20世紀初頭に曾祖父が福岡から渡米した日系4世。第2次世界大戦中に親戚たちはユタ州トパーズの日系人強制収容所に収監された。法学研究科の簑原俊洋教授は「日米間で二度とこうした不幸な歴史を繰り返してはならない」との強い思いから日米関係、国際政治の研究に取り組んでいる。中国の台頭によって、国際政治が激動の時代に突入したとの意識から、「日本は責任ある大国として振る舞い、リアリズムに基づく能動的な外交を展開すべき」と論壇で主張している。
カリフォルニア大学デービス校で国際関係を学び、いったん銀行 (ユニオンバンク) で働いた後、神戸大学に留学した。
簑原教授:
ルーティーンが多い銀行の仕事が面白くなく、ロースクールを目指すことにしました。ただ有力校を目指すためには自分の付加価値を高める必要があり、そのために日本語力を習得しようと思いました。さらに、日本の文化、歴史、政治、外交などを学び、自分のルーツを探るのも一つの目的でした。デービス校の恩師のツテで情報収集し、日米関係を学ぶなら京都大学の高坂正堯先生、または、神戸大学の五百籏頭真先生のもとが良いと周囲から助言されました。ただ、高坂先生からはもう弟子はとらないと言われ、別の京大の先生が五百籏頭先生を紹介してくださったことにより、神大に来ました。
当時は日常会話レベルの日本語は理解できましたが、読み書きはほとんどダメでした。大学院の講義で配布された論文に綴られていた漢字が読めなかったので、同期の日本人学生に読みを聞いて漢字にふりがなを付け、その後で意味を一つ一つ調べました。今ではバイリンガル及びバイカルチャルになったのではと思いつつも、メモは早く書ける英語で基本的に取りますし、思考も恐らくアメリカ人のままだと思います。
神戸大学大学院法学研究科では、排日運動など日本人移民をめぐる問題を研究。修士論文「移民問題をめぐる日米関係」が高く評価された。博士課程では排日移民法の成立過程と日本人移民の排斥が日米関係に与えた影響を詳細に検証し、博士論文は『排日移民法と日米関係——「埴原書簡」の真相とその「重大なる結果」』 (岩波書店) として出版された。
簑原教授:
1924年の排日移民法は、当時の埴原・駐米大使が国務長官に宛てた書簡に「重大なる結果」との文言があったことによって対米恫喝であると米連邦議会に受け止められ、成立に至ったというのが〝定説〟でした。しかし、重大なる結果という表現は、実は米国務省が埴原大使に働きかけて挿入したもので、大統領選挙の年において、米議員は書簡を口実として最も政治的コストの低い日系移民を犠牲にした事実を、新資料をもとに明らかにしました。
修士論文を高く評価していただき、五百籏頭先生から「カネが大事ならアメリカに戻ればいい。ユメを求めたいなら日本に残って欲しい」と言われ、その言葉に感動した私は研究者を目指す道を選びました。でも、後年、先生に私の人生を変えたこのエピソードについて伺ってみたら、先生は全然覚えていませんでしたが (笑)。
排日運動と移民問題、太平洋戦争への開戦決定過程、第2次世界大戦中の暗号解読、日露戦争とポーツマス条約、大統領から見るアメリカ外交などのテーマを研究してきたが、常に根本にあるのは日米関係である。
簑原教授:
カリフォルニア大学デービス校の学生時代、日米経済摩擦が激化し、アメリカ人の大学教授は「日本は大きな経済的脅威だ。いずれ米国は日本に抜かれる」と断言していましたが、私は「日米との国力差からしてあり得ない」と思っていました。スーパー301条 (米国通商法の条項。米国製品の輸出拡大を妨げる障壁・慣行の是正を相手国と交渉すると規定) が声高に言われ、ハリウッドの映画が日本を悪者扱いしていた時代です。しかし実際は日本のバブル経済は崩壊し、私が考えていたとおり脅威ではありませんでした。また、ある著名なアメリカ人学者が著した日米関係についての本は、両国関係を「衝突の歴史」として結論づけていますが、多くのアメリカ人は日米関係の実体を把握していません。こうした誤解を解いてゆき、日米の相互理解をさらに促進できたらと願って研究を行っています。当然、太平洋戦争のような悲劇は2度と繰り返してはいけないと強く思っています。
歴史の教訓をきちんと踏まえた上で、現在の政策決定を考える重要性を指摘する。特に対北朝鮮政策については、過去を紐解きながら慎重に行動するように講演や新聞寄稿で訴えている。
簑原教授:
アメリカではハーバード大学のグラハム・アリソンによって「応用歴史学」という新たな学問分野が開拓されました。もちろん歴史はそのまま繰り返されませんが、似た傾向、パターンはあります。例えば、日本政府は今、北朝鮮に対して経済制裁の強化を主張していますが、制裁が本当に効果を発揮したときに何が起こり得るのかという視点が抜け落ちていると思います。1941年の日本は石油禁輸などの制裁を受けて、乾坤一擲、対米戦争へと踏み切ったわけです。日本の政界で、保守派は制裁一辺倒、リベラル派は対話を主張しますが、どちらも歴史の教訓を確と踏まえた視点が欠落しているように見えます。
日本は安全保障に関してもっとリアリズムが必要だと常に感じています。自らを大国として見なす意識も希薄です。総合国力は英仏をあわせたよりも勝るのに、そのような気概はないし、責任ある大国として自由主義・民主主義を擁護するのだといった姿勢も消極的です。
アメリカを中心としてきた国際秩序が変わり始め、世界がより不安定な時代を迎えると警鐘を鳴らす。
簑原教授:
覇権移行期には国際政治が極めて不安定になり、紛争が勃発しやすくなります。英国の政治学者、E・H・カー (1892-1982) は、The Twenty Years’ Crisis (『危機の20年』) の中で、ナチスドイツの台頭に対し「民主主義、自由主義が大切なら現実主義を踏まえて行動に出るべきだ」と主張しましたが、英国は1938年にミュンヘンで融和という道を選択し、これが翌年のナチスドイツによるポーランド侵攻に繋がりました。
第2次世界大戦後70年間、米国が世界の秩序を維持 (いわゆるパクス・アメリカーナ) しましたが、覇権はいつか必ず終焉を迎えます。英国の地政学の泰斗、H・マッキンダー (1861-1947) は著作において「領域帝国」という概念を示しており、ローマ帝国は他民族からの侵略を防ぐため、ハドリアヌスの長城を築き始めた瞬間から衰退が始まったとしています。つまり、内向きとなり、帝国の力の源泉となっていた外からのヒトやモノの流れを遮断したのです。現在、トランプ大統領はメキシコ国境に壁を建設することに躍起になっていますし、パリ協定やTPPから離脱して「アメリカ・ファースト」を訴えているのを見ると、アメリカは今まさしく領域帝国の段階に差しかかっているのかもしれません。
アメリカの覇権に挑戦しようとしている中国と日本との摩擦も顕在化して久しい。民主主義、日本の主権を守るための努力の必要性を訴えている。
簑原教授:
習近平主席が打ち出した「一帯一路」は、日本がかつて構築した東亜新秩序 (のちに大東亜共栄圏) と酷似していると感じます。1931年の満州事変から41年の真珠湾の攻撃までの10年のように、現在もあと10年経てば、国際情勢は今よりはるかにシビアになっているのは間違いないでしょう。自由主義的な価値観、さらには日本の主権を守るためにも日米同盟は不可欠ですが、他方でアメリカにとって日本はたくさんある重要な関係の一つにしか過ぎず、明らかに非対称性が存在します。アメリカに「日米同盟はもはや不要だ」と言わせないためにも、日本は能動的に外交を展開し、ヨーロッパを含めた共通の価値観を有する民主主義国家陣営が手を組む「Coalition Democracy (民主主義連合)」の形成を実現できるような強い政治リーダーシップが必用ではないかと思います。
他方、習思想は人を惹きつけるような普遍的な理念ではなく、くわえて、中国は一人っ子政策による少子高齢化や膨らむ財政赤字などによって国家のファンダメンタルズは決して盤石ではありません。私はこの価値をめぐる対立は最終的に民主主義・自由主義が勝利すると信じていますが、それまでは困難な時代が当面アジアで続くでしょう。私たち研究者、特に歴史学者は長いタイムスパンを踏まえて現在の世界情勢を見渡し、灯台のように先に横たわる障害や困難を的確に示して、世界を平和と安定へと導くことこそがレーゾンデートルだと考えています。
略歴
1971年生まれ | 米国カリフォルニア州出身 |
1992年 | カリフォルニア大学デイヴィス校卒業 |
1996年 | 神戸大学政治学修士 |
1998年 | 神戸大学政治学博士 |
1999年 | 神戸大学法学部助教授 |
2000年 | 神戸大学大学院法学研究科助教授 |
2000~01年 | ハーバード大学客員研究員 |
2002年 | カリフォルニア大学アーバイン校客員教授 |
2005~2007年 | オックスフォード大学客員フェロー及びライデン大学客員教授 |
2007年 | 神戸大学大学院法学研究科教授 |