神戸大学医学研究科の古屋敷智之教授、北岡志保助教らの研究グループは、京都大学医学研究科の成宮周特任教授らとの共同研究により、ストレスによる抑うつの誘導に自然免疫系による脳内炎症が重要であることを発見しました。本研究成果は、うつ病の病態に脳内炎症による神経細胞の機能変化が重要であることを示唆しており、自然免疫分子を標的とした新たな抗うつ薬の開発につながる可能性を提示しています。
この研究成果は、7月20日に米国学術雑誌「Neuron」にオンライン掲載されました。
ポイント
- うつ病と炎症との関連が示唆されてきたが、因果関係には不明な点が多かった。
- うつ病の動物モデルである反復社会挫折ストレスモデルを用い、このストレスが自然免疫受容体であるTLR2/4を介して内側前頭前皮質用語説明1の炎症担当細胞であるミクログリア用語説明2を活性化し、炎症性サイトカイン用語説明3であるIL-1αとTNFαの発現を介して、内側前頭前皮質の神経細胞の応答性減弱や萎縮、うつ様行動を誘導することを発見した。
- 本研究成果は、うつ病の病態に脳内炎症による内側前頭前皮質の神経細胞の機能変化が重要であることを示唆しており、自然免疫分子を標的とした新たな抗うつ薬の開発につながる可能性を提示している。
研究の背景
既存の抗うつ薬の多くはモノアミンという神経伝達物質を標的としていますが、一部のうつ病患者でのみ有効であるため、抗うつ薬創薬のための新たな標的分子が望まれています。これまで、うつ病患者の血液中で炎症性サイトカインが上昇すること、うつ病患者の脳内で炎症担当細胞であるミクログリアが活性化していること、慢性炎症性疾患用語説明4の患者ではうつ病の併発率が高いことなどが報告され、うつ病と炎症との関連が示唆されてきました。しかし、うつ病と炎症の因果関係には不明な点が多くありました。
成果の要点
社会や環境から受ける心理ストレスは多様な心身の変化を誘導します。適度なストレスは生体の防御反応を誘導しますが、過度なストレスは抑うつなど心の変化を誘導し、うつ病のリスク因子となります。そこで、本研究グループでは、うつ病の動物モデルである反復社会挫折ストレスモデル用語説明5を用い、この反復ストレスが抑うつを誘導するメカニズムを明らかにすることを目的に研究を行いました。
まず、反復社会挫折ストレスによる脳内の遺伝子発現変化を調べたところ、S100a8/a9用語説明6という遺伝子の発現が著しく上昇していました。これらの分子は組織恒常性破綻に伴い細胞外に放出されるダメージ関連分子の一種とされ、細胞外に放出されると自然免疫受容体用語説明7であるToll様受容体 (Toll-like receptor; TLR) 用語説明8のサブタイプであるTLR2やTLR4を活性化すると考えられています。そこで、これらの両遺伝子の遺伝子欠損マウスを用い、反復ストレスにおけるTLR2とTLR4 (TLR2/4) の役割を調べました。その結果、TLR2/4欠損マウスでは、反復ストレスによるうつ様行動 (社会忌避行動) が消失していることを見出しました。反復ストレスは内側前頭前皮質など特定の脳領域でミクログリアの活性化や神経細胞の応答性減弱・萎縮を誘導しますが、これらの変化もTLR2/4欠損マウスで消失していました。
TLR2/4は脳内ではミクログリアに強く発現すること、反復ストレスによるミクログリア活性化は特定の脳領域で誘導されることから、本研究グループは、特定の脳領域のミクログリアに選択的にTLR2/4の発現を抑制する方法を独自に開発しました。この方法により、内側前頭前皮質のミクログリアに選択的にTLR2/4の発現を抑制したところ、反復社会挫折ストレスによるうつ様行動が抑制されました。
内側前頭前皮質のミクログリアで反復社会挫折ストレスにより誘導される遺伝子群を網羅的に調べたところ、炎症性サイトカインであるIL-1αとTNFαの発現が上昇していました。これらの炎症性サイトカインの上昇はTLR2/4欠損マウスでは消失していました。さらに、これらの炎症性サイトカインに対する中和抗体を内側前頭前皮質に投与したところ、反復社会挫折ストレスによるうつ様行動が抑制されました。
以上の結果から、反復社会挫折ストレスは自然免疫受容体TLR2/4を介して内側前頭前皮質のミクログリアを活性化し、IL-1αとTNFαといった炎症性サイトカインの発現誘導を介して、内側前頭前皮質の神経細胞の応答性減弱・萎縮、うつ様行動を誘導することがわかりました。
今後の展開
本研究成果は、うつ病の病態に脳内炎症による内側前頭前皮質の神経細胞の機能変化が重要であることを示唆しており、自然免疫分子を標的とした新たな抗うつ薬の開発につながる可能性を提示しています。今後は、ミクログリアに由来する炎症性サイトカインの作用機序を調べることで、うつ病の病態を担う神経回路の機能変化に迫ることが可能となります。また、ストレスによる抑うつの誘導を惹起するダメージ関連分子を同定し、その制御機序を調べることで、うつ病のもととなる脳内恒常性破綻に迫ることも可能となります。
用語説明
- 1.内側前頭前皮質
- 前頭前皮質とは脳の前頭葉の前部の領域であり、内側前頭前皮質とは前頭前皮質の内側面の領域を指します。側坐核、扁桃体、海馬など他の脳領域と連絡して、状況に応じた感情の制御を可能にしています。マウスの内側前頭前皮質では、反復社会挫折ストレスモデルにより神経細胞の萎縮が起こりますが、それに相当するヒトの脳領域では、うつ病に伴い体積の減少や活動異常が起こることが報告されています。
- 2.ミクログリア
- 脳内に存在するグリア細胞の一種であり、脳内の主たる免疫担当細胞です。炎症性サイトカイン用語説明3の放出や貪食機能を通じて、脳内の組織恒常性維持や脳疾患の病態に深く関わります。
- 3.炎症性サイトカイン
- サイトカインとは細胞間のシグナリングを担う蛋白質の総称です。その中でTNFα、IL-1、IL-6など炎症を促進する働きを持つものを炎症性サイトカインと呼びます。
- 4.慢性炎症性疾患
- 炎症とは感染や損傷など組織の異常に対する適応応答であり、血管透過性亢進、疼痛、発熱、腫脹といった特徴的な症状を示します。炎症は本来一過性ですが、何らかの理由で炎症が遷延した状態を慢性炎症と呼び、進行性の組織破壊や組織再構築を引き起こします。慢性炎症が関わる疾患を慢性炎症性疾患と称し、粥状大動脈硬化、リウマチ性関節炎、悪性腫瘍、神経変性疾患などが含まれます。
- 5.反復社会挫折ストレスモデル
- 反復社会挫折ストレスモデルでは、実験対象の雄マウスを体格が優位で攻撃性の強い雄マウスに一日10分間10日間連続で暴露し、ストレスを与えます。この反復ストレスにより、新規マウスへの社会行動を示さなくなる社会忌避行動などのうつ様行動や、高所や明所での不安様行動の亢進が誘導されます。これらの行動変化はストレス終了後も数週間にわたり持続しますが、イミプラミンやSSRIなどの抗うつ薬の反復投与により消失します。このことから、反復社会挫折モデルはマウスのうつ病モデルの一つと提唱されています。
- 6.S100a8/a9
- S100タンパク質は二つのEF-handというモチーフを持つカルシウム結合タンパク質です。S100A8とS100A9は共にS100タンパク質ファミリーのメンバーであり、ヘテロ二量体を形成します。細胞内での機能に加え、細胞の損傷に伴い細胞外に放出されてTLR4用語説明8など自然免疫受容体用語説明7に結合します。また、S100A8/A9はTLR2用語説明8の機能にも関与することから、TLR2への結合も推測されています。
- 7.自然免疫受容体
- 自然免疫とは、侵入してきた外来微生物により速やかに誘導される生得的な生体防御機構です。自然免疫受容体とは、自然免疫のために外来微生物の持つ分子パターンを認識するパターン認識受容体の総称であり、その活性化は炎症や免疫応答を惹起します。
- 8.Toll様受容体 (Toll-like receptor; TLR)
- TLRは自然免疫受容体の代表的な受容体であり、ほとんどの哺乳動物でTLR2やTLR4など10種類以上のアイソフォームが存在しています。各アイソフォームが、細菌表面のリポ多糖、リポタンパク質、フラジェリン、ウイルスの二本鎖RNAなど特異的な分子パターンにより活性化され、炎症や免疫応答を惹起します。
謝辞
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構 (AMED) 革新的先端研究開発支援事業 (AMED-CREST) 「画期的医薬品等の創出をめざす脂質の生理活性と機能の解明」研究開発領域 (研究開発総括:横山信治) における研究開発課題「ストレス関連疾患を担う機能性脂質の探索と機能解析に基づく臨床応用のための技術基盤の創出」(研究開発代表者:古屋敷智之)、革新的先端研究開発支援事業 (AMED-CREST)「炎症の慢性化機構の解明と制御に向けた基盤技術の創出」(研究開発総括:宮坂昌之) 「プロスタグランジンを引き金とする炎症慢性化機構の解明」(研究代表者:成宮周)、文部科学省新学術領域研究 (研究領域提案型)「マイクロエンドフェノタイプによる精神病態学の創出」公募研究「マウス反復ストレスにおける自然免疫関連分子の作用とその活性化機構」(研究代表者:古屋敷智之) 等の支援を受けて行ったものです。
論文情報
- タイトル
- “The innate immune receptors TLR2/4 mediate repeated social defeat stress-induced social avoidance through prefrontal microglial activation”
- DOI
- 10.1016/j.neuron.2018.06.035
- 著者
- Xiang Nie, Shiho Kitaoka, Kohei Tanaka, Eri Segi-Nishida, Yuki Imoto, Atsubumi Ogawa, Fumitake Nakano, Ayaka Tomohiro, Kazuki Nakayama, Masayuki Taniguchi, Yuko Mimori-Kiyosue, Akira Kakizuka, Shuh Narumiya & Tomoyuki Furuyashiki
- 掲載誌
- Neuron