大学卒業後、音楽家として国内外で活動し、30歳を超えてから研究者の道に踏み込んだ異色のキャリアを持つ。

わたしたちの行為と環境との不可分な結びつきに焦点をあてる「アフォーダンス」の考え方が、人間発達環境学研究科の野中哲士教授の研究の出発点。乳児の発達、職人の技能、アクティブな知覚探索など多様なテーマを、海外を含む異分野の研究者と共同して実証的に探究する研究手法について、うかがった。

 

アフォーダンス理論から研究者の道へ

ヒトは様々な技能をどのように習得するのかを実証的に探究しておられます。このような研究テーマに取り組むきっかけは何だったのでしょうか。

野中教授:

大学時代は音楽をやり、卒業後いったんはテレビ局に就職したのですが、どうしても音楽を続けたくて、兄とやっていた二人組のユニットでイギリスのレコード会社と契約して、いくつかのアルバムをリリースしました。学部生時代は美学・哲学を専攻しましたが、外で音楽ばかりしていたこともあって、(学問と)自分の日常とのつながりがわからないまま終わってしまった。

大学を卒業してからずいぶん経ってから、ある時、佐々木正人先生(元東京大学大学院教授、現多摩美術大学教授)のアフォーダンスに関する著作を読み、一見あたりまえに見える身近なできごとを空気や重力の極性といった地球規模の視点でとらえる研究に興味をもって、30歳の時に佐々木先生の研究室に入りました。

修士論文ではあかちゃんが身のまわりの複数のモノをどんなふうに配置換えして、自分の身のまわりに複数のモノのどんな配置をつくっているのか、その変遷をひたすら縦断的に追いかける研究をしました。発達の時間スケールで、人間が環境のなかで人間になっていく過程に関心がありました。

(左) 音楽ユニットUltra Livingとして英国の雑誌「i-D」に掲載された記事 (右) 音楽家としてリリースしたCDやレコード

人間が人間になる、というのはどういう意味ですか。

野中教授:

例えば、仮にあかちゃんがどこまでも見渡せる起伏のない砂漠の地面に置かれて一人で育つとしたら、(本当は生きていけないのですが)、立ち上がって歩くこともしゃべることもしないだろうと思います。私たちの環境は構造化されていて、それはたとえば、地面を這って暮らすような構造にはなっていません。私たちは集団として、もちろん文化差はあるのですが、ある種独特な関係を環境とのあいだに築き上げています。そこに産まれ落ちる赤ちゃんは、一群の行為の機会が強調されている環境のなかで、それらを利用するかたちで、いわば周囲に参加していきます。歩くこと、表情をつくること、食べることをはじめとして、環境とのあいだに独特の関係を結ぶ過程において、人間は人間になっているのだと考えられます。人間であることは、所与ではなく、プロセスだと思います。

音楽活動をしていたことの影響はありますか。

野中教授:

直接のわかり易い結びつきはないですが、音楽をつくる側にいたことで、人間がやっていることの複雑さ、凄みに対する畏敬の念はあります。人間の行為と環境との結びつきを研究するとき、その関係をある側面から切り取ることでその一面を理解することは出来ますが、それがほんの一面にすぎないことは、実体験から身にしみてわかっています。そのことは、研究を続ける原動力のひとつになっていると思います。僕にとって、「何か面白いことをする」という点で、曲づくりと論文執筆はほとんどいっしょです。ただ、研究は、やりはじめてみて本当に面白かった。厳然としてある豊かな現実にこちらから触れて、その抵抗を確かめていく作業には、自分が透明になっていくような楽しさがあります。

(左上) バルセロナでの演奏風景 (左下) 米国のポストロックバンドHiMとのレコーディング風景 (右) ライプチヒの古い映画館での演奏風景

©Masako Saito

異分野の研究者と国際共同研究

海外の研究者との共同研究が多いですね。

野中教授:

大学院生の時に国際学会で発表し、Blandine Bril先生というフランスの発達心理学の研究者と知り合いました。彼女は赤ちゃんの歩行などの研究をしていたのですが、「研究員としてフランスに来ないか」と誘ってくれ、フランスに渡りました。そこで日本とは全く違う学問の組み合わせに出合ったのです。「人類の道具使用と言語の起源」を探るHANDTOMOUTHというEUの研究プロジェクトに参加し、バイオメカニクス、考古学者、人類学者、脳科学者、発達心理学者など理系、文系の区別なく様々な分野の研究者が共同で取り組む研究に関わらせてもらいました。そこが原点のひとつです。

(上) 知覚と行為の国際会議のグループ
(左下) 人類学者ティム・インゴルド教授との討論会
(右下) 写真中央の発達心理学者カレン・アドルフ教授のニューヨーク大学Infant Action Labにて

インドやネパールの陶器職人の技能、日本の子どものひらがなの書き方を、実証的に分析されました。

野中教授:

生物が遺伝情報を受け渡すことで形質を受け継ぐ遺伝になぞらえて、情報を受け継ぐことで文化が伝播するという「文化伝達理論」では、行動を忠実に模倣することで技能は伝わるとされてきました。ところが、陶器職人の作業の映像記録を共同研究者が教えてくれた楕円フーリエ解析という手法で分析したところ、陶器のかたちが生まれていく形態発生のプロセスは職人一人一人でまったく異なり、完成品の形状よりもはるかに変異が大きかったのです。この結果は、他者の行動をコピーするというよりはむしろ、個々の職人がその時々の固有の状況において素材を探りその制約をみずから発見することが、かえって技能が安定的に受け継がれる基盤となっている可能性を示唆しています。また、一見同じ形のようでも、解析をしてみると職人ごとに形状が微妙に異なっていることもわかりました。考古学の発掘品などでも伝播の経路を定量的にとらえられる可能性があると思います。

小学校入学の時点で子どもたちはひらがなの形は知っていますが、入学後に字を習うプロセスのなかで、子どもたちの字を書く動きが劇的に変わります。最初は絵を描くように筆画をかたちづくっていたのが、とめ、はね、はらいといった異なるダイナミクス(動き)をもつ筆画が身体の動きとして分化していき、筆画を書く動きのリズムがその子の中で徐々に一貫していきます。まるで紙の上でダンスを覚えているようなものだな、と感じられます。

コロナ禍の影響で国際共同研究は困難になっています。

野中教授:

「International Society for Ecological Psychology(国際生態心理学会)」が2年に1回開いている「International Conference on Perception and Action(知覚と行為の国際会議)」に10年以上前から毎回参加してきましたが、開催できなくなっています。オンラインでの交流はありますが、リアルの会議では一緒に食事をしながら最新の研究を聞いたり、自分が取り組んでいる研究について話したりして刺激を受けあうことが楽しみでしたが、それが出来ないのは寂しいですね。しかし、インターネットのzoom会議などコロナ前には知らなかった方法を使うことで、研究そのものは続けられています。2021年10月にも国際共同研究の科研費をいただくことができ、工学(ロボティクス)分野の人との共同研究に取り組みます。例えば点字を読み取る手の動きの変化など、環境と身体が出会ってどう変化していくのか、深い原理を異分野の人たちと探求できたらいいなと思っています。

ミニ解説

アフォーダンス

わたしたちのどんな活動をとっても、それがかみあって依拠している環境が存在します。「アフォーダンス」とは、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンの用語で、環境が与える生物の活動の機会を指す用語です。

略歴

1996年東京大学文学部美学芸術学専修課程卒業
2008年東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学(2010年同修了)
2008 - 2009年フランス国立社会科学高等研究院研究員 
2010 - 2012年吉備国際大学保健福祉研究所博士研究員 
2012 - 2014年3月吉備国際大学保健福祉研究所准教授 
2014年4月神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授
2020年4月同 教授

研究者