
インドの地下鉄建設を指揮した土木技術者として知られる。神戸大学大学院工学研究科出身の阿部玲子さんは、インド駐在歴19年。大手建設コンサルタント会社の執行役員で、インド現地法人の会長でもある。その活躍ぶりは、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」などで取り上げられ、数々の賞も受けてきた。しかし、女性技術者としての道のりは苦難の連続でもあったという。今、後進の育成にも力を注ぐ阿部さんに、仕事にかける思いや次世代へのメッセージを聞いた。
女性はスタートラインにも立てなかった
出身は山口県。幼いころ、関門海峡(山口県~福岡県)の海底トンネルを父の車で走り、その長大さに圧倒された。その時はまだ、土木技術者になることなど想像もしていなかったが、大学進学に際して土木分野に興味を持ち、幼少期の記憶に不思議な縁を感じた。
山口大学工学部で学び、「大きな構造物を造りたい」とゼネコンへの就職を希望した。しかし当時、総合職として女性を採用する企業は見当たらず、恩師からは大学院進学を勧められた。「都市部の大学院で学び、まずは知見や人脈を広げてはどうか」という助言だった。
大学院進学でも、女性を受け入れる土木系の研究室は少なかったが、快く門戸を開いてくれたのが神戸大学の櫻井春輔教授(現・名誉教授)だった。同期で女性は1人だけだったが、研究も遊びも男女で分け隔てはなかった。
「教授と学生の関係、学生同士の関係が密で、とても充実していました。私は研究熱心というわけではありませんでしたが、神戸大学を中心とする人々とのつながりで、その後の人生のパズルがはまっていったように思います。その縁がなければ、今の私はありません」
神戸大学の恩師、先輩が開いてくれた就職の道
大学院修了後の就職先も、神戸大学の縁が導いてくれた。工学部の卒業生、鴻池一季(かずすえ)氏が社長を務めていたゼネコン・鴻池組で、面接を受けられることになったのだ。女性ゆえの就職の壁に直面する中、櫻井教授が用意してくれたチャンスだった。そして無事、面接試験に合格。1989年、会社初の女性土木職としてスタートを切ることになった。
しかし、大学で学んだトンネル工学を生かせる現場には配属されなかった。「トンネル工事などの現場に女性が入ると、山の神が怒って事故になるといった迷信があり、現場には立ち入ることすら許されませんでした」。
それでも、当時はバブル経済の好景気。会社は地下街などの工事を次々に受注し、担当となった数値解析の業務は大忙しだった。ただ、しばらくすると、バブル崩壊の足音が聞こえ始める。上司から「今後、現場の経験がない君は必ず窮地に立たされる。自分にしかない強みを持て」と、社内の留学制度に応募するよう勧められたのは、入社から5年ほどたったころだ。
英語は学生時代から大の苦手だったが、猛勉強の末、社内の海外奨学金制度の選抜試験を突破。留学先は、櫻井教授の紹介でノルウェー工科大学(現・ノルウェー科学技術大学)大学院に決まった。
留学先での生活も順調だったわけではない。特に言葉の壁が大きく、しばらくは孤独感に押しつぶされそうになった。
「知り合いもいないうえ、ノルウェーの冬はほとんど太陽が昇らず、精神的に落ち込みました。そんなとき、櫻井先生が『学会の帰り』といってノルウェーに来てくださったんです。担当教授とも話をしてくださり、その後、少しずつ状況が好転していきました」
留学期間が終わった後は、ノルウェーの建設会社で研修できるよう各方面に掛け合い、1年間、現場での経験を積んだ。大の苦手だった英語を強みに変え、帰国後は鴻池組が手掛けていた台湾高速鉄道(台湾新幹線)の担当に。約4年間を台湾で過ごした。
インドで味わった文化の衝突

40代での転職は、自身の希望ではなかった。台湾新幹線のプロジェクトが終わりに近づき、バブル経済の崩壊で海外事業の受注が減ると、会社の中に居場所がなくなっていった。そんなとき、転職先の仲介で助けてくれたのは、やはり神戸大学の先輩だった。
就職したのは、海外事業を手掛ける建設コンサルタント会社。そこから、インドとの縁が始まることになる。当初は南部の都市・バンガロール(ベンガルール)に3カ月だけ赴任する予定だったが、デリー首都圏の地下鉄建設でトンネル工事の統括者が必要になり、現地に派遣された。
「最初に私と会った現地企業の社員や、事業主のデリーメトロ公社の方々は『女性が来た!』と大騒ぎでした。海外の経歴書は性別を書かないし、写真も載せません。しかも、インドでは『Reiko』という名前を見ただけでは女性と分からないですからね」
当初はインド人男性とのあつれきもあった。現地では、大学卒の男性エンジニアはエリートで、女性に指導された経験など全くない。ある社員に対し、労働者の安全面について人前で指導したところ、数人の男性部下とともに猛反発を受けた。
「男性の上司ならそうならなかったと思いますが、私の失敗でした。その一件の後はインドでのコミュニケーションの取り方を尊重するようになりました。同じエンジニア同士、真摯に向き合って話をすれば、理解してくれることも分かってきました」
時間に対する感覚も、日本とは大きく違うお国柄だ。「彼らが『5分後』と言えばだいたい1時間後。会議に1時間遅れてきても、『マダム、まずはお茶から』と平気で言う。そういう時は『お茶を飲んでも解決しませんよ』とやんわり注意したりします」と苦笑する。

「人々の生活が変わる」という実感が原動力
デリーの地下鉄建設は、日本のODA(政府開発援助)を活用し、日系企業やJICA(国際協力機構)がかかわる一大プロジェクトだった。阿部さんが特に力を注いだのが、安全対策だ。
デリーの地下鉄工事が始まる以前、インドではヘルメットや安全靴の着用といった基本装備、工事現場を囲うフェンスの設置なども当たり前ではなかった。第1期工事では、日本人エンジニアの指示で安全対策が進んだが、第2期に入ると作業の手抜きも見られるようになっていった。その結果、自身の担当外の現場だったものの、重大な死亡事故も発生していた。
そこで導入したのが、神戸大学大学院工学研究科の芥川真一教授(現・名誉教授)が開発した安全対策システムだった。工事現場で構造物のゆがみなどを検知し、危険度をLED信号の色で伝える仕組みで、ワーカーの命を守る対策として重要な役割を果たすことになった。デリーの地下鉄工事の後、バンガロールをはじめ、インド内外の工事でも導入された。

こうした安全対策の経験や教訓を次世代に残していこうと、働きながら博士論文も書き上げた阿部さん。インドで仕事を続ける原動力になった出来事として、バンガロールの地下鉄工事に携わっていたときの忘れられない経験があるという。庶民の足の三輪タクシー「オートリキシャ」に乗り、地下鉄工事で渋滞に巻き込まれたとき、運転手が誇らしげに口にした一言だ。

「マダム、これが俺たちのメトロだ。すごいだろう?」。渋滞への不満ではなく、自分の街に地下鉄が走る未来を喜ぶ一市民の言葉だった。
「戦後の日本で新幹線が開通したときと同じだ、と思いました。『自分たちは先進国の仲間入りをした』という誇りとでもいえばいいでしょうか。彼の言葉を聞いて、自分はインドの人々の生活を大きく変える重要なプロジェクトに関わっていると実感しました」
デリーの地下鉄は今や1日約500万人が利用する「市民の足」となり、快適さや安全性が高く評価されている。女性が安心して利用できる初の公共交通機関ともいわれ、女性の社会進出にも役立っている。
「遠回りをしてもいい」と後進に伝えたい

阿部さんは今、現地法人の会長として約400人の社員をまとめ、インド新幹線の開通に向けた事業に携わっている。多忙な日々の中で、インドに駐在する神戸大学卒業生との交流も支えになっている。
「日本企業の社員の中には、インドの駐在を敬遠する人も少なくありませんが、神戸大学の卒業生は皆、ひょうひょうと自然体で仕事をしている感じです」と話す。仕事の分野は製造、流通、インフラ、金融、船舶などさまざまで、出身学部も多様だ。「大変な生活の中でも、面白いことを見つけるのが上手で、適応力が高い人が多い。そういうところが神戸大学らしさですね」という。
ここ数年は、日本に帰国した際、大学生や高校生に建設コンサルタントという仕事の面白さや自身の経験を語る機会も増えた。2018年からは、女子生徒に理工系分野への関心を高めてもらうために内閣府が委嘱する「STEM Girls Ambassadors(ステム・ガールズ・アンバサダーズ)」の1人としても活動している。
「私は『ネバー・ギブ・アップ』というような強い言葉があまり好きじゃないんです。立ち止まってもいい。遠回りをしてもいい。『いつかは私も』というくらいの気持ちで、自分なりに歩んでいけばいい。次世代の人たちにはそう伝えたいですね」
荒波の中で身に付けてきたしなやかさ、リーダーとしての懐の深さが、言葉の隅々に宿っている。
略歴
あべ・れいこ 1987年、山口大学工学部卒。1989年、神戸大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了、鴻池組入社。同社在籍中の1995~97年、ノルウェー工科大学大学院工学研究科地盤工学専攻修士課程修了。2004年、パシフィックコンサルタンツインターナショナル(現職の前身)入社。2014年、山口大学大学院工学研究科建設システム工学専攻博士課程修了。博士(工学)。同年、オリエンタルコンサルタンツグローバル・インド現地法人取締役社長、2018年、取締役会長。2022年から、同社執行役員兼インド現地法人取締役会長(現職)。2013年、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー(リーダー部門)受賞。2023年、令和4年度国土交通省海外インフラプロジェクト優秀技術者国土交通大臣賞。2025年、アジア土木学協会連合協議会功績賞。



