大阪大学大学院工学研究科の蔵満康浩教授 (レーザー科学研究所兼任) らの研究グループは、量子科学技術研究開発機構(QST)の福田祐仁上席研究員、神戸大学の金崎真聡准教授、台湾国立中央大学のWei-Yen Woon教授との共同研究により、蔵満教授らが独自開発した両面が自由表面の大面積グラフェン (large-area suspended graphene: LSG) ※3 を世界最薄のターゲットとして用い、QST関西光科学研究所の光量子科学研究施設 (J-KARENレーザー) を用いた高エネルギーイオン加速を初めて実現しました。

これまで薄膜を用いたレーザーイオン加速の理論では、レーザー照射するターゲットが薄いほど高効率の加速が起こると考えられておりましたが、ターゲットが薄いほど脆くなり、レーザーパルスのノイズ成分によって、レーザーパルスが到達する前にターゲットが破壊されるため実現困難でした。

今回、蔵満教授らの研究グループは、極薄膜領域ではダイヤモンドより強いといわれるグラフェンを世界最薄のターゲットに用いることにより高エネルギーイオン加速を実現しました。これにより、粒子線がん治療やレーザー核融合などに用いられるコンパクトで効率の良いイオン加速器への応用、さらにレーザーを用いた宇宙物理や核物理への応用が期待されます。

本研究成果は、Springer Nature社の国際誌「Scientific Reports」に、2月16日 (日本時間) に公開されました。

ポイント

  • グラフェン※1 を超高強度レーザー※2で照射し高エネルギーイオン加速を実現
  • 薄いターゲットほど脆くなるため効率の良いレーザーイオン加速は難しかったが、グラフェンを用いることで可能に
  • がん治療、核融合、核物理などに用いられるコンパクトなイオン加速器への応用に期待

研究の背景

これまで、粒子線がん治療や素粒子・核物理実験に用いられる加速器は、非常に大型で建設コストも装置サイズに比例して高額になっていました。これは、従来型の加速器では、装置の材料がその電場により電離する強度で電場の大きさが制限されているためであり、高エネルギーまで荷電粒子を加速しようとすると、加速距離を大きく、つまり装置自体を大きくする必要があるからです。そこで、そもそも電離しているプラズマ※4 を用いる事で、加速電場の上限を取り払おうというのが、レーザーを用いた粒子加速の研究分野で、従来型の加速器よりも何桁も高い電場でコンパクトな加速器を目指した研究が行われています。

高強度レーザーの実現により、相対論的な電子加速が実現され、イオン加速についても、さまざまな効率の良い加速のアイディアが発表されてきています。なかでも、薄膜を用いたレーザーイオン加速は広く使われており、ターゲットが薄いほどイオンが高エネルギーになることが知られています。しかし、薄いターゲットほど脆くなるため、高強度レーザーに付随するプレパルスと呼ばれるピーク強度の前にターゲットに到達するノイズ成分によってターゲットが破壊されるという課題がありました。このため、極薄膜を用いたレーザーイオン加速実験では、プラズマミラー※5 を用いてプレパルスを除去する必要がありました。しかし、プラズマミラーはショット毎に取り替える必要があり、高コストであり、かつ技術的にも複雑になります。

図1

(a) 実験概念図。超高強度レーザーJ-KARENをグラフェンターゲット (LSG) に照射し、高エネルギーイオンを加速する。(b) と (c) はグラフェンを示すラマン分光スペクトルと実際のLSGの顕微鏡写真。(d) と (e) はトムソンパラボラと固体飛跡検出器という独立な手法を用いたイオン計測器の概念図で、(g) と (f) がそれぞれの典型的なデータ。

研究の内容

蔵満教授と台湾国立中央大学Woon教授の研究グループは、グラフェンを穴あき基盤にマウントし、両面が自由表面の大面積グラフェンターゲット (large-area suspended graphene: LSG) を独自開発しました。グラフェンは、高強度レーザーを用いた実験のターゲットに最適ないくつもの特異な性質があります。ほぼ透明な光学特性を持っており、レーザーのプレパルスの熱によるターゲットの溶解を防ぐことができます。また、最も薄く、最も丈夫な物質であり、これまでのどのターゲットよりもプレパルスに対する耐性があると考えられます。さらに、グラフェンを複数枚重ねることで、ナノメートル (nm=10-9 m) の精度で厚みを制御できます。安価で大量生産が可能なことも、応用面で非常に重要です。

本研究では、この多層LSGをプラズマミラー無しの条件下で、国内最高強度を誇るJ-KARENレーザーで照射し、高エネルギーのイオン加速を実現しました (図1) 。イオン計測では、トムソンパラボラ※6 と固体飛跡検出器※7 という2つの独立な手法を用いて、計測の信頼性を高めました。特に、プラズマミラー無しの条件で、2 nm 厚の2層LSGを用いた高エネルギーイオンの生成は、これまでで最も薄いターゲットでありLSGの驚異的なプレパルス耐性を示しています。さらに、本研究では非相対論的な強度から相対論※8 的な超高強度まで、またプレパルスの小さい場合から大きい場合まで、様々な条件下で安定して高エネルギーイオンを生成しており、LSGの頑丈さを強く裏付ける結果も得られました。

本研究成果が社会に与える影響 (本研究成果の意義)

本研究成果により、粒子線がん治療や核融合、さらに核物理研究などに用いられるコンパクトで効率の良いイオン加速器への応用が期待されます。

本研究で示された極薄膜で頑丈なLSGターゲットは、他の物質のターゲットホルダーとしても使えるという、他のターゲットにないユニークな特徴があります。この特徴により、それ自体では自立しない極薄膜金属やナノ構造体等をLSGにマウントすることで、これまで難しかった物質の加速が可能になります。さらに、LSGに付着する不純物を除去し、先に同研究チームが発表した炭素ビームの分別検出技術 (※7 固体飛跡検出器 参照) を利用することで、高純度の炭素ビームを生成できる可能性があり、単一イオンの加速が容易でないレーザーイオン加速としては、画期的です。

また、これまで大型レーザーを用いるしかなかった高エネルギーイオン加速が、LSGを用いる事で比較的低強度のレーザーでも実現可能になります。世界の大型レーザーは、装置数が限られており、実験の機会も限られています。特に、大型レーザーの中でもプラズマミラーが装備されている施設は限られています。世界中の様々な装置で、高エネルギーイオン加速の研究が推し進められ、分野の裾野が拡大することが期待されます。

さらに、これまで単原子レベル厚みのターゲットを用いたプラズマミラー無しでの超高強度領域におけるレーザーイオン加速は前例がなく、LSGによるイオン加速は、これまでのレーザーイオン加速の理論では説明が難しいため、未解明の物理を内包している可能性があります。レーザープラズマ関連分野と核物理分野や物質科学分野などとの境界領域の拡大にも貢献すると考えています。

用語解説

※1 グラフェン
1原子厚みの炭素のシート状物質。この厚みではダイヤモンドより強いと言われている。ほぼ透明で、熱伝導度や電気伝導度も非常に高い。この新素材を開発したとして、2010年のノーベル物理学賞に英マンチェスター大学のアンドレ・ガイム氏とコンスタンチン・ノボセロフ氏が選ばれた。
※2 超高強度レーザー
回折格子を用い、レーザーパルスの時間幅を1000倍程度に引き延ばし、ピーク出力を十分抑えた状態でパルスエネルギーを増幅し、その後再びパルス時間幅を圧縮することで得られる、高出力の極短レーザーパルス。2018年のノーベル物理学賞に、この高強度・超短パルスレーザー生成手法を開発した研究者らが選ばれた。
※3 large-area suspended graphene (LSG)
グラフェンをレーザーイオン加速実験のターゲットとして用いるために開発した、両面が自由表面の大面積グラフェン。数百マイクロメートル (μm=10-6 m) の穴あき基板にグラフェンで蓋をした形になっている。グラフェンの理論的な厚みは0.3nm程度であるが、数百μmの面積があるためわずかにたわみや歪みがある。LSGの厚みの実測値は一層あたり1 nm程度で、枚数を重ねることで1 nmの精度で厚みを制御できる。厚みと面積の比は105 にも及ぶ。単層LSGのラマンスペクトルと光学顕微鏡写真は図1(b)と(c)。関連する蔵満教授らの論文は、下記。
N. Khasanah et al., "Large-area suspended graphene as a laser target to produce an energetic ion beam", High Power Laser Science and Engineering, 5, e18, 2017, doi:10.1017/hpl.2017.16
※4 プラズマ
固体、液体、気体に次ぐ物質の第4の状態。高温で原子がイオンと電子に電離した状態で、様々な集団現象を見せる。宇宙の見える物質の99%以上がプラズマの状態にある。
※5 プラズマミラー
ガラス等の光学的に透明な基板にレーザーの波長に対応した反射防止膜を施したもので、レーザーがプラズマミラーをプラズマ化するまでは、光を透過させるが、プラズマ化する強度からプラズマの効果でレーザーを反射させるもの。レーザーのプレパルスと呼ばれる成分を除去できる。
※6 トムソンパラボラ
電場と磁場を同じ方向に印加し、荷電粒子の質量と電荷の比ごとに、エネルギースペクトルを計測する手法。エネルギーが高い粒子ほど、電場と磁場で曲がりにくいので、電場と磁場を印加しない場合の直線的な軌道からのずれの大きさからエネルギーの大きさを見積もれる。化学処理が必要な固体飛跡検出器に比べて速報性があるが、質量電荷比が同じ荷電粒子、例えばC6+ とO8+ は区別できない。図1(e)と(g)に、その概念図と典型的なデータを示す。本研究では、共著者の福田上席研究員 (QST関西研) らが開発したリアルタイム型トムソンパラボラを用いた。
※7 固体飛跡検出器
CR-39等のプラスチックにイオンを照射した際にできる損傷を、化学エッチング処理し、光学顕微鏡下で観察できるほどに拡大したエッチピットを解析することで、イオン核種やエネルギーを同定できる検出器。図1(f)の黒い点は1時間エッチング後の炭素イオンのエッチピット。図1(d)に示すように、複数枚の飛跡検出器と枚数の異なるフィルターを用い、高いエネルギーのイオンほど深くまで侵入できることからエネルギーを見積もる。今回用いたトムソンパラボラのように速報性はないが、粒子一つ一つを計測できることと、電子や光に感度がないことから、もっとも信頼性の高いイオン検出器だと考えられている。トムソンパラボラは、同じ質量電荷比の核種を区別できないが、異なる感度の固体飛跡検出器を用いることで、炭素イオンと酸素イオンの分別検出が可能である。本研究に先立ち、計測器開発論文が一連の研究成果として発表済みで、炭素イオンが圧倒的に多数である。 T. Hihara et al., "Discriminative detection of laser-accelerated multi-MeV carbon ions utilizing solid state nuclear track detectors" Scientific Reprots, 11, 16283, 2021, DOI:10.1038/s41598-021-92300-1
※8 相対論
アインシュタインの特殊相対性理論によると、エネルギーと質量は等価である。高強度レーザーを用いると、レーザー電場で強制振動される電子の運動エネルギーは、レーザー強度が~1018 Wcm-2 程度で、静止質量のエネルギーと等しくなる。一般に、高エネルギーイオン加速には、相対論的な強度のレーザーが必要だと考えられているが、本研究ではこの閾値よりも一桁低い強度~1017 Wcm-2 程度で、MeVを超える高エネルギーの陽子と炭素イオンの生成に成功している。

なお、本研究は、日本、台湾、フランス、イギリス、オランダとの国際共同研究のもと行われました。国内参加機関は、大阪大学大学院工学研究科に加えて、大阪大学レーザー科学研究所、量子科学技術研究開発機構関西光科学研究所、神戸大学大学院海事科学研究科、九州大学大学院総合理工学府です。


論文情報

タイトル
Robustness of large-area suspended graphene under interaction with intense laser
DOI
10.1038/s41598-022-06055-4
著者
Y. Kuramitsu, T. Minami, T. Hihara, K. Sakai, T. Nishimoto, S. Isayama, Y.T. Liao, K.T. Wu, W.Y. Woon, S.H. Chen, Y.L. Liu, S.M. He, C.Y. Su, M. Ota, S. Egashira, A. Morace, Y. Sakawa, Y. Abe, H. Habara, R. Kodama, L. N. K. Dohl, N. Woolsey, M. Koenig, H. S. Kumar, N. Ohnishi, M. Kanasaki, T. Asai, T. Yamauchi, K. Oda, Ko. Kondo, H. Kiriyama, and Y. Fukuda
掲載誌
Scientific Reports (オンライン)

研究者