドゥ・ナント) を訪問しました。この訪問では、システム生物学を専門にする Morgan Magnin 教授とSAT型CSPソルバーのシステム生物学への応用について有意義な議論を行うことができました。訪問後もメールで共同研究についてやり取りを行い、Magnin 教授、Le Berre 教授と JSPS の二国間共同研究を申請することができました。この申請は2019年1月に採択され、これから共同研究を進めていく予定です。
今回の滞在では、多くの専門家がいる環境で、長期的に研究に集中できる機会を与えていただいたことで、普段だと難しい課題 (SAT型CSPソルバーの開発) に深く取り組むことができました。このような課題に取り組む中で、これから何年かかけて取り組むべき新しい研究課題を見つけることができたのが、一番良かったことです。またLe Berre 教授や Magnin 教授をはじめとした、派遣先国の研究者とのつながりは、これから研究を進めていく上での糧になると考えています。
生活
言葉は何とかなるというのが実感です。私は英語圏ではない国でしたが、家族共々大きな問題なく過ごすことができました。
滞在中の平日は以下のような生活パターンになっていました。
- 6時 起床
- 7時 出勤(1時間)
- 8時15分−17時 研究@CRIL
- 17時 帰宅(1時間)
- 18時15分− 家族との時間
- 22時30分 研究 or 就寝
- 24時 就寝
フランスの食べ物は美味しく、市場(マルシェ)での買い物は楽しかったです。ただ実際に住んでみるとストライキの多さに驚きました。特に2018年はフランス国鉄の長期間にわたるストライキがありました。ストライキの日でも全面運休になることはないのですが、大幅に間引き運転されるため、時間が読めなくて困りました。
長期の海外での研究生活は、他の何事にも代えがたい良い経験になると思います。心配事はいくつかあるかもしれませんが、多くの若手研究者の皆さんが、海外長期派遣制度に応募されることをお勧めしたいと思います。単身で行かれる場合は、それほどでもないと思いますが、家族と行く場合はビザ、住居、学校などの手配があるので、入念な準備を前もって行うのが良いと思います。