東京大学大学院理学系研究科の坂本啓太大学院生、濱地智之大学院生(現 九州大学先導物質化学研究所 助教)、楊井伸浩教授らの研究グループは、京都大学大学院理学研究科の御代川克輝大学院生、倉重佑輝准教授、京都大学大学院工学研究科の今堀博教授、理化学研究所開拓研究所および仁科加速器科学研究センターの立石健一郎研究員、上坂友洋主任研究員・兼部長、神戸大学分子フォトサイエンス研究センターの小堀康博教授らと共同で、トリプレットDNP(注1)の新規偏極源分子としてフラーレン誘導体(注2)の開発を行うことで、高効率なトリプレットDNPを実現しました。
光励起三重項電子(注3)の高いスピン偏極率を利用したトリプレットDNPは、低磁場、室温でも駆動するため、簡便で低コストな超核偏極法(注4)として注目されています。本研究では、新規偏極源としてフラーレンの電子構造に着目し、化学修飾することで電子スピン偏極の緩和を抑制することに成功しました。これまで一般的に偏極源として用いられてきたペンタセンと比較して、フラーレン誘導体を用いることで約21倍のトリプレットDNP効率の向上を実現しました。また、応用に重要なアモルファス材料(注5)中において、初めて実用化レベルとされる10%以上の偏極率を達成したことから、今後の高感度化MRIへの実用化が期待されます。

ポイント
- 単結晶の配向制御を必要とせず、アモルファス材料中でも高い核スピン偏極を実現。トリプレット動的核偏極(DNP)による核磁気共鳴(NMR)の高感度化に新たな道を開いた。
- フラーレンへの化学修飾により擬回転を抑えることで、電子スピン偏極の緩和の課題を克服した。
- 今後は生体適合的なマトリクス材料と組み合わせることで、高感度化MRIを用いたがん診断への応用が期待される。
研究の内容
磁気共鳴イメージング(MRI)は非侵襲的な医療診断技術として用いられていますが、通常のMRIは感度が非常に低いため生体内に多く存在する水や脂質しか検出することができません。一方、DNPは電子スピンの高い偏極率を利用することでMRIの高感度化を実現する手法であり、光励起三重項電子スピンを利用したトリプレットDNPは従来法と比較して低磁場かつ極低温を必要としないことから、簡便で低コストなDNP法としての実用化が期待されています。例えばがんプローブのピルビン酸や抗がん剤などの薬を高感度化することで、リアルタイムでのがんイメージングやドラッグスクリーニングへの応用が可能となります。
しかし、トリプレットDNPで高い核偏極率を得るには、偏極源分子であるペンタセンを添加した疎水性芳香族化合物からなる単結晶を作製し、その単結晶を磁場に対して厳密に配向させる必要がありました。巨大な単結晶の作製や精密な配向制御は、実際の医療現場で行うことが技術的に難しいことに加え、ピルビン酸などのプローブ分子の高感度化が困難であることが問題でした。そのため、配向に依存しないアモルファス材料でトリプレットDNPを高効率化することが、高感度化MRIへの応用に向けて求められていました。
偏極源の配向がランダムになるアモルファス試料でトリプレットDNPの効率が低下する原因は、三重項電子の電子スピン共鳴(ESR)(注6)スペクトル幅が広がることで、一部の電子スピンしか使えないことにありました。そこで本研究では、ペンタセンと比較してより先鋭なESRスペクトルの線幅を示すフラーレンに着目しました。しかし、フラーレンは擬回転(注7)という現象により、電子スピンの偏極がすぐに緩和する問題があったため、これまでトリプレットDNPでは用いられてきませんでした。擬回転はフラーレンの高い対称性に起因しているため、置換基修飾により分子の対称性を崩すことで擬回転を抑えることができると考え、置換基の数や位置の異なる複数のフラーレン誘導体の電子スピン偏極特性を解析しました。
その結果、フラーレンに二つのインデン置換基を導入した誘導体(ICBA)で擬回転が効果的に抑えられることが分かりました。特に、ICBA trans-3a異性体において偏極状態を大幅に長寿命化することに成功しました(図1)。先鋭なESRと長い偏極寿命を両立したフラーレン誘導体を偏極源として用いることで、ペンタセンと比較して約21倍のトリプレットDNPの高効率化を達成しました。また、アモルファス材料中で初めて実用化レベルとされる10%を超える14.2%という高い偏極率(増感倍率22,000倍)を得ることに成功しました(図2)。


用語解説
(注1)トリプレットDNP
偏極源の光励起(Photoexcitation)により生成する三重項電子スピンは、複数のスピンが一つの準位に大きく偏った高いスピン偏極(Polarized triplet electrons)を持っています。このスピン偏極をマイクロ波(Microwave)照射と磁場掃引(MF sweep)によって核スピンへ移す(Polarization transfer)ことで、超核偏極状態(Hyperpolarized nuclear spins)を作り出します。

(注2)フラーレン誘導体
フラーレンは、炭素原子(C)だけでできたサッカーボールのような中空構造を持つ分子で、高い電子受容性(電子を引き付ける能力)を有することが知られています。フラーレンに化学基(置換基)を修飾することで溶解性や電子特性をチューニングすることができるため、特に有機太陽電池や有機エレクトロニクス分野においてさまざまな置換基を修飾したフラーレン誘導体は電子輸送・受容材料として幅広く研究されています。
(注3)光励起三重項電子
光を吸収した分子の中で、電子のスピンがそろった特殊な励起状態の電子。光励起直後の三重項電子は熱平衡状態にある電子スピンより大きな偏極を持つため、スピン偏極の源となります。
(注4)超核偏極法
核スピンはスピン偏極率が低いため通常のNMRやMRIでは感度が低くなります。超核偏極法は、電子スピンの高いスピン偏極を核スピンに移すことで、核スピンのスピン偏極率を高めNMRやMRIの感度を上げる手法です。
(注5)アモルファス材料
原子や分子が規則正しく並んでいない“非晶質”の物質。ガラスなどが代表例で、方向によらず均一な性質を持ちます。
(注6)電子スピン共鳴(ESR)
磁場中でエネルギー分裂した電子スピン共鳴現象を利用した測定法です。光励起三重項電子スピン場合、ESRスペクトルから三重項電子スピン間の双極子相互作用の大きさやスピン偏極率を解析することができます。
(注7)擬回転
分子の全体回転とは異なり、分子の形が動的に変化する現象です。対称性の高いフラーレンの場合、この動的な構造変化は結果的に分子が回転することと等価な効果をもたらします。
発表者・研究者等情報
東京大学
- 大学院理学系研究科 化学専攻
坂本 啓太 博士課程学生
濱地 智之 研究当時:博士課程学生(現:九州大学先導物質化学研究所 助教)
楊井 伸浩 教授
京都大学
- 大学院理学研究科
御代川 克輝 博士課程学生
倉重 佑輝 准教授
- 大学院工学研究科
Haoxuan Zhang 修士課程学生(研究当時)
今堀 博 教授
九州大学
- 大学院工学府 応用化学専攻
Jiarui Song 修士課程学生
理化学研究所
- 開拓研究所および仁科加速器科学研究センター
立石 健一郎 研究員
上坂 友洋 主任研究員(兼部長)
神戸大学
- 分子フォトサイエンス研究センター
小堀 康博 教授
研究助成
本研究は、内閣府総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「先進的量子技術基盤の社会課題への応用促進」(管理法人:QST)、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR201Y, JPMJFR221R)、同 戦略的創造研究推進事業CREST(課題番号:JPMJCR23I6)、同 次世代研究者挑戦的研究プログラム(課題番号:JPMJSP2110)、文部科学省 光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)(課題番号:JPMXS0120330644)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費(課題番号:JP22J21293, JP24KJ1809, JP20H05831, JP20H05832, JP23H00309, JP25H00903, JP25K22299)の支援により実施されました。
論文情報
タイトル
”Substituted Fullerenes for Enhanced Optical Nuclear Hyperpolarization in Random Orientations”
DOI
10.1038/s41467-025-66211-y
著者名
坂本啓太、御代川克輝、濱地智之、Haoxuan Zhang、Jiarui Song、立石健一郎、上坂友洋、今堀博、小堀康博、倉重佑輝*、楊井伸浩* (*責任著者)
雑誌名
Nature Communications




