
体のどの細胞にもなりうる「iPS細胞」の誕生から20年。発見者の山中伸弥・京都大教授はノーベル賞を受賞し、再生医療や創薬での実用化を目指す研究が国内外で進む。神戸大学では、大学院医学系研究科の青井貴之教授(幹細胞医学分野)が研究の先頭に立ち、iPS細胞を利用したがん治療法の開発や再生医療への活用に取り組んでいる。研究の現状や課題、社会実装への展望を聞いた。
博士論文が学術誌「サイエンス」に掲載
iPS細胞の研究に取り組み始めたきっかけを教えてください。
青井教授
消化器内科医として臨床現場にいた2004年、基礎研究にも取り組んでみたいと、4年間の予定で京都大学大学院の医学研究科に入学しました。その年、山中伸弥教授が奈良先端科学技術大学院大学から京都大学に移ってこられて、翌年から山中研究室に所属することになりました。iPS細胞はまだ発見されておらず、研究室も小さな規模でした。
山中教授がマウスの細胞からiPS細胞を作ったと発表したのは、その翌年の2006年です。2007年には、ヒトの細胞からも作製に成功しました。世界中が驚く発表内容で、以後、研究室も大きくなっていきました。
私が博士論文として取り組んだのは、マウスの胃と肝臓の細胞からiPS細胞を作る研究でした。成体のマウスから初めて作製に成功し、できた細胞の質も高かったことから、論文は2008年、著名な科学学術誌『サイエンス』に掲載されました。こうした経緯に加え、研究室に医師が1人しかいなかったこともあって、大学院修了後も日本学術振興会特別研究員、助教として研究室に残ることになったのです。その後、「iPSの技術と規制科学(科学的知見と安全規制などを調整する学問分野)を適合させる役割を」と求められ、2010年に発足した京都大学iPS細胞研究所の教授になりました。
2013年には、自身の母校である神戸大学の教授に。本学でのこれまでの取り組みについて教えてください。
青井教授
2012年に山中教授がノーベル生理学・医学賞を受賞した後、山中教授の出身校でもある神戸大学にiPS細胞の研究拠点を設けることが決まり、私が着任することになりました。当初はまず、iPS細胞の研究を進めるための環境や体制整備からのスタートでした。
私たちの研究室は、研究対象をあまり特化せず、幅広く取り組むのが特徴です。神戸大学ではiPS細胞に関わる研究室が一つだけなので、「心臓の研究だけ」「神経の研究だけ」というような特定の分野に絞ると、学生の選択肢を狭めてしまうからです。基本的には、それぞれが希望する研究に取り組める環境を作っておきたいと考えています。
具体的な研究内容としては、がんの免疫細胞療法の開発や、男性ホルモンを作るライディッヒ細胞の作製、胎盤、肝臓、心臓などさまざまな臓器に関わる研究を進めています。すべてが重要な研究で、iPS細胞の技術を使い、今治せない病気を治すことを最終的な目標に取り組んでいます。
すべてのがん患者に届く免疫細胞療法を目指して
がんの免疫細胞療法は注目されている分野の一つですが、どのような研究を進めているか教えてください。
青井教授
免疫細胞療法は、免疫細胞にがんを攻撃させる治療法です。患者さんの細胞を採取し、がん細胞を攻撃する能力の高い「CAR-T(カーティー)細胞」に遺伝子改変して体内に戻す療法は、一部の白血病治療ですでに実用化されています。しかし、白血病のような血液がんと異なり、特定の臓器にできる固形がんに対してはまだ十分な効果が示されておらず、私たちのグループでも研究を進めています。
今年7月に発表した論文では、iPS細胞から作製した免疫細胞「γδT細胞(ガンマ・デルタ・ティー細胞)」が、患者由来の大腸がん組織に対して高い抗腫瘍効果があるという結果を示すことができました。今後は、肺がんなど他の固形がんへの応用も進める予定です。
CAR-T細胞を用いる現行の免疫細胞療法は、患者さん自身の細胞を使うため、大量供給が困難で、細胞の質にもばらつきがあります。治療費も数千万円と高額です。一方、iPS細胞から作る細胞は、無限に増殖させることができ、コストを下げられる可能性があります。患者さん自身の細胞から作る「オーダーメード型」ではなく、「オフ・ザ・シェルフ(既製品)型」のがん免疫細胞療法の実現に向けた技術として期待されるものです。
日本では今、年間38万人以上ががんで亡くなっています。現在、がん治療として標準的に行われている手術、薬物による化学療法、放射線治療とともに、免疫細胞療法を組み合わせることで、治せる患者さんが増えると考えています。
iPS細胞を利用した免疫細胞療法を実現するうえでの課題は?
青井教授
有効性の検証はある程度進んでいるので、今後は、大量かつ安定的に細胞を作製する技術を確立していく必要があります。治療を必要とするすべての人に、現実的なコストで提供できるようにすることが、私たちの目標です。
そこにたどり着くまでの研究は、資金と人手があれば加速できる部分もあります。例えば、安全性の確認だけでもさまざまな試験や手続きが必要で、研究過程での資金確保は大きな課題です。社会実装の段階では企業との連携も不可欠になります。
また、どれくらいの費用であれば社会的に受け入れられるのか、という医療経済的な面も考えなければならないと思います。コストが下がるのは患者さんにとって望ましいことですが、適正な価格でなければ企業は開発を進められないという面もあります。

基礎研究も臨床も取り組める環境づくり、人材育成を
臨床医時代の経験は、今の研究にどのように生きているでしょうか。
青井教授
医師として、患者さんの期待に沿えなかった経験もあり、医療の発展の必要性は身に染みて感じています。臨床医としての経験は今の研究のモチベーションに直結しています。
一般的に、基礎研究と臨床は別のものと考えられがちですが、完全に分けてしまうのはよくないように思います。私自身は「研究をしている医師」という認識です。基礎研究も臨床も、どちらもプロとして取り組める環境、人材を増やしていく必要があると感じています。そうした環境があれば、医学分野の研究を志す人が少ないという現在の課題も、改善できるのではないでしょうか。
iPS細胞の研究に限らず、医学を支える人材を育てることは私の使命だと思っています。そういう意味でも、新しい分野に挑戦することは非常に重要です。基礎研究は時間がかかり、成果も出づらいものですが、簡単ではないからこそ、取り組む価値があると考えています。
医療分野で産学連携を進めやすい神戸
iPS細胞の可能性について、あらためて考えを聞かせてください。
青井教授
iPS細胞の技術は、まだ黎明期といえます。治療の現場で実用化の段階に入るのはこれからです。
20年前にiPS細胞が発表されたときは世界中が大騒ぎになり、すぐにでも治療に活用できると考える人も多かったと思います。当時は、研究室に直接電話がかかってくるようなこともありました。しかし、今は、情報を受け取る市民の側が成熟し、研究がどのような段階にあるかをある程度理解してくださっていると感じます。
一方で、iPS細胞は、基盤技術として大きなブレイクスルーになったことは間違いありません。応用へのポテンシャルも高く、今後、再生医療をはじめとするさまざまな分野を大きく発展させていくと信じています。
神戸は「神戸医療産業都市」があり、産業界との連携もしやすい地域です。進取の気風があり、新たな研究開発に取り組みやすい土台があるので、そうしたメリットも生かして研究をさらに進めていきたいと思います。
青井貴之教授 略歴
1998年、神戸大学医学部卒。天理よろづ相談所病院、聖路加国際病院、日本赤十字社和歌山医療センターで臨床医として勤務。2008年、京都大学大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。2009年4月、京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター特定拠点助教。同年11月、同センター共通基盤施設部門教授。2010年、京都大学iPS細胞研究所教授。2013年、神戸大学大学院医学研究科(現・医学系研究科)教授。神戸大学ラグビー部OBで、現在は同部部長を務める。





