山口未桜さん

医師であり作家。5歳の娘を育てる母親でもある。神戸大学医学部の卒業生、山口未桜さん。2024年、デビュー作のミステリー小説「禁忌(きんき)の子」で第34回鮎川哲也賞を受賞し、翌年の本屋大賞では第4位に選ばれた。2作目の「白魔の檻(びゃくまのおり)」とともに、医療ミステリーの世界に新たな風を吹き込んでいる。医師と作家を両立する原動力、作品に込めるメッセージ、出身地・神戸への思いを聞いた。

作家への夢を断念して進学した医学部

作家としてデビューした後も、大阪府内の病院で消化器内科医として働く。勤務時間外の緊急連絡に対応する「オンコール」も、宿直勤務もこなす。小説の執筆はもっぱら、子どもが寝た後の夜中の数時間。日々の生活は「自転車操業」と笑う。

子どものころから物語を考えるのが好きだった。「いつも脳内で妄想していました」という。小説を書き始めたのは、高校時代、「部員が足りない」という友人の誘いで文芸部に入ったことがきっかけだ。文芸部発行の冊子にミステリー小説を書くと、評判が良く、さまざまなジャンルの作品を執筆するようになった。学外のコンクールでも入選し、「作家になりたい」という夢が膨らんだ。

「高校3年のとき、作家を目指したいと親に伝えました。でも、当然ながら大反対され、勧められるまま医学部に進学しました。大学時代は読書からも距離を置き、ものを書くことへの経路を完全に閉じました」

夢を断ち切って進学した神戸大学医学部。選んだのは「自宅から通える国立大学」という理由だった。医師への強い志があるわけでもなかった。運動部の活動や家庭教師のアルバイトなどで忙しく過ぎる日々。そんな学生生活で、医師という職業に関心が向き始めたのは、3年生のころだった。

「生理学や薬理学の授業で、人間の体の仕組みや病気の原因、薬がどう効くのかといったことを論理的に説明できるのがとても興味深いと感じました。子どものころから論理的に謎を解いていくのが好きだったからかもしれませんね」と振り返る。

卒業後、研修医・専攻医としての計5年間は、とにかく仕事漬けだった。以後も、膵臓や胆道疾患の専門医として経験を積み、研究論文の執筆にも精力的に取り組んだ。小説を書くことからは、全く離れた生活だった。

コロナ禍と出産で「もの書き」の道へ

「ものを書く」世界に戻る転機となったのは、コロナ禍と出産だった。2020年、新型コロナウイルスの感染が拡大し始めると、準備を進めていた学会発表が中止となり、論文執筆の意欲も薄れた。同じ年に出産が重なり、自身のキャリアをあらためて見つめることにもなった。

「そこで思ったんです。そもそも、私は論文を書きたかったんじゃないな、と。そして、小説を書くなら今しかない、と」

まずはさまざまな本を読み、2022年春からは尊敬する作家の有栖川有栖(ありすがわ・ありす)氏が主宰する創作塾に参加し始めた。コロナ禍のオンライン開催だったことで、子育てをしながら創作に取り組めたのは幸運ともいえた。

デビュー作の「禁忌の子」は、主人公の救急医が勤務する病院に、自身とうり二つの溺死体が搬送されてくるという衝撃の出来事から始まるミステリーだ。濃密な人間ドラマとともに、生殖医療の課題も浮かび上がる。

鮎川哲也賞の一報を受けた際の気持ちは「妊娠を知った時と似ていたかもしれません」という。「うれしさの一方で、『これからどうなるだろう』という緊張感もありました」。

そんな戸惑いを吹き飛ばすように、本は一時手に入りにくくなるほどの評判となった。2024年の「週刊文春ミステリーベスト10国内部門」で3位、2025年の本屋大賞で4位、「このミステリーがすごい! 2026年版国内編」で第3位など、数々のランキングで上位に入った。

臨床現場の緊迫感や医療従事者の微妙な心情を描き出す作品は、医師としての経験が多分に反映されているように見える。

「経験が反映されているのは、医療の技術的な面というより、死生観だと思います。病気になれば、だれもが助かるわけではない。元気だった人が日々弱っていく。『命は有限だ』という感覚、無常観のようなものがベースにあります。ただ、その中にある希望を忘れないでいたい。悲惨な話であっても、最後は焼け野原の中に一輪の花が咲いているような世界を、今後も書いていきたいと思っています」

第34回鮎川哲也賞を受賞した「禁忌の子」 (東京創元社)
デビュー2作目の「白魔の檻」(東京創元社)

阪神・淡路大震災の経験が死生観に影響

昨年発表した2作目の「白魔の檻」も、評判は上々だ。デビュー作に連なるシリーズで、北海道の山中にある病院が濃霧と大地震、有毒ガスによって孤立する中、次々に犯罪が起こる。謎解きの面白さだけでなく、過疎地医療、災害下の医療の現実が克明に描かれる。

この作品には、小学1年で遭遇した阪神・淡路大震災の経験も反映されている。早朝の5時46分に地震が発生した31年前、山口さんは午前3時ごろに目覚め、両親の寝室に移って寝ていた。地震後、普段寝ていた場所には重い本棚が倒れ込み、「もしそこにいたら、命はなかったと思う」と振り返る。

通っていた小学校の同級生が犠牲になり、家を失った児童も少なくなかった。波打つ道路や火災の煙、近所の人と布団を持ち寄って駐車場に避難したことも覚えている。

「自分の死生観は、阪神・淡路大震災で根本的にインストールされた部分もあると、最近感じるようになりました。被災地では、被害の程度にグラデーションがあり、立場によって見えるものが違う。それが、人生をさまざまな形で動かしていく。そんな考えが、『白魔の檻』には反映されていると思います」

今、多忙を極める中で次作の準備も進める。医師、作家、母親としての経験が折り重なり、紡ぎ出される作品は、これからどんな方向へ向かうだろうか。

「本質的に、書きたいのは人間ドラマ。ミステリーという分野にとらわれず、人間の話を書いていきたい。命や医療、社会問題をテーマにしていても、説教くさくなく、エンタメ作品としての面白さを大切にしたい。それによって、多くの人に読んでいただけるのではないかと考えています」

高校生を対象に開かれたトークイベントで、自身の経験や創作活動について語る山口さん(西宮市、甲陽学院高校図書館)

略歴

やまぐち・みお 1987年、神戸市出身。2012年、神戸大学医学部卒。大阪府内の病院で消化器内科医として勤務。2024年、「禁忌の子」で第34回鮎川哲也賞を受賞。2025年、2作目となる「白魔の檻」を刊行。神戸大学の後輩たちへのメッセージは「自分の興味の芽を大切にしてほしい。大学時代は時間を一番自由に使える時。効率だけを考えず、『やってみたい』と思うことはどんどん挑戦してください」。

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