小林一則さん

商社マンとしてインドネシアに初めて赴任したのは43年前。人生の約半分は、インドネシアを拠点に日本との交流促進に力を注いできた。神戸大学卒業生で、インドネシア日本友好財団理事長の小林一則さん。現地の大手企業・シナルマスの上級顧問も務め、2023年には両国の関係強化に対する貢献で叙勲(旭日双光章)を受章した。世界の舞台で活躍する小林さんは、海外の人々との信頼関係をどう築き、現在の日本の立ち位置をどう見ているのか。その経験や視座、次世代へのメッセージを聞いた。

大学から見渡した海。感じた世界とのつながり

母校・神戸大学の六甲台キャンパスを訪れたのは5月中旬。コートを羽織り、「インドネシアから来ると、少し寒いですね」と穏やかな笑顔で周囲に語り掛けた。

兵庫県で生まれ育ち、県立芦屋高校から神戸大学経済学部へ。進学先の選択は、高校の教諭の勧めだった。「国立大学を目指していたし、神戸大学なら自宅から通える。洗濯もしなくていい。そんな高校生のかわいらしい考えでした」。

入学して感じたのは、緑豊かで広大なキャンパスの魅力だった。六甲台の正門から神戸の街を見下ろすと、市街地の向こうに大きな海が広がっていた。

「ここは世界につながっている、という印象を強く持ちました。広大なキャンパスにいると、心の持ちようもゆったりします。校風も自由で、個性を生かせる感じがしました」

神戸大学の旧学歌(現在は愛唱歌)「商神」の歌詞を今でもよく覚えている。所属していた硬式庭球部の仲間とよく歌った。そこには「神戸は商業の神に選ばれた地であり、世界へ羽ばたく場所」という意味の歌詞が含まれている。まさに、小林さんの卒業後の歩みと重なる。

 

インドネシアのダイナミックな発展に心引かれて

 

2023年の叙勲伝達式で駐インドネシア日本国大使(当時)の金杉憲治氏(左)から勲記と勲章を受けた小林一則さん(小林さん提供)

在学中から「国際的な舞台で仕事をしてみたい」という思いはあった。1965年、経済学部を卒業すると、総合商社の丸紅に入社した。先に入社していた硬式庭球部の先輩から「商社に就職したいなら、丸紅以外はだめだよ」と言われたのが大きな理由だった。

綿花の部門で経験を積み、入社7年後に最初の海外勤務となるアメリカ南部・テキサス州に赴任。6年間の在任中には、メキシコでも1年勤務した。そして、アメリカ、メキシコで綿花を担当した経験が、インドネシアで成長し始めた繊維産業に関わるきっかけとなった。インドネシアの首都・ジャカルタに赴任したのは1982年。繊維と食料の部門を任された。

そこで運命的な出会いをしたのが、大手財閥企業・シナルマス創業者の息子のフランキー・ウィジャヤさんだった。小林さんより15歳以上年下だったが、青山学院大学への留学経験を持つ知日派で、強い信頼を寄せ合う関係となり、さまざまな事業を共に手掛けた。

「なぜインドネシアとの縁がこれほど長くなったか、と考えると、インドネシアの経済発展の可能性、ダイナミックさに引かれたということもありますが、フランキーさんとの出会いが最も大きかったと思います。人生という旅の中で、大切なのはやはり、人との出会いですね」

52歳のとき、ついには丸紅からシナルマスへの転職を決断した。「この国のダイナミックな動きの中に身を置き続けることで、自分をさらに磨き、高められるのではないかと感じた」という。転職後は、さまざまな日本企業との合弁事業を手掛け、丸紅との業務関係もさらに強化した。

市民交流で両国の絆を未来へ

ここ十数年は、ビジネスの世界にとどまらず、両国の市民交流にも力を注いでいる。2008年に日本とインドネシアが国交樹立50周年を迎えたのを機に、その翌年からスタートした官民連携イベント「ジャカルタ日本祭り」(JJM)には、最初の企画段階から関わる。2012年から実行委員長を務め、現在は、小林さんが理事長を務めるインドネシア日本友好財団(2020年設立)が実施主体となっている。

祭りは、盆踊り、両国の文化紹介、音楽ライブ、日本食の屋台などさまざまな企画が楽しめるジャカルタ有数のイベントで、毎年数万人が来場。2023年は、国交樹立65周年記念事業の一つとして開催され、日本の人気音楽グループDa-iCEなど両国の多くのアーティストも参加した。

両国の間には第2次大戦中の複雑な歴史もあるが、小林さんは「インドネシアの人々は大変親日的で、日本を信頼してくれています。戦後は、製造業を中心に経済交流が大きく発展し、その流れの中で非常に良い関係を築いてきました。インドネシアの若い人々は日本のアニメやポップカルチャーが大好きですよ」と話す。

インドネシアと日本の交流の場として開かれている「ジャカルタ日本祭り」の2024年の様子(ジャカルタ日本祭り実行委員会提供)

ただ、中国が飛躍的に成長した今、インドネシアが重視する国は日本だけではない。2040年代以降、インドネシアは国内総生産(GDP)で日本を超える大国になるとも予想されている。小林さんはそうした現状を冷静に俯瞰しつつ、日本が進むべき道を見据える。

「日本とインドネシアは一時期の流行のような関係ではなく、歴史の中で培ってきた信頼関係をこれからも息長く育てていくことが重要でしょう」

胸の内にはいつも、シナルマスの創業者、故エカ・チプタ・ウィジャヤさんが大切にしていた中国の教え「飲水思源」(水を飲む者はその源を思え)という言葉がある。それは、両国の関係を築き上げてきた無数の人々への感謝にもつながっている。

その思いを今、次世代の若者に引き継ごうとしている。「日本は、自らが大切にしてきた信頼、責任、安全といった価値観を、今後も世界に向けて発信し続けていく姿勢が必要だと思います。神戸大学の後輩たちにもぜひ、そういう思いを持ちながら、世界で活躍する人々と触れ合い、世界で起きていることを学んでほしい」。

常に視野を広げる努力を続け、海外の人々との絆を地道に築いてきた小林さん自身の歩みが重なるメッセージだ。

略歴

こばやし・かずのり 1942年、兵庫県出身。1965年、神戸大学経済学部を卒業し、丸紅に入社。東京、アメリカ、インドネシアなどで勤務。1995年、インドネシアの大手企業・シナルマスに入社。専務取締役、常務取締役などを経て、2018年から上級顧問。2019年からインドネシアの「全日系中小企業連合会」の理事長も務める。2017年、日本とインドネシアの交流促進の功績で日本の外務大臣表彰を受けた。ジャカルタ在住。

SDGs

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