阪神・淡路大震災で被災した大学として、神戸大学には防災や災害復興に貢献する研究や活動に取り組む教員や学生が多い。宮城県仙台市の大学の教員を務めた後、本学に移った工学研究科の槻橋修准教授は、2011年3月の東日本大震災の発生直後から、被災者に寄り添い、地域の記憶や愛着を大切にするプロジェクトを進めてきた。それらの取り組みで日本建築学会賞を受賞し、建築家として場所づくり・プレイスメイキングを重視する活動につながっている。槻橋准教授に被災地での活動や建築家としての思いを聞いた。
「失われた街」模型復元プロジェクト
東日本大震災の被災地で、発災直後から学生とともに様々な取り組みを継続しています。
槻橋准教授:
神戸大学に来る前は仙台の東北工業大学の教員をしていたこと、震災の直前にも宮城県気仙沼市の企業とともに、神戸・三宮の商店街に設置するプロジェクターの日除けシェードの制作に取り組んでいたことがあり、「神戸から動ける人間として、何かをしなくては」と強く思いました。建築設計の教育をやっている者として、建築やまちづくりに携わる人間として、何が出来るのか、何をしなければならないのかを考えましたが、まずは学生といっしょに被災地に行く理由が必要でした。
というのは、1995年の阪神大震災の時は東京大学の大学院生でしたが、当事者でも専門家でもない者が被災地に行く理由を見つけられず、神戸に行くことが出来ませんでした。諦めにも似た反省の気持ちを抱いてきましたが、東日本大震災では、被災地で暮らしていた者として当事者意識が強くありました。日本と世界の建築家仲間とリモートで会議を続け、「教育や文化を後回しにするのではなく、細々としてでも継続することが必要だろう」と話しました。神戸大学の学生たちとも何ができるかを話し合い、学生が得意なこと、建築模型を作ったり、地域の人の話を聞いたりすることが出来ないだろうかと考えました。
「失われた街」模型復元プロジェクトですね。
槻橋准教授:
果たして被災地の人たちに理解してもらえるのか、不安もありました。多くの方の意見をうかがい、まずは神戸で被災前の気仙沼の市街地の真っ白な模型を作り、学生が現地に持ち込みました。市役所ロビーの片隅に置かせてもらったら、注目を浴び、まちの記憶を語り合う即席のワークショップが始まりました。現地で報道もされ、白い模型で地元の人たちが記憶をたぐりよせ、色を付けたり、書き込みをしていくワークショップに強いニーズがあることがわかりました。これまでに60カ所以上の地域で、模型を作り、ワークショップを行ってきました。
被災地に溶け込み歓迎された取り組み
「失われた街」プロジェクトは2015年に日本建築学会賞を受賞されましたが、どうして被災地の方々に歓迎されたのでしょうか。
槻橋准教授:
被災地の人たちは、「思い出したい」んですよ。豊かな生活の思い出は、街並みや風景、暮らした空間といっしょに記憶されている。町並みや風景が記憶を呼び出すフックになっているのだと思います。模型を前にワークショップを行うと、皆さん、模型を見ながら震災前の街並みや暮らしについて口々に語りだします。思い出したいから話すのです。仮設住宅などで暮らしている被災者の皆さんは、苦しい生活が続いていたはずですが、ワークショップでは笑い声も出るし、皆さん生き生きとした表情になります。単に記録に残すという意味の前に、住民の皆さんのメンタルな支援、文化的な営みになっていたと思います。
気仙沼市唐桑町大沢地区では神戸大学など複数の大学の教員、学生が復興支援に取り組み、2021年の建築学会賞を受賞されました。
槻橋准教授:
高台移転と集落再生のプロジェクトです。当時186世帯あった内の141世帯が被災した大沢地区の皆さんが地域に戻って集落を再生する取り組みを10年にわたってお手伝いしました。教員は専門的な立場でアドバイスし、学生たちが長期滞在して地域の皆さんと溶け合って、住民の会議をサポートしました。住宅、道路、農地などいろいろな課題がある上に、住民は仮設住宅などに分散してしまっていました。そこで学生たちがミニコミ新聞「大沢復興ニュース」を40報近く発行し、復興の状況や課題の情報の共有を図りました。その効果もあって、大沢地区は震災直後に帰還を希望した世帯のほぼ全てが集落に戻って生活を再建し、帰還率が71%と他の地区より高くなっています。
学生たちと「場所への愛着」を提案
気仙沼市では慰霊施設の監修も担当されました。
槻橋准教授:
「失われた街」模型復元プロジェクトなどを通じて、気仙沼市との縁が深まっていました。学生や私が主宰する建築事務所のメンバーと話し合って、慰霊施設・復興祈念公園のアイデアコンペに参加し、「場所への愛着」をテーマにした提案で1位になりました。気仙沼市の高台に建つ慰霊施設には震災の犠牲者約1300人の銘板をサークル状に並べて、亡くなった方が住んでいた集落の方に向かって手を合わせて慰霊することが出来るようになっています。気仙沼市民全員の慰霊と同時に、各地域の住民にとっての慰霊もできるのです。住民だけでなく、気仙沼市にボランティアなどで通ってくる人にも、慰霊や場所への愛着を育てることが、建築にとって大切なことだと思っています。
被災地での活動に参加した学生や教員にとってはどんな意味があったのですか。
槻橋准教授:
自分たちが取り組んでいることが現地の方に感謝され、大学で学んだことが実際に役立っていることを実感できたと思います。模型作りや地元の方からのヒアリングなど、自分たちの専門性が喜ばれたことが、建築のプロの卵としての成功体験になったのです。私自身も模型プロジェクトや復興支援に取り組み、「場所」というものの力を確認し、建築や都市づくりに取り組む者にとって「場所」をどう扱うかが非常に重要であることを改めて実感しました。模型を前に、千人なら千通りの思い出が語られます。記憶はまちに命を吹き込む大事な要素だと気づきました。
場所づくり・プレイスメイキングを
研究者として、建築家としてどのような影響を受けたと感じていますか。
槻橋准教授:
積水ハウスの寄付講座「持続的住環境創成講座」(2012~16年度) でリバブルシティ、住みやすい都市について研究し、犯罪の多い都市だったオーストラリア・メルボルン市が世界のリバブルシティランキングで7年連続1位になるまでに変わった理由を研究しました。その結果、オーストラリアは、プレイスメイキング=場所づくりを重視し、行政にプレイスメイカーという職種まであることがわかりました。東北で取り組んでいたことが、まさにプレイスメイキング、場所づくりです。建築がプレイスメイキングの中でどのように位置づけられるのか、どのように貢献できるのか、さらに関心が深まりました。
神戸でのプロジェクトにも結実していますね。
槻橋准教授:
2015年に閉校となった神戸市兵庫区の湊山小学校跡地をリノベーションしたコミュニティ型複合施設では、どんな人たちがどんな思いで運営し、利用していくのか、思いを体現するデザインを考えました。自然、緑と人との関係を考え直す場にしようと、外装に長さ45センチの角材でつくった立方体のフレームを組み合わせた「フレームグリッド」を使い、建物内側から継続的に壁面緑化ができる「NATURE STUDIO (ネイチャースタジオ)」を提案しました。2022年夏に完成し、2023年2月発表の第4回神戸市都市デザイン賞を受賞しました。フレームグリッドが部分的に傷んだら、専門家でなくても取り替えることができ、住民参加型でつくる緑化建築のタワーが地域のシンボルになります。皆さんがプレイスメイキングにかかわり、愛着を育てていくことにつながると思います。
神戸・三宮の東遊園地でも民間資金で公共施設を整備するPark-PFI方式でカフェやイベントスペースを運営する「アーバンピクニック」というプロジェクトに加わっています。20年かけて民間の力で公園の価値を高めていく取り組みで、まさにプレイスメイキングです。ここでも場所への愛着を育てていくつもりです。
略歴
1968年 | 富山県高岡市生まれ |
1991年 | 京都大学工学部建築学科卒業 |
1998年 | 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程 単位取得後退学 |
1998年 | 東京大学生産技術研究所助手 |
2002年 | ティーハウス建築設計事務所を設立 |
2003年 | 東北工業大学工学部建築学科講師 |
2009年 | 神戸大学大学院工学研究科建築学専攻准教授 |
2022年 | 神戸大学減災デザインセンター長 |