神戸大学先端バイオ工学研究センターの伊藤洋一郎特命准教授・石井純准教授、科学技術イノベーション研究科の近藤昭彦教授らの研究グループは、東京大学や東北大学と共同で、タンパク質の生産能力に優れたPichia pastoris(ピキア酵母※1)において、遺伝子破壊により有用タンパク質※2の分泌生産を高める遺伝子の取得に成功しました。またその遺伝子破壊を組み合わせることや遺伝子(多重)破壊株の植え継ぎ培養※3を行うことで、有用タンパク質を高生産するピキア酵母の開発にも成功しました。今回の発見により、バイオ医薬品としての抗体や産業用酵素の生産性を向上させる技術に繋がると期待されます。
この研究成果は、6月8日に、Communications Biologyに掲載されました。
ポイント
- マルチウェルスクリーニング用に設計したハイスループット評価系を用いることで、ピキア酵母の遺伝子破壊により有用タンパク質の分泌生産性を増加させる遺伝子を見つけた。
- 上記の遺伝子を多重に破壊することで、有用タンパク質の分泌生産性の増加が見られた。
- 上記の遺伝子(多重)破壊は、スクリーニングに使用した有用タンパク質及びその発現系とは異なるものにおいても、その分泌生産性を高める効果が認められた。
- 上記の遺伝子(多重)破壊株(有用タンパク質高生産株)を植え継ぎ培養することにより、更なる有用タンパク質の分泌生産性を増加させることに成功した。
研究の背景
近年、バイオ医薬品としての抗体や産業用として有用な酵素などのタンパク質を、ピキア酵母で分泌生産させる試みが世界的に行われています。しかしながら、目的とするタンパク質によっては、ピキア酵母での生産性が低い、または困難であることが知られています。そこで、難分泌生産 (または低分泌生産) タンパク質のピキア酵母での高生産化に向けて、①ランダム遺伝子破壊株ライブラリ※4のスクリーニングによる効果的な遺伝子破壊の同定、➁その遺伝子の多重破壊、そして➂植え継ぎ培養による分泌生産性向上に向けたアプローチを検討しました (図1)。
研究の内容
ランダム遺伝子破壊ライブラリ作製&スクリーニング
まず、ランダム遺伝子破壊ライブラリから効果的な遺伝子破壊を探索するために、多数の遺伝子組換え体の目的タンパク質の生産性を評価する簡便な手法を開発しました (図2)。具体的には、ピキア酵母で難分泌生産タンパク質である抗リゾチーム一本鎖化抗体 (scFv)※5をモデルタンパク質として用いて、マルチウェルスクリーニングに対応可能なscFv分泌量のハイスループット評価系を構築しました。scFvを生産するピキア酵母株からランダム遺伝子破壊ライブラリを作製し、上記の手法を用いて19,000株以上のscFvの生産性を評価したところ、遺伝子破壊によりscFvの生産性が増加する6種類の遺伝子を見出すことに成功しました (6種類のうち5種類の遺伝子破壊は新規) (図3)。
また、このスクリーニングの過程で偶然にも、scFvの分泌生産を大幅に増加させる分泌シグナル配列※6 MFα (サッカロ酵母※7由来)の1アミノ酸置換体 (V50A)も見出しました (図3a;79G10) (Ito et al., Avoiding entry into intracellular protein degradation pathways by signal mutations increases protein secretion in Pichia pastoris, Microbial. Biotechnol, 2022.参照)
得られた有用遺伝子の多重破壊
ピキア酵母scFv生産株に、上記で得られた遺伝子を順に破壊したところ、遺伝子破壊を重ねるごとにタンパク質生産性が向上することが明らかになりました。見出した遺伝子のうち4種類の遺伝子を多重に破壊した株では、親株と比較して5倍以上の生産性の向上が示されました (図4)。またこれらの遺伝子 (多重) 破壊は、スクリーニングで使用したscFv生産株だけでなく、β-グルコシダーゼ※8生産株またはスクリーニングで使用したものとは異なるプロモーターを用いたscFv生産株においても、同様に効果を示しました (図4)。
遺伝子 (多重) 破壊株の植え継ぎ培養
それらの各遺伝子 (多重) 破壊株は、遺伝子破壊が積み重なるたびにピキア酵母の増殖速度が低下していました (図4)。そこで、各遺伝子 (多重) 破壊株の増殖速度を回復させるため、培養後にフレッシュな培地に酵母菌体を植え継ぎ、培養するサイクルを50回以上繰り返したところ、多くの遺伝子破壊株で増殖が回復し、更にそれらのscFv生産性が向上しました (図5)。
以上のように、「ランダム遺伝子破壊ライブラリの作製とスクリーニング」、「得られた有用遺伝子の多重破壊」、また「遺伝子 (多重) 破壊株の植え継ぎ培養」を行うことで目的タンパク質生産性を増加させることに成功しました。これはピキア酵母での有用タンパク質高生産性化に向けた新たな宿主株の開発方針となります。
今後の展開
今回得られた知見を活かし、目的とする難発現タンパク質をより高生産できるピキア酵母株の開発を計画しています。
用語解説
1: Pichia pastoris(ピキア酵母)
ノンコンベンショナル酵母の一種であり、メタノール資化性酵母に分類される。強力なメタノール誘導性プロモーターを用いたタンパク質の分泌生産能力が極めて高い微生物であり、タンパク質生産の宿主として研究だけでなく産業用途にも広く用いられている。
2: 有用タンパク質
ここでは、「バイオ医薬品としての抗体や産業上有用な酵素などの外来タンパク質」を指す。
3: 植え継ぎ培養
菌体を培養後、一部をフレッシュな培地に植え継ぎ、培養を繰り返す手法。
4: ランダム遺伝子破壊株ライブラリ
ランダムな遺伝子破壊により作出された異なる遺伝子破壊を有する細胞集団。
5: 一本鎖化抗体(scFv)
抗体が抗原を認識するために必要な最小単位であるH鎖、L鎖の可変領域(Fv)部分のみをフレキシブルなペプチドリンカーで結合した低分子抗体。
6: 分泌シグナル配列
分泌発現させたいタンパク質の上流に付加するポリペプチド配列。
7: サッカロ酵母(Saccharomyces cerevisiae)
モデル生物の一つであり、出芽酵母に分類される。酵母の中で最もよく使用されている種属であり、遺伝学や代謝工学など幅広い研究用途に使用されている。ビールやワイン、日本酒などの醸造やパン作りなど、伝統的な発酵産業にも古くから利用されている。
8: β-グルコシダーゼ
1分子のセロビオース(二糖)を2分子のグルコースに加水分解する酵素。
謝辞
本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構 (AMED) 次世代治療・診断実現のための創薬基盤技術開発事業 (バイオ医薬品の高度製造技術の開発)「バイオ医薬品の多品種・大量製造に適した微生物による高度生産技術の開発」「高性能な国産細胞株の構築」および同 (国際競争力のある次世代抗体医薬品製造技術開発/次世代抗体医薬品の製造基盤技術開発)「高機能な次世代抗体を‘迅速に’創出・生産する「ロボティクス×デジタル」を基盤とした革新技術開発」、および一部について、経済産業省委託事業「革新的バイオマテリアル実現のための高機能化ゲノムデザイン技術開発」、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構 (NEDO) 植物等の生物を用いた高機能品生産技術の開発「高生産性微生物創製に資する情報解析システムの開発」、国立研究開発法人科学技術振興機構 (JST) 未来社会創造事業 (探索加速型「地球規模課題である低炭素社会の実現」領域) 「光駆動 ATP 再生系による Vmax 細胞の創製」、JST戦略的創造研究推進事業CREST (データ駆動・AI駆動を中心としたデジタルトランスフォーメーションによる生命科学研究の革新[バイオDX]領域)「データ駆動型の次世代微生物進化育種」および日本学術振興会 (JSPS) 科研費JP20K05229の支援を受けて実施しました。
論文情報
タイトル
DOI
10.1038/s42003-022-03475-w
著者
Yoichiro Ito, Misa Ishigami, Goro Terai, Yasuyuki Nakamura, Noriko Hashiba, Teruyuki Nishi, Hikaru Nakazawa, Tomohisa Hasunuma, Kiyoshi Asai, Mitsuo Umetsu, Jun Ishii* and Akihiko Kondo*
* Corresponding author
掲載誌
Communications Biology