秋元忍 准教授

対戦型コンピュータゲーム・eスポーツは、世界中の子どもから大人まで多くの人々が楽しみ、国際大会や高額の賞金大会が開かれるなど、エンターテインメントとしても興隆している。一方で、アジア競技大会の正式種目に採用が決まるなど、既存スポーツ大会との交流、融合も進む。プロを目指すプレーヤー、学校の部活動として全国大会を目指す高校生など、伝統的スポーツと同様の切磋琢磨、トレーニングが欠かせない競技に進化している。eスポーツと既存のスポーツの関係やスポーツ文化への影響について、スポーツ史を研究している人間発達環境学研究科の秋元忍・准教授に聞いた。

常に変化するスポーツの概念

eスポーツはスポーツと見なせるのでしょうか。研究者の立場でどのように考えますか。

秋元准教授:

「あれはスポーツではない」と考える人は確かにいて、議論になっています。しかし、スポーツの歴史を研究している立場からみると、何がスポーツなのか、という認識は常に時代とともに変わってきているのです。時代によって、ある活動がスポーツの概念に入ったり、排除されたりということを繰り返しながら今に至っているのです。

eスポーツに「スポーツ」という言葉が付いている以上、何らかのスポーツ的活動であるという認識が含まれているはずです。スポーツではないと考えている人の認識も変わってくる可能性はあり、それはeスポーツのプレーヤーや統括組織の方々が、いかにeスポーツの価値を発信できるのかにかかっていると思います。

スポーツの概念はどのように変遷してきたのでしょうか。

秋元准教授:

組織化された活動で、統一したルール、管轄する組織がある、サッカーやラグビーなどのような運動競技の制度が整えられたのは、19世紀半ばのイギリスです。それ以前はもっと幅広い領域を含んだもので、人間の本源的な気晴らし、エリートによる狩猟活動や動物闘技=闘鶏や熊いじめ(熊に犬をけしかけてギャンブルする)=、飲酒、祭事とかかわるどんちゃん騒ぎなどがスポーツでした。気晴らし、人間の気持ちがぱっと変わるような活動が、スポーツの根源的な意味だったと考えられます。そういう活動が、時代の支配的な階層と結びついて、競馬、狩猟などがスポーツの中心だったのです。

動物をいじめる動物闘技が禁止され衰微していったように、ある時代に正当とみなされるものが常に変わっていきます。スポーツだけではありませんが、その時代の価値観に適応する形で、スポーツは変わってきたのです。19世紀半ばの英国から、真剣に一生懸命やる活動、運動競技がスポーツの中心になっていきました。

スポーツは人類に不可欠な文化

そもそもスポーツとは人間にとってどのようなものだと考えられますか。

秋元准教授:

記録の残っている古代オリンピックなどの前から、競技的形式の身体活動はあったと考えられています。考古学的には古代文明以前の洞窟画などにスポーツらしきものが描かれています。例えば、北欧には細長い板に人が乗って何かを追いかけている絵が残っており、スキーのような活動があったと思われます。文化人類学の研究では、文字を持たない社会の人々の民族誌、民話調査の結果から、スポーツ的活動が行われていたことがわかっています。アメリカ原住民(ネイティブ・アメリカン)は現在のラクロスのようなゲームをしていたようです。

宗教的に安静にしていることが求められたような時を除き、人類がスポーツ的活動をやめた時代はほとんどありません。人間を人間らしくしている文化として重要性を持つものがスポーツなのです。スポーツは、いつの時代、どこの地域でも行われてきた、人間にとって不可欠なものだと言えると思います。

スポーツ史の研究者として、eスポーツに注目したのはどうしてですか。

秋元准教授:

19世紀のイギリスに現れた新しいスポーツのあり方を研究してきました。19世紀の組織的運動競技の誕生期と、現在のeスポーツ興隆の時代は似ており、大きな変革期に立ち会っていると思えます。19世紀に新しいスポーツを始めた人たちとは史料を通してしか対話が出来ませんが、現代のeスポーツムーブメントを起こしている人たちとは直接対話が出来ます。変革の渦中で、eスポーツに関わる同時代の人たちの話を聞き、eスポーツがどういう未来を持つのか、見つめていきたいと考えて研究に取り組むようになりました。

eスポーツが注目され、高校生の部活動でも取り組まれるようになっています。

秋元准教授:

スマートフォンやパソコンが普及し、専用のゲーム機(コンソール)が無くても、無料のゲームソフトをダウンロードしてプレーできるようになったことが背景にあると思います。高校生はほぼ1人1台のスマホを持っていますから。

高校生のeスポーツ大会が増え、eスポーツの部活を始める高校に高性能のゲーム用パソコンを提供するなどの支援も行われています。また、高校の側も生徒を集める手段の一つとして、eスポーツ部を設置するなど、宣伝の手段になっている側面もあるかも知れません。

eスポーツの部活ができるから、不登校気味だった若者が高校に通うようになったり、仲間づくりができたりと、ポジティブな効果も期待されていると思いますが、年齢や性別、地域などの違いに関係なく、様々な人が交流できるのがeスポーツの特色なので、学校の部活だけで閉じてしまうのはもったいない面もあると感じます。

伝統的スポーツとの相互作用に期待

海外では日本以上にeスポーツが人気を集め、一般的なスポーツと同様にビジネスとしても発展しているようですね。

秋元准教授:

背景として、中国ではゲーム専用機が普及する前に、パソコンでゲームを楽しむことが一般的だったことがあります。また、eスポーツを産業として成長させる国策もあり、広範な人気を獲得しました。米国ではプレーヤー人口が圧倒的に多く、シューティングゲームなどの高額な賞金大会も開催されています。

中国も米国も、eスポーツがスポーツとして認知されていることも背景にあります。中国では政府が公式にeスポーツをスポーツだと認めていますし、米国ではNCAA(全米大学体育協会)にeスポーツの団体が加盟し、eスポーツ選手に奨学金を出す大学があります。また、今年中国で開かれる予定だったアジア大会では、eスポーツが正式種目に採用されました。コロナで1年延期になりましたが。

一方、日本ではスポーツ基本法にまだeスポーツは位置づけられていませんし、日本スポーツ協会や日本オリンピック委員会(JOC)にもeスポーツ団体は入っていません。延期になったアジア大会にeスポーツ選手をどのような形で派遣するのかを、JOCで検討していたので、来年、どういう結論になるか注目しています。eスポーツの位置づけが国内でも変わっていくと思います。また、オリンピックやアジア競技大会などの動向とかかわりなく、eスポーツの世界はどんどん広がっていき、日本でもeスポーツの国際大会や賞金大会が開かれるようになっていくでしょう。

神戸大学と関西プレスクラブが共催したeスポーツのシンポジウム
eスポーツのシンポジウムで行われたプロ選手らによる模擬対戦

伝統的スポーツとeスポーツはどのような関係になっていくと考えますか。

秋元准教授:

いろんな形で既存のスポーツとeスポーツが接合していく中で、様々な相互作用があると思います。歴史を振り返ると、元々気晴らしでしかなかった、野蛮で粗野な活動を含むものだったスポーツが19世紀半ばに真面目に取り組む活動になったように、スポーツは時代の価値観を踏まえたものに変化していくものです。それがオリンピズムなどを通じて世界に広がっていきました。現代のスポーツがeスポーツという新しいムーブメントと接合していくことで、変わっていく契機になることは大いにあり得るでしょう。

男女平等の問題や、若年層の活動に偏りがちであるなど、現代のスポーツが指摘されている問題について、eスポーツが変革のけん引役になることがあるのではないか。eスポーツは決して若者だけの活動ではないですし、男性も女性も一緒にできる点など、これまでのスポーツの限界を軽々と超えていくことができます。それを既存のスポーツが「こういう世界があるのか、こういう工夫ができるのか」と参考にすることで、ポジティブな変化が起きる可能性は大いにあると思います。

一方、eスポーツのコミュニティも既存スポーツから影響を受けるでしょう。eスポーツの統括団体である日本eスポーツ連合は、「スポーツ精神の普及」という理念を掲げています。既存のスポーツが継承してきたポジティブな価値を取り入れ、eスポーツの新たな価値を発信していくことを期待しています。

既存のスポーツとeスポーツが接合していくことで、新たな価値観を創造していくことができるはずで、実際にIOCは様々な試みを始めていますし、アジア大会は正式種目化を決めました。英連邦の50か国以上が参加するスポーツ大会「コモンウェルスゲームズ」ではeスポーツの大会を合わせて開催しています。正式種目化や同時開催などの取り組みによって、今後互いに良い影響を与え合うことになるでしょう。eスポーツと既存スポーツが接合することで、この時代に合ったスポーツ活動の価値観が創造されていくと思います。

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