佐藤隆広教授

今年中にも日本を抜き、世界第4位の経済大国になるといわれるインド。人口は14億人を超え、世界中にIT(情報技術)人材を輩出していることでも知られる。多くの日系企業も進出している。その成長の背景には何があるのか。持続的発展に向けた課題があるとすれば何なのか。インド経済の専門家で、経済経営研究所副所長の佐藤隆広教授(開発経済学)に、「世界の成長エンジン」といわれるインドの現状と将来について聞いた。

グローバリゼーションの最後のピースとなったインド

インド経済を研究するようになったきっかけを教えてください。

佐藤教授:

大学2年だった1991年2月から3月にかけ、約1カ月バックパッカーとして旅行したのがきっかけです。インドに特別興味を持っていたわけではないのですが、大学の友人に誘われて行くことになりました。私にとって、初めての海外旅行でした。

最初にコルカタ(カルカッタ)に到着したときの風景は忘れられません。イギリス植民地時代の美しい博物館などが立ち並ぶ大通りが穴だらけで、通り沿いには延々と土が盛られており、その上で人々が路上生活をしていました。後で分かったのですが、それはメトロ(鉄道)工事のための土盛りでした。

そのほかにもデリーなどの都市を巡り、大規模なスラムや、サドゥーといわれる修行者が喜捨を求めてくる姿など、さまざまな光景に衝撃を受ける日々でした。

この旅行に出発する前、インド経済を研究している大学の先生に、現地に留学中の先輩学生を紹介してもらいました。そんな縁もあって、大学3年からその先生のゼミに入り、インド経済を学ぶことにしたのです。

1991年は、インドが経済自由化へと舵を切った転換点の年でした。

佐藤教授:

旅行から戻って間もない91年5月、インドの総選挙中にラジブ・ガンジー元首相が暗殺されるという衝撃的な出来事が起こりました。そして、選挙後の内閣で財務大臣に就任した経済学者のマンモハン・シン氏(後の首相)は、経済自由化に向けた改革策を次々に打ち出しました。

マンモハン・シン前首相夫妻と佐藤教授(2014年)。過去の経済政策についてシン前首相にヒアリングを行った(佐藤教授提供)

当時のインドは、社会主義ではないものの、政府による規制が非常に厳しい国で、深刻な経済危機に陥っていました。ソ連崩壊後のロシアや旧社会主義国、中国が経済改革を進める中、最後まで自由化に着手していなかった大国でした。91年からのインドの経済改革により、グローバリゼーションの最後のピースがはまったといえます。

刻々と変化するインド経済の状況は、私の指導教授を含め、専門家でさえ分析や展望が困難なものでした。そこで私は、インド政府が出す文書や現地の新聞などの資料をできる限り集め、最新の状況を観察しながら論文を書いていきました。そのような研究スタイルが、今も続いています。

他の新興国が成熟し、相対的に「急成長」に見える

この20年あまりで、インド経済が急成長したのはなぜなのでしょうか。

佐藤教授:

人口規模の大きさ、若年層の厚み、英語を使える高等教育人材の存在という要因があります。また、経済自由化によって民間企業の活動が広がり、海外企業や多国籍企業との結びつきが強まったことも背景にあります。

しかし、本来はもっと成長できたと思います。毎年9~10%くらいの経済成長率があってもよいはずですが、最近は6%程度で、少しもたもたしています。

インドが急成長しているように見えるのは、中国や他の新興国が成熟し、成長のポテンシャルをある程度使い切ったからでしょう。つまり、他の国と比べて相対的に急成長しているように見えるだけといえます。

2012年、グジャラート州首相だったナレンドラ・モディ氏(左)(現インド首相)と会い、兵庫県との交流について意見交換する佐藤教授(佐藤教授提供)

期待するほど成長していない理由として、ここ10年ほどの間に行われた無謀な政策があります。2014年に就任したナレンドラ・モディ首相は、さまざまな改革に取り組む姿勢を見せてきましたが、2016年、高額紙幣の流通を突然制限するという驚くべき政策で社会に混乱をもたらしました。ブラックマネーやテロ資金を根絶するという理由だったのですが、そもそも現金で流れるブラックマネーなどほとんどありません。一方で、インドの中小零細企業は現金決済が多いため、この政策の影響で多くの企業が破綻する結果を招きました。

モディ首相は、外交面では一定の成果を出していると思います。元グジャラート州首相で、ともに大地震を経験した地域として兵庫県との友好関係を深め、インド首相就任後も日本の故・安倍晋三首相と盟友関係を築いて、「自由で開かれたインド太平洋戦略」の重要なパートナーとなりました。しかし、国内では、選挙対策もあって、競争力のない製造業を過度に保護するなど、近視眼的な政策が目立ちます。当初目指した合理的な改革が進められず、「失われた10年」ともいっても過言ではありません。

高等教育を重視する基盤がIT人材を育てた

IT人材の輩出については、どう評価していますか。

佐藤教授:

IT人材の育成は、インドの素晴らしい面だと思います。初代のジャワハルラール・ネルー首相(1889-1964)が科学技術を重視し、理工系教育の社会的基盤が作られてきたという歴史があります。

東アジアの国々の発展パターンは、初等・中等での基礎教育に重点を置き、製造業などの労働集約型産業で働く人材をしっかり育てるのが一般的ですが、インドは独立直後から高等教育を重視してきました。その結果、多くのIT人材、エンジニアを生み出し、米国など海外での活躍も目覚ましいものがあります。

国内でも、デジタル化は日本の数倍進んでいます。本人確認や銀行口座管理などを行う公共プラットフォーム「インディア・スタック」という仕組みがあり、最貧困層も1世帯に1台は必ず携帯電話があります。そのプラットフォームを使わなければ、政府からの援助も受け取れませんし、露店での支払いなどもどんどんデジタル化されています。インドでは今、通貨そのものをデジタル化する実証実験も行われています。

こうしたプラットフォームの構築は、政府主導というより、民間企業の参入によって進んできました。プライバシー保護などの課題があるとはいえ、日本も学ぶところが多いと思います。

インド社会の課題についてはどう考えますか。

佐藤教授:

高等教育を重視し、IT人材を多く輩出しているという強みは、裏を返せばインド社会のゆがみの象徴でもあります。初等・中等教育は州政府の管轄ですが、貧困地域では文字を読めない人もいます。教育格差、若年層の失業といった問題は、経済成長の伸び悩みの一因にもなっており、今後の社会の安定に影響する可能性もあります。

また、外交に目を向ければ、中国とは国境問題があり、安全保障上の最大の脅威です。ただ、貿易相手国として、中国との関係は切っても切れません。インドの企業は、中国から輸入する素材や半製品を使わなければ生産が成り立ちません。

成長が著しい製薬業は、さまざまな原薬の供給を中国に依存しています。レアアースの供給も中国に頼っています。これはインドだけの問題でなく、日本も米国も同じです。どの国もコスト面、環境への影響などから自国で生産せず、中国に丸投げしている状態で、喫緊の課題です。

佐藤教授が2018年に貧困対策事業の調査を行ったインド・ラジャスタン州の農村(佐藤教授提供)

インドはアフリカへの進出拠点になる

日本との経済関係、インドにおける日系企業の今後は?

佐藤教授:

インドでは1980年代にスズキが乗用車の生産を開始し、日本型経営やモノづくり文化は一目置かれています。ホンダも二輪車の市場で躍進してきました。空調設備のダイキン工業、紙おむつ市場で高いシェアを持つユニ・チャームなども存在感を発揮しています。

日本のODA(政府開発援助)によるインフラ整備も高く評価されています。道路、港湾施設、火力・水力発電所に加え、デリーのメトロ(鉄道)は日本の支援で実現した事業としてよく知られています。事業を指揮した日本人女性エンジニアは、神戸大学大学院工学研究科の出身なんですよ。

今後、日系企業に必要な展望としては、インドをアフリカへの輸出拠点とする戦略でしょう。アフリカや中東は、インドから見ればすぐ近くです。アフリカでのビジネスをインドの人々と共同で展開していく動きは、スズキなどの日系企業ですでに始まっています。

今から20年、30年たてば、インドも成熟していきます。私の専門分野である開発経済学の視点から、世界の絶対的貧困を解決していくという課題を考えれば、残された地域はアフリカです。そして、その拠点として重要になるのがインドだと思います。

賢く脱グローバリゼーションを図るという視点も

世界とインドの関係について、今後の展望を聞かせてください。

佐藤教授:

インドの方針は「戦略的自律性」で、特定の国との同盟関係を持たない全方位外交です。旧ソ連とは領土紛争がなく、ロシアと長く友好関係にありますが、米国にも、ロシアにも、イスラエルにも中立的な態度を保っています。他の国のように、ロシアのウクライナ侵攻を非難しながら、米国のベネズエラ攻撃は非難しないといったダブルスタンダードはありません。そういう意味では筋が通った国です。背景には、イギリスからの独立闘争で武力を使わず、市民的不服従、非暴力主義を貫いてきた伝統があると思います。

インドの今後を考えるとき、経済面でも「戦略的自律性」をどう高めていくかが重要になるでしょう。経済効率性を維持しながら、経済安全保障の課題にどう向き合うかという両面を考えていく必要があります。

米国・トランプ政権の自国第一主義に見られるように、世界は今、これまでのグローバリゼーションとは違う方向へ向かっています。市場自由化の方向に突き進んできたインドも今後、いかに賢く「脱グローバリゼーション」を図り、経済的に自立して、世界と付き合っていくかという視点が必要になるでしょう。実際、そのような政策も打ち出し始めています。

複雑で込み入った状況を、私たち研究者はしっかり見ていく必要があります。インドの課題は日本が抱える課題とも重なっており、若手研究者とも連携しながら、丁寧かつ体系的に分析していきたいと考えています。

佐藤隆広教授 略歴

1993年、同志社大学商学部卒。95年、同志社大学大学院商学研究科博士前期課程修了。99年、同研究科博士後期課程単位取得退学。同年、福岡大学商学部専任講師。2001年、大阪市立大学大学院経済学研究科助教授。02年、博士(経済学、大阪市立大学)。07年、同研究科准教授。08年、神戸大学経済経営研究所准教授。12年、教授。23年から副所長。米・カリフォルニア大学バークレー校南アジア研究センター客員研究員、インドのジャワハルラール・ネルー大学ジャワハルラールネルー高等研究所フェローなども務めた。2025年10月、「新新貿易理論とインド経済」(編著)を刊行。神戸大学応援団総部の顧問も務める。

研究者

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