
神戸の空の玄関口・神戸空港に4月18日、国際チャーター便が就航した。2030年ごろには国際定期便も就航予定で、世界との交流の扉が大きく開かれつつある。そのかじ取りを担う一人が、神戸大学卒業生で関西エアポート社長の山谷佳之さんだ。同社は関西、大阪(伊丹)、神戸の3空港を一体的に運営。山谷さんは社長に就任して10年目になる。大阪・関西万博も始まった今、グローバルな視点からこの地域の将来像をどう考えているのか。大学時代から今に至る歩みとともに、神戸、関西への提言を聞いた。
神戸空港が育てば、関西の観光ビジネスが成長する
4月18日朝、神戸空港に台湾、韓国からの国際チャーター便が相次いで到着した。新設された第2ターミナルビルでは記念式典が行われ、あいさつに立った山谷さんは「神戸空港はこれから育っていく空港。神戸空港が育てば、関西のツーリズムビジネス全体が成長していきます」と笑顔を見せた。新型コロナ禍を乗り越え、万博開幕に合わせて実現した国際便の就航は、神戸空港の新たなスタートだった。
山谷さんにとって、神戸は大学時代の4年間を過ごした思い出深い街だ。1976年、神戸大学農学部に入学した。大阪・追手門学院高校時代、オイルショックによる混乱と食糧危機への懸念が広がる中で、農学の分野に関心を持った。高校の軟式テニス部の先輩、社(やしろ)三雄さん(元伊藤園専務)が神戸大学農学部に進んでいたことにも影響を受けた。
大学時代、関西一円を車で走り、多くの名所を訪ねたことは、観光と縁が深い今の仕事に大いに生きている。そして、農学部で学んだことは、これまでさまざまな組織のトップを務めてきた自身の考え方の基礎にあるという。
「農学部は植物であれ動物であれ、生きているものを扱いますよね。生きものは世話をすれば育ちますが、冷たくすれば育たない。これは、社員を育てるのと同じです。そんな原則を、農学部で学んだように思います」
大学卒業を前に「次はどんな時代が来るのか」と考え、選んだ就職先はリース業界のパイオニア的存在、オリエント・リース(現オリックス)だった。「実力主義で厳しそうだけれど、時代のニーズにマッチし、成長する会社だと感じました」。その予想通り、会社は多角化を進め、銀行業、ホテル業、プロ野球の球団運営など、次々に新たな領域を開拓した。2015年12月にはフランスの空港運営会社と組み、関西空港などの運営を手掛ける「関西エアポート」を設立。その初代社長を任された。

企業人としての人生、半分が社長業
企業人となって45年のうち、半分は社長として会社を率いてきた。2002年にオリックス信託銀行(現オリックス銀行)の社長に就いたときは、まだ45歳。「就職活動の時、真面目な雰囲気の銀行業界だけは避けていた」と苦笑するが、その未知の業界に異例の若さで飛び込むことになった。
「やってみると大変勉強になりました。銀行は『日締め』という毎日の決算が終了しなければ、1日が終わりません。そうした日々の動きをはじめ、社長に情報が集中するシステムです。それまでの仕事では社長に細かい情報まで上げることはなかったので、驚きましたが、銀行のさまざまな仕組みを学びましたね」
その後も、不動産、空港運営など、新規参入分野で会社を率いることになるが、社長就任にあたって不安を感じることはなかったという。
「なぜこれほど違う分野のビジネスができるのか、とよく聞かれますが、オリックスはもともと枠にはまらずに事業を開拓してきた会社。どんな事業であれ、問題は必ず起こるもので、問題が出てくれば解決法を見つければいい。そういう考え方なんです」
日本の空港は2013年の民活空港運営法の施行後、急速に民間への運営委託が進んだ。関西エアポートは2016年から関西空港と大阪空港、2018年からは神戸空港も合わせて運営。国や自治体が空港の所有権を保有したまま運営権を売却する「コンセッション方式」を、大規模空港で初めて採用し、関西経済の未来を左右する事業として期待を背負ってきた。
この約10年の間には大きな危機もあった。2018年には、台風21号の襲来で関西空港の連絡橋にタンカーがぶつかり、空港が孤立した。2020年からの新型コロナ禍では旅客が激減し、先の見えない状況が続いた。
それでも、後ろ向きになることはなかった。台風21号の被害では、関西空港で最大約8000人が孤立したが、「もしそこで1人でも亡くなる人がいたら、社長を辞めなければならなかったと思います。犠牲者が出なかったのは幸運でした」と振り返る。
世界規模の感染症流行については、2002年から03年に拡大したSARS(重症急性呼吸器症候群)の例から、旅客数が50%減って1年で回復する想定を事前にしていたという。コロナ禍はその予想をはるかに上回る事態となってしまったが、「SARSをベンチマーク(基準)とし、現金を確保しておいたことで、何とかしのぐことができました」と語る。
危機を乗り越える力となっているのは「悲観的にならない」性格だという。「考えて解決できることなら考えますが、そうでないことは考えない。相手がある場合は、お互いに解決しようという気持ちさえあれば、必ず接点はあると思っています」
若者に世界を見てほしい。重視するのはアジア
グローバルな視点で関西や日本、インバウンド(訪日外国人客)の動向を見つめてきた山谷さんは今、神戸の街の現状、将来の課題をどう見ているのだろうか。
「私の大学時代、神戸はファッションの流行発信機能を持っていました。しかし、阪神・淡路大震災の影響もあり、昔のような華やかさを失ってしまった今、街を再評価、再構築する取り組みが必要でしょう」
そのプロセスで重視すべきと考えるのは、活気あふれるアジアとのつながりだ。「特に新たな時代を歩んでいく若い人には、インドを含めたアジアを実際に見て、つながりを作ってほしい」と話す。その足掛かりとして期待を寄せるのが、大阪・関西万博。「神戸の若い人々にも、万博を通してぜひ世界に触れてほしい。その経験は神戸の未来にもつながるはずです」。約150年前の開港以来、中国やインドと深く結びついてきた神戸は、アジアとの関係を発展させる素地を持つ街でもある。
今年2月、阪神・淡路大震災から30年の節目を機に神戸で開かれた「第63回関西財界セミナー」では、外国人観光客の安全・安心を重視する防災戦略の必要性にも触れた。
「日本は災害が多いけれど、外国人観光客から『災害時でも安心していられた』という声が上がれば、評価がリスクを上回ります。ツーリズムビジネスの発展を考えるとき、住民や企業の社員と同じように観光客を守るという視点が重要なのです」
日本の治安の良さ、衛生面のレベルの高さといった「安全・安心」を世界へのアピール材料とし、その力を災害時にも発揮できるよう準備していこうという提案だ。
神戸の空が韓国、中国、台湾の5都市と結ばれた今、そうした視点は街の将来を考えるうえでますます重みを増す。「私たちが海外に学ぶことも多いと思います。今後、国をどう開いていくか。若い人の想像力、発想力に期待しています」と山谷さん。空港という扉を通し、これからも日本と世界の関係を見つめていく。

神戸空港の国際化
2006年の開港以来、国内線のみだったが、2025年4月18日から国際チャーター便の運航が始まった。韓国(ソウル)、中国(上海、南京)、台湾(台北、台中)の5都市との間で週に計40往復し、1日最大6往復。航空会社は4社。2025年のゴールデンウィークにはベトナムと結ぶチャーター便(旅行会社のツアー)も運航。2030年前後には、国際定期便の運用が始まる見通し。
略歴
やまや・よしゆき 1956年、大阪府吹田市出身。1980年、神戸大学農学部を卒業し、オリエント・リース(現オリックス)入社。2002年、オリックス信託銀行(現オリックス銀行)社長。2009年、オリックス不動産社長。2014年、オリックス・クレジット社長。2015年、オリックス副社長。同年12月から関西エアポート社長。1995年の阪神・淡路大震災後、プロ野球オリックス・ブルーウェーブ(当時)がリーグ優勝を果たした際は、オリックス社長室勤務で球団を盛り上げる企画チームを率いた。