ティン・エイエイコさん 

生まれ育ったミャンマーの街は、太平洋戦争の激戦地だった。戦後、多くの日本人が遺骨収集で訪れるようになった。旧日本兵を弔う仏塔も慰霊祭も、身近にあった。

神戸でミャンマー人向けの職業紹介事業などを手掛けるティン・エイエイコさん(以下、エイコさん)は「そんなつながりがあって、周囲には日本に関心を持つ人が数多くいました」と振り返る。マンダレー大学の学生だった1980年代、日本語を学び始めたのは父の勧めだ。医師だった父は、遺骨収集などで訪れた日本人が体調を崩すと、ホテルに出向いて診察をしていた。その通訳として同行するうち、多くの日本人と知り合った。

日本への留学も、その縁から実現した。神戸市内に住む家族がホストファミリーとして受け入れてくれることになり、見知らぬ土地だった神戸へ。日本語学校に通った後、神戸大学文学部の研究生となった。

「言語学の勉強をしたいと思い、神戸大学を訪ねたとき、西光義弘先生のお名前を教えてもらいました。それで、事前の約束もなく先生に会いに行くと、『いいですよ』と受け入れてくださったんです」

研究生としてのスタートを切ったのは1994年4月。ところが翌年1月17日、あの阪神・淡路大震災が起きた。

同胞の友人2人を奪った阪神・淡路大震災

地震が発生した時は、尼崎市内にある留学生の寮に移り住んでいた。大学院の入学試験に向け、必死で勉強している時期だった。

幸い、寮は大きな被害を免れた。が、数日後、ミャンマー出身の神戸大学研究生2人の訃報が届く。キン・テット・スウェさん(当時36歳)、ウェイ・モウ・ルゥインさん(当時35歳)。2人とは、同じスーパーでアルバイトをしていた。エイコさんはアルバイトの前、2人が住むマンションによく立ち寄り、ミャンマー料理をごちそうになった。

「キンさんは、もの静かでとても親思いの人でした。ルゥインさんはよくしゃべり、アルバイトで困ったことがあるといつも助けてくれました。疲れたときも、みんなでミャンマー料理を食べると元気が出ました。2人とも姉のような存在。心の支えでした」

神戸大学のミャンマー人留学生の中には、何時間も生き埋めになり、重傷を負った女性もいた。彼女も同じスーパーでアルバイトをする友人だった。搬送された病院まで駆けつけて手術の手続きなどを助け、そばに寄り添った。

震災後、エイコさんは亡き2人を思い、留学生の体験記にこんな思いをつづっている。

〈彼女たちの思い出があるところにいるのは本当につらい。どこかへ逃げだしたい。でも、私には責任がある。彼女たちは望んでいた夢がかなわなかった。その分まで私は頑張らなければならない。〉

阪神・淡路大震災の2カ月後に行われた「神戸大学犠牲者合同慰霊祭」。国際文化学部の研究生だったミャンマー人女性2人の遺影も並んだ=1995年3月17日、神戸大学(大学文書史料室所蔵)

震災後の混乱の中、エイコさんは大学院への合格を果たした。修士、博士課程で言語学の研究を続け、2003年春、博士号を取得した。在学中には、日本の児童文学「ビルマの耳飾り」の翻訳でミャンマー国民文学賞を受賞。そして、日本で知り合ったミャンマー人男性と結婚し、娘も出産した。

ミャンマーに日本語学校を設立、神戸でも起業

大学院を修了し、文化学研究科で助手を務めた後は、母国で起業する道を選んだ。

「研究の成果を世の中にどう生かすか、を考えました。ちょうど娘が小学校に入る時期で、ミャンマー語を身につけさせたいという思いもあり、帰国を決めました」

2005年、ミャンマーで日本語学校を設立。2019年には、ミャンマーの人材を日本の企業や介護業界へ送り出す会社「ミャンマーナンバーワン」も創設した。人材育成にとどまらず、日本語学習教材の開発、翻訳、出版など幅広い事業を展開し、手掛けた教材はミャンマーで広く使用されている。

「もう日本には戻らないつもりだった」というが、日本で外国人材の受け入れが拡大するなか、2023年から本格的に神戸に軸足を移した。現在、神戸市中央区に「ミャンマーナンバーワン」の事務所を置き、ミャンマーの人材と日本企業の橋渡しや職業紹介、日本で働くミャンマー人のサポートなどを行う。

「お金のためではなく、日本で働くことを希望するミャンマー人を支えたい、という思いが出発点です」とエイコさん。母国は政変で情勢が不安定なこともあり、日本行きを望む若者は多い。そんな若者たちに自らの体験を語り、日本の社会や文化について伝える。日本語だけでなく、言葉の背景にある考え方まで深く理解してほしいと願う。

「大切なのは周囲への思いやり、ということを伝えたい。『自分さえよければいい』という思考では、人生がゆがんでしまう。これは、平和な社会をつくることにもつながります」

思いやりや助け合いの大切さは、阪神・淡路大震災の被災地で心に刻んだことだ。「国籍に関係なく、みんなが一体になっていた」と振り返る。自身も留学生や被災者支援のボランティア活動に奔走した。その経験を土台に、以後も両国の学生の支援を精力的に続けてきた。

好きな言葉は「一期一会」「以心伝心」という。神戸で積み重ねた出会いと、夢を果たせなかった亡き友から受け継いだ意志。その原点を胸に、これからも両国の架け橋として歩み続ける。

略歴

Thin Aye Aye Ko(ティン・エイエイコ) 1967年、ミャンマー生まれ。1994年、神戸大学文学部研究生。2003年3月、文化学研究科博士後期課程修了。2003-05年、文化学研究科助手。2005年、ミャンマーで日本語学校「ティンミャンマーランゲージセンター」を設立。2011年に発足した「ミャンマー神戸大学同窓会」の会長を務める。現在、合同会社ミャンマーナンバーワン(「特定技能」の制度で働く外国人材向けの有料職業紹介、登録支援機関)代表。

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