兵庫県と神戸大学大学院医学研究科附属感染症センター臨床ウイルス学分野の森康子教授らの研究グループは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対する新たな中和抗体*1MO11を独自に同定し、原株から最近のオミクロンEG.5.1株まで広く有効であることを示しました。ウイルスが持つ様々な変異に影響を受けずにウイルスを中和できるメカニズムを解明するために、公益財団法人 高輝度光科学研究センターとの共同研究によりMO11の抗原エピトープ*2をクライオ電子顕微鏡*3の活用により同定しました。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)*4の原因であるSARS-CoV-2は変異を起こすことで人々の免疫から逃避し続けています。同研究グループは先行研究で、SARS-CoV-2に感染歴がありCOVID-19 mRNAワクチン*5を2回接種した人がオミクロンBA.1株、BA.2株のような多くの変異を持った変異株*6に対しても有効な抗体を多く持つ傾向があることに着目し、実際にそういった人の免疫細胞の遺伝子から様々な変異株に有効なモノクローナル抗体*7を作製してきました。中でもMO1と命名された中和抗体は、2022年8月頃に日本でも大流行したオミクロンBA.5株にも有効であり、クライオ電子顕微鏡でその作用機序を解析し、動物実験での感染防御効果を示してきました。
一方で、SARS-CoV-2はその後も変異を繰り返し、オミクロンBQ.1.1株やXBB.1株の出現により、MO1を含む多くの中和抗体が効果を失っていました。特にXBB.1株はXBB.1.5株、XBB.1.16株、EG.5.1株などに派生し、日本を含む全世界で流行しています。
本研究では先行研究を発展させ、SARS-CoV-2に感染歴がありCOVID-19 mRNAワクチンを3回接種した人の免疫細胞の遺伝子からモノクローナル抗体を作製し、XBB.1.16株やEG.5.1株と言った新規の変異株を含む、SARS-CoV-2の主要な変異株すべてに有効である中和抗体MO11を見出しました。クライオ電子顕微鏡により抗体MO11がウイルスの感染に重要なスパイクタンパク質*8に結合する様式を解析した結果、抗体MO11はこれまでにほとんど注目されてこなかった、サブドメイン1と呼ばれる変異が起こっていない部位に結合していることが示されました。
抗体MO11が同定されたことは、体内でSARS-CoV-2の初期の変異株からEG.5.1株のような新しい変異株まで、広くその感染を抑制する中和抗体が存在し得ることを示唆し、またSARS-CoV-2スパイクタンパク質の働きを妨げる新たな中和エピトープ*9としてサブドメイン1の重要性が示されました。
この研究成果は、2024年4月16日に国際学術誌「Journal of Virology」にオンライン掲載されました。
ポイント
- 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を引き起こす新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、変異を繰り返すことで免疫から逃避し、現在でも世界中で流行し続けています。
- SARS-CoV-2は、感染に重要なスパイクタンパク質に変異を持つことで、従来の抗体医薬やワクチンおよび感染によって獲得された免疫に対して高い抵抗性を持ちます。
- 本研究では、初期のSARS-CoV-2に感染して回復後に3回のCOVID-19 mRNAワクチンを接種した人が持つ免疫細胞の遺伝子から、ヒトモノクローナル抗体を作製しました。その中でMO11と命名された抗体がオミクロンEG.5.1株を含むこれまでに流行してきたすべての変異株に対して有効であることを示しました。
- クライオ電子顕微鏡解析によりスパイクタンパク質への抗体MO11の結合様式を調べた結果、抗体MO11はスパイクタンパク質の中で変異が起こっておらず、またその機能が不明であるサブドメイン1と呼ばれる部位に結合していることが明らかとなりました。
研究の背景
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、日本で5類感染症へ移行された2023年5月以降もたびたび大きな流行を起こし、発生から4年以上が経過した2024年現在でも世界中で流行が続いています。累計症例は全世界で7億7千万件を超え、700万人以上が亡くなっています。
SARS-CoV-2の長期的な流行はウイルスの変異による免疫逃避が大きく影響しており、変異株のさらなる変異、派生が繰り返されることで、世界中での大流行を起こす変異株が現れ続けています。日本でも世界各国での流行と同調して様々な変異株が広まっており、初期に流行したD614G株に始まって、デルタ株(2021年7~9月)、オミクロンBA.1株、BA.2株(2022年1~6月)、BA.5株(2022年7月~2023年2月)が大きな流行を引き起こしてきました。その後もオミクロンBQ.1.1株、XBB.1株が発生し、特にXBB.1株はXBB.1.5株やXBB.1.16株そしてEG.5.1株へと派生して、現在に至るまで断続的な流行の原因となっています。
SARS-CoV-2の変異は、特に感染において重要な働きを持つスパイクタンパク質の中で多く発生しています。ワクチンや感染によって得られた中和抗体はこのスパイクタンパク質を標的としているため、変異により中和抗体からの逃避が起こっていると考えられています。
同研究グループは兵庫県との連携によって兵庫県立加古川医療センターとの共同研究として行った調査で、初期のウイルス感染から回復した後にmRNAワクチンを接種した患者さんは、多くの変異を持つSARS-CoV-2変異株にも有効な中和抗体を多く持っていることを示してきました(倉橋、森、他 Journal of Infectious Diseases 2022年10月)。
先行研究では、実際にそういった患者さんの免疫細胞の抗体遺伝子からヒトモノクローナル抗体を作製し、初期のD614G株からオミクロンBA.5株までの変異株に有効な中和抗体MO1を見出しました(石丸、森、他 Journal of Virology 2023年5月)。高輝度光科学研究センターとの共同研究で行われたクライオ電子顕微鏡解析によって、抗体MO1がスパイクタンパク質上で変異を起こしていない部位に結合していることを明らかとしましたが、その後出現したオミクロンBQ.1.1株やXBB.1株では、抗体MO1の結合部位に新たな変異が起こり、抗体MO1からの免疫逃避が確認されました。
同研究グループはその後もCOVID-19回復患者さんから提供された血清の調査を続け、一部の血清ではオミクロンBQ.1.1株やXBB.1株に対しても有効な中和抗体が含まれていることに着目しました。そういった幅広い変異株にも中和活性を持つ抗体の探索を行った結果、初期のD614G株から、XBB.1.16株やEG.5.1株といった最近の流行株まで、広く中和活性を示す新たなヒトモノクローナル抗体MO11を見出しました。クライオ電子顕微鏡解析により、抗体MO11はスパイクタンパク質の中でサブドメイン1と呼ばれる、これまでに注目されてこなかった部位に結合していることが明らかとなりました。
研究の内容
同研究グループは前回の研究と同様の方法として、初期のウイルス感染から回復し、その後3回のmRNAワクチンを接種した患者さんの免疫細胞から様々な抗体遺伝子を取得して、SARS-CoV-2への中和活性を持つ抗体を探索しました。その結果、新たなヒトモノクローナル抗体MO11が見出されました。抗体MO11の中和活性をプラーク減少中和試験により定量的に解析した結果、日本でも流行した主要な流行株であるD614G株、デルタ株、オミクロンBA.1株、BA.2株、BA.5株、BQ.1.1株、XBB.1株、XBB.1.5株XBB.1.16株、EG.5.1株、そして独自の特徴を持つBA.2.75株のウイルスすべてに対して中和活性を持つことが示されました(図1)。
抗体MO11が標的抗原であるスパイクタンパク質にどのように結合しているかを調べるために、高輝度光科学研究センターとの共同研究でクライオ電子顕微鏡解析を行い、原子レベルの分解能でその結合様式を明らかとしました。これまでに報告されてきた多くの中和抗体はスパイクタンパク質の受容体結合ドメイン(Receptor Binding Domain; RBD)や、N末端ドメインと呼ばれる部位に結合することが知られていますが、抗体MO11はそれらとは異なり、サブドメイン1と呼ばれる部位に結合していることが明らかとなりました (図2)。
抗体MO11が結合していたスパイクタンパク質のサブドメイン1は、これまでの変異株が変異がほとんど起こっていない部位であり(図3)、抗体MO11がSARS-CoV-2のすべての変異株に対して中和活性を示すことを説明できる結果です。スパイクタンパク質の機能におけるサブドメイン1の役割は明らかになっていませんが、抗体MO11はサブドメイン1を構成する複数の部分にわたって広く結合していたことから、抗体の結合によってサブドメイン1の動きが制限され、スパイクタンパク質の構造変化が妨げられていることが推測されます。中和抗体MO11の発見により、変異株間で保存されたサブドメイン1がスパイクタンパク質の機能に重要な部位であり、中和エピトープをもつことが示されました。
まとめ
本研究により、ヒト体内でSARS-CoV-2の変異株に対して広く中和活性を持つヒトモノクローナル抗体MO11が同定され、スパイクタンパク質上の変異が起こっていない共通部分であるサブドメイン1を認識していることが示されました。こういった広い中和活性を持つ抗体が存在していることは、初期の変異株に感染しoriginal mRNAワクチンを接種した人の血清が新たに現れた変異株に対しても中和活性を示す一因であると考えられ、ヒト体内で免疫として一定の役割を果たしていると考えられます。
用語解説
※1中和抗体
抗体は病原体に対抗して体内で作られるタンパク質で、いわゆる“免疫”として、感染症から免れるために貢献します。中和抗体はその中でも病原体の感染を阻止する活性があるもので、感染の予防や症状の緩和に重要な役割を持っています。
※2 抗原エピトープ
抗体の標的である抗原の中で、実際に抗体が認識して結合する部分をエピトープと呼びます。
※3 クライオ電子顕微鏡解析
分子の立体構造を解明する方法のひとつで、極低温下で電子線によって様々な方向を向いた分子の形を電子線透過像として撮影し、莫大な数の像を総合的に解釈することで、三次元の立体構造を明らかにすることができます。近年の高度なクライオ電子顕微鏡解析では分子を構成するそれぞれの原子の位置関係を見分けられるほどの高分解能で立体構造決定が可能です。
※4 COVID-19
いわゆる新型コロナウイルス感染症。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)によって引き起こされ、一般的には飛沫感染や接触感染で感染すると考えられています。
※5 COVID-19 mRNAワクチン
新型コロナウイルスに対するワクチンで、SARS-CoV-2のスパイク遺伝子を体内に導入することで免疫反応を誘導し、感染の予防や症状の緩和に重要な役割を持っています。スパイクタンパク質に対する抗体はウイルスによる細胞侵入を阻害し得るため、mRNAワクチンはスパイクタンパク質を体内で発現するように設計されています。初期のスパイク遺伝子を基にしたoriginal COVID-19 mRNAワクチンの他に、オミクロンBA.1株、BA.5株、XBB.1.5株のスパイク遺伝子を基にしたオミクロン株対応ワクチンが用いられています。
※6 変異株
ウイルスは感染・増殖する際に遺伝子に変異が起こります。特に免疫回避能をもつウイルスは変異株として新たに流行を引き起こします。
※7 モノクローナル抗体
抗体を産生するB細胞は、クローンと呼ばれる系統ごとに独自の異なる抗体を産生します。モノクローナル抗体は一種のB細胞がもつ独自の抗体を単離したもので、一般的に抗体医薬としてはモノクローナル抗体が使用されます。
※8 スパイクタンパク質
新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のウイルス粒子に存在する突起を構成し、標的細胞への結合を担っています。COVID-19 mRNAワクチンではスパイクタンパク質を体内で人為的に発現させることで効果的な免疫を誘導します。
※9 中和エピトープ
中和抗体のエピトープを表し、抗体がその部分に結合すると抗原の機能が阻害される作用が期待されることから、病原体と免疫の関係を理解する上で非常に重要な情報となります。
謝辞
本研究は兵庫県の支援を受けて実施されました。クライオ電子顕微鏡解析については国立研究開発法人日本医療研究開発機構 生命科学・創薬研究支援基盤事業(Basis for Supporting Innovative Drug Discovery and Life Science Research: BINDS)の支援を受けて実施されました(課題番号JP23ama121001)。
論文情報
タイトル
DOI
10.1128/jvi.00416-24
著者
Hanako Ishimaru,1 Mitsuhiro Nishimura,1 Hideki Shigematsu,2 Maria Istiqomah Marini,1 Natsumi Hasegawa,1 Rei Takamiya,1 Sachiyo Iwata,3 Yasuko Mori1
- 神戸大学大学院医学研究科 附属感染症センター 臨床ウイルス学分野
- 公益財団法人 高輝度光科学研究センター 構造生物学推進室
- 兵庫県立加古川医療センター 循環器内科
掲載誌
Journal of Virology