神戸大学医学研究科細胞生理学分野の遠藤光晴講師と南康博教授らの研究グループは、脳内の神経細胞 (ニューロン) の周りに存在する細胞「アストロサイト」が、損傷を受けた脳組織の修復に働く仕組みを突き止めました。
本研究成果により、これまで謎であったアストロサイトの重要な働きが脳損傷時に発動される仕組みが明らかになりました。この成果は、外傷や虚血などにより脳が損傷を受けた際に神経組織が受けるダメージを最小限に食い止め、再生を促すための新たな治療法の確立に繋がることが期待されます。
この研究成果は、国際専門科学誌「GLIA」の2017年1月号に掲載されるのに先立ち、2016年10月11日付 (日本時間) オンライン速報版で公表されました。
研究の背景
外傷や虚血などにより脳が損傷を受けると、血管からマクロファージやリンパ球などの免疫細胞が損傷部位に進入し、炎症応答によりダメージを受けた神経細胞の除去にあたります。過剰な炎症応答は損傷を免れた神経細胞に対しても強い傷害作用を示すことから、炎症の拡大による二次的な神経組織傷害が問題視されていました。
アストロサイトはグリア細胞 (※) の一種であり、ヒトの大脳皮質においては最も数が多い細胞です。正常な脳内において、アストロサイトはほとんど増殖しませんが、神経細胞への栄養補給など神経細胞のサポート的な役割を担うだけでなく、神経細胞の活動を直接的または積極的に調節するなど、多彩な機能を持つことが明らかになりつつあります。
近年、損傷を受けた脳組織の修復においても、アストロサイトが重要な働きをもつことが明らかになってきました。損傷部周囲では、アストロサイトが増殖して数を増やし、損傷部でダメージを受けた神経細胞、アストロサイト自身や損傷部に進入した炎症細胞などを取り囲むことで、炎症の拡大を最小限にとどめていることが示されていました。しかし、正常な脳内で増殖を停止しているアストロサイトが、どのようにして損傷に応答して増殖を開始するかについての仕組みは謎のままでした。
- ※グリア細胞
- 神経系に存在する、神経細胞ではない細胞の総称。神経細胞を様々な角度からサポートする。
研究の内容
研究グループは、損傷部周囲で増殖を開始するアストロサイトが神経幹細胞に似た性質を獲得することに着目しました。発生過程の大脳皮質の神経幹細胞で高発現している受容体型チロシンキナーゼ「Ror2」と呼ばれる細胞表面タンパク質は、通常、成体の脳内においてはRor2遺伝子がスイッチ・オフの状態であり発現がほとんど認められませんが、今回、成体の大脳皮質においても脳の損傷に伴って、損傷部周囲のアストロサイトの一部で再びRor2遺伝子がスイッチ・オンとなり、Ror2が発現することを見いだしました。
Ror2は神経幹細胞の増殖制御に働く重要な細胞表面タンパク質であり、Ror2が損傷部周囲のアストロサイトの増殖制御に働くことが推測されました。そこで、アストロサイトにおいてRor2遺伝子が発現しないようにしたアストロサイト特異的Ror2遺伝子改変マウスを作製して解析を行いました。この遺伝子改変マウスでは、損傷後に増殖するアストロサイトの数が顕著に減少し、損傷部周囲のアストロサイトの密度が低下することが明らかになりました。
さらに、研究グループは、培養アストロサイトを用いて、Ror2遺伝子がスイッチ・オンとなる仕組みを解析し、塩基性線維芽細胞増殖因子 (bFGF) が、Ror2遺伝子のスイッチをオンとする働きを持つことを突き止めました。bFGFの信号を受けたアストロサイトの一部の集団ではRor2が発現するようになり、この細胞集団が主に増殖を開始することが分かりました。
今後の展開
脳や脊髄が損傷を受けた際に、その損傷部周囲で増殖したアストロサイトは、傷害を受けた神経の突起 (軸索) が再成長することを妨げると考えられてきました。しかし、近年、増殖したアストロサイトが損傷部位で炎症を食い止めるためのバリア (障壁) として働くことや、損傷後に神経成長因子等を供給することで開始される軸索再生過程では、むしろこれらのアストロサイトが神経細胞を保護する作用をもつ因子を産生し、再生を促す働きをもつことも分かってきました。
一方、転倒などによる頭部外傷や脳梗塞などによって脳に損傷を受けるリスクは高齢者ほど高くなりますが、損傷後のアストロサイトの増殖能は加齢とともに低下することが指摘されています。今回の研究から、損傷を受けた脳内では、bFGFなどの信号によりRor2を細胞表面に (高) 発現するようになるアストロサイトが主に増殖を開始することが示されました。bFGFは損傷領域で損傷を免れたアストロサイトや神経細胞など複数種の細胞により産生されますが、損傷周囲のアストロサイト集団中には、bFGFの信号を受けてRor2を細胞表面に発現するようになるアストロサイトと、発現しないままのアストロサイトが存在します。今後は加齢に伴って、Ror2を細胞表面に発現することができるアストロサイト (集団) が減少し、そのため認知症が進むという可能性も含めて、これらの異なる細胞集団を作り出す仕組みの解明を目指して研究を進めて行きます。
アストロサイトの増殖を人為的にコントロールすることで、将来的には、頭部外傷や脳梗塞などによる脳損傷時に神経組織が受けるダメージを最小限に食い止め、再生を促すための新たな治療法の確立にも繋がることが期待されます。
論文情報
- タイトル
- “Critical role of Ror2 receptor tyrosine kinase in regulating cell cycle progression of reactive astrocytes following brain injury”
- DOI
- 10.1002/glia.23086
- 著者
- Mitsuharu Endo1, Guljahan Ubulkasim1, Chiho Kobayashi1, Reiko Onishi1, Atsu Aiba2, Yasuhiro Minami1
- Division of Cell Physiology, Department of Physiology and Cell Biology, Graduate School of Medicine, Kobe University
- Laboratory of Animal Resources, Center for Disease Biology and Integrative Medicine, Faculty of Medicine, The University of Tokyo
- 掲載誌
- GLIA