神戸大学大学院工学研究科の笠井大幹大学院生、新谷健斗大学院生、杉本泰准教授、藤井稔教授、エクセター大学(英国)のFrank Vollmer教授らは、シリコンナノ粒子が、右手と左手のように鏡写しの関係をもつ「キラル」な分子から利き手の情報を受け取り、その情報を観測しやすい光信号として示す「キラリティ転写」を実験的に実証しました。
医薬品やアミノ酸などには、右手と左手のように鏡写しの関係をもつ「キラル」な分子が数多く存在します。同じ成分でも、生体内での働きや薬効が大きく異なるため、その識別は創薬や生命科学において重要です。しかし、キラル分子が示す光の信号は非常に弱く、多くの場合、測定が難しい深紫外領域に現れるため、高感度かつ簡便に識別することが課題となっていました。
本研究では、可視光に対して強い光学共鳴を示すシリコンナノ粒子がキラル分子の特徴を写し取り、本来は深紫外領域にあるその情報を、測定しやすい可視光の信号として映し出す現象を実験で明らかにしました。この現象は「キラリティ転写」と呼ばれ、ナノ粒子を介して分子の性質を異なる波長の光で読み出す新しい仕組みです。本成果は、光と物質の相互作用に新たな知見をもたらすとともに、高感度な分子識別技術への応用が期待されます。
この研究成果は、8月10日に、国際科学誌『Nano Letters』に掲載されました。
ポイント
- シリコンナノ粒子がキラル分子の「利き手」の情報を受け取る現象を実証
- 本来は深紫外領域に現れる分子の情報を、可視光の信号として読み出せることを確認
- 高感度なキラル分子識別技術や創薬分野への応用が期待される
研究の背景
医薬品やアミノ酸などには、右手と左手のように鏡写しの関係をもつ「キラル分子」が数多く存在します。同じ化学式を持っていても、生体内での働きや薬効、副作用が大きく異なることがあるため、その違いを正確に識別することは創薬や生命科学、化学分析において極めて重要です。
キラル分子は、右回り・左回りの円偏光に対する吸収の違い(円二色性:Circular Dichroism, CD)※1を利用して識別されます。しかし、このCD信号は非常に弱く、多くの有機分子では深紫外領域(180~300 nm)(nmは10億分の1メートル)にしか現れません。そのため、高価な光学系や特殊な測定環境が必要となり、より高感度で簡便な測定技術の開発が求められてきました。
近年、ナノ構造によって光を強く閉じ込めることで、キラル分子が示す弱い光学信号を増強する研究が盛んに進められています。これまで主に金属ナノ構造の局在表面プラズモン共鳴を利用した手法が報告されています。しかし、金属ナノ構造では電場による応答が支配的であり、光のキラルな相互作用を十分に引き出すことはできません。一方、シリコンナノ粒子は、電場だけでなく磁場にも応答する光学共鳴(Mie共鳴※2)を示すため、光とキラル分子の相互作用を新しい方法で制御できる可能性があります。特に、キラル分子が持つ情報をシリコンナノ粒子の光学共鳴へ転写する「キラリティ転写」の可能性が理論的に示されていましたが、それを明確に実証した例はありませんでした。
研究の内容
神戸大学の研究グループは、可視光領域に強い光学共鳴(Mie共鳴)を示すシリコンナノ粒子にキラル分子を吸着させ、その光学特性を詳細に調べました。その結果、本来は深紫外領域にしか現れないキラル分子の情報が、シリコンナノ粒子の可視光共鳴波長に現れることを実験的に確認しました。

研究グループはまず、キラル分子を含むシェルで覆ったシリコンナノ粒子をモデルとした理論で解析をしました。図2(a)はキラル分子シェルを有するシリコンナノ粒子の消光断面積スペクトル※3であり、磁気双極子・電気双極子Mie共鳴ピークが見られます。図2(b)に左右円偏光照射に対する消光断面積の差(円二色性に相当)を示します。これは、分子が持つキラリティによって、シリコンナノ粒子内部に右円偏光と左円偏光に対する吸収・散乱の差が生じ、その結果、本来は深紫外領域に存在する分子のキラル情報が、シリコンナノ粒子のMie共鳴波長(可視光)のCD信号として現れることを示しています。さらに、この信号はキラル分子自身からではなく、キラル分子によってシリコンナノ粒子に誘起された光学応答の違いに由来することを示し、「キラリティ転写」が起こることを理論的に明らかにしました。
この現象を金(赤線)および銀(青線)ナノ粒子と比較したところ、シリコンナノ粒子でのみ、キラリティ転写が著しく強く現れることが分かりました。理論計算では、シリコンナノ粒子のCD信号はキラル分子シェルのみと比較して最大約170倍に増強されました。この結果は、高屈折率誘電体であるシリコンナノ粒子のMie共鳴が、従来広く用いられてきたプラズモンナノ粒子よりも1桁以上大きく、キラル光学応答の増強に優れていることを示しています。

実験的にキラリティトランスファーを観測するため、粒径を精密に制御した球状シリコンナノ粒子を石英基板上にランダムに配置し(図3(a))、その表面をL体またはD体システイン※4を含む高分子薄膜で被覆しました。シリコンナノ粒子のみでは可視光領域にCD信号は観測されませんでしたが(図3(b)灰色線)、キラル分子を導入すると、シリコンナノ粒子のMie共鳴波長に一致した位置で明瞭なCD信号が現れました(図3(b)赤線および青線)。また、L体とD体ではCDスペクトルの符号が完全に反転することが確認できます。さらに、粒子径を変えると共鳴波長に合わせてCDピークも変化すること、金ナノ粒子では同様の条件でもCD信号は観測されないことを実験的に示しました。これらの結果は、観測されたCD信号がキラル分子からシリコンナノ粒子へのキラリティ転写によって生じていることを実証するものです。

今後の展開
本研究では、Mie共鳴を示すシリコンナノ粒子を利用して、分子が持つ「右手型・左手型」のキラル情報を観測しやすい可視光の信号として読み出せることが示されました。今後、溶液の測定技術や検出デバイスの開発が進めば、従来は高度な設備が必要だったキラル分子の識別を、より簡便かつ高感度に行えるようになると期待されます。また、医薬品の品質評価や新薬開発などへの応用も期待されます。
用語解説
※1 円二色性(Circular Dichroism, CD)
光が進む方向に対して、電場の向きが右回りまたは左回りに回転する「円偏光」に対する吸収の差。キラル分子の「右手型」と「左手型」を識別するために広く用いられる分光法。
※2 Mie共鳴
1908年にGustav Mieにより厳密解が導かれた波長程度の大きさの球形の粒子による光の散乱現象のうち、高屈折率誘電体に見られる共鳴的な散乱現象。入射電場に応答する電気的な共鳴と入射磁場に応答する磁気的な共鳴がある。粒子サイズによって共鳴波長を制御できる。
※3 消光断面積スペクトル
本件の場合、シリコンナノ粒子が光を吸収・散乱する強さを波長ごとに示したスペクトル。ピークは光がナノ粒子と強く共鳴する波長に対応し、粒子の光学特性を特徴づける。
※4 L体またはD体システイン
システインは生体を構成するアミノ酸の一種であり、L体とD体は互いに鏡像の関係にある異性体(鏡像異性体)である。
謝辞
本研究は、科学技術振興機構(JST) 創発的研究支援事業 北川パネルにおける研究課題「誘電体ナノアンテナの増強キラル近接場による不斉光反応場の創成」(課題番号:JPMJFR213L)、日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業(課題番号:JP24K01287, JP24KF0158, JP25KJ1817, JP25K01608, JP25K22206)の支援を受けて行われました。
論文情報
タイトル
"Chirality Transfer from Chiral Molecules to Mie-Resonant Silicon Nanoparticles"
DOI
10.1021/acs.nanolett.6c02584
著者
Hiroki Kasai, Kento Shintani, Mojtaba Karimi Habil, Hiroaki Hasebe, Shahin Ghamari, Frank Vollmer, Hiroshi Sugimoto, Minoru Fujii
掲載誌
Nano Letters
報道問い合わせ先
神戸大学企画部広報課
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